二.怪力の神、タヂカラオ
もう一柱の雷神・土雷は目を瞠った。
相棒でもある若雷が、予想外にあっけなく斃されてしまったのだから無理もない。
(一体どういう事だ……? 今何が起きた……?)
彼ら雷神はただの神ではない。
文字通り稲妻の如き素早さで動く事ができるし、雷そのものを操る力もある。こと戦いに関しては最強の部類に属するのだ。
相手が同じく雷神でもない限り、落雷を避けた挙句に反撃し、退散せしめるなど――あり得ない話であった。
「ほう。我が同胞たる若雷を……やりますねえ!
だがいい気にならない事です。彼奴は我ら八雷神の中でも一番の小物――」
ずい、とざんばら髪の男神は、無造作に距離を詰めてきた。
右手には抜き身の十拳剣を構えたまま。こちらを「狩る」好機を狙っている。
「……お喋りをする気はないようですね。せめて名乗ってはいかがです?
我は土雷。偉大なる黄泉大神の、右腕に宿りし雷神なり!」
雷神が名乗りを上げると、男神は意外にも少しだけ眉をひそめ、動きを止めた。
そして唇が小さく動く。まだ年若いが、ハッキリとよく通る声で、彼は名乗り返した。
「我が名は――スサノオ」
少年神の言葉に、土雷は耳を疑った。
「スサノオ……!? かの偉大なる三貴子、の……?
建速須佐之男命が、何故このような辺境に……!」
地上出身の国津神どころではない。天上世界たる高天原の天津神。
しかも「国産みの神」としていと尊きイザナギが、最後に産みし最高峰の神の名である。
(バカな。信じられぬ! スサノオ様は今、咎を犯した神として高天原に幽閉されている筈)
穢れし雷神は混乱しかけたが――すぐに身構え直した。
全く想定になかった事態だが、若雷が一瞬で敗北したのも合点がいく。
伝説の三貴子が一柱であるというなら、内にいかに強大な神力を秘めていたとしても不思議ではない。
「まァいいでしょう。邪魔立てするというなのなら――たとえ三貴子が相手だとて、容赦はしません」
土雷はゴロゴロと不気味な音を響かせた。
招雷の神術の先触れだ。たちまちの内に空を覆う暗雲から、不吉な稲光が放たれ、地上へと吸い込まれる!
しかし先刻と同様、雷はスサノオに命中する事はなかった。
(やはり。どうやったかは分からぬが……雷を躱している……!)
「フム、どうやら貴方に我が雷は通じぬようだ。ですが……
我が力、ただ雷を降らすのみにあらず!」
雷神は不敵な笑みを浮かべる。スサノオも異変に気づいたのか、落雷した場所を見た。
奇怪な光景だった。黒焦げになった土が不気味に蠢き、軋む音と共に不自然に盛り上がろうとしている。
やがて焦げた土はその質量を増し、たちどころに巨大な山の如く隆起した!
「くきききヒヒヒ! 我は土雷! 我が雷に触れた土を穢し、意の如く操る事を得意とす!
スサノオ様。貴方は一点集中の一撃を躱すのはお得意なのでしょう。
ならば『点』ではなく『面』による攻撃! いかがです?
いかな素早く動けようが、逃げ場が無くばどうしようもありますまいッ!」
得意満面で哄笑し続ける土雷。更なる雷を呼び寄せ、次々と地面を穿ち、操る土を増していく!
穢れた土塊は瞬く間に恐るべき質量を宿し、五丈(約16.6メートル)は優に超える岩巨人と化した。
体格差は大人と子供。いや虎に立ち向かう野鼠だろうか。
穢れし巨人は地響きを轟かせ蠢き、スサノオを押し潰そうとした。
鈍重ではあるが、圧倒的な面積。絶望的な質量。大木よりも太い右腕が、小さき少年神の姿を掻き消した。
ところが、である。
蠅の如く潰されたであろうスサノオの死体を確かめようと、雷神は土煙の中に目を凝らした。が……そこに飛び込んだ光景はまたもや信じ難い代物だった。
土塊の腕は止まっていた。スサノオも健在だ。
岩巨人とスサノオの間に、一柱の偉丈夫の男神が割って入り……巨腕を受け止めていたのだ。
「バ……カなッ……何故ッ! なぜ何故ナゼェェェェッ!
ここら一帯の土、全てを重ね錬り合わせた剛撃ぞッ!?」
土雷は怪鳥のような金切り声を上げた。
生み出した自慢の岩巨人の腕は、相手を潰すどころか逆に押し返されている!
受け止めた長身の男神の、筋骨隆々の逞しい体躯に――凄まじい力が込もる。
「おッらァァァァァァッ!!」
雄叫びと共に、数十倍はあろうかという巨人の質量を……ついには弾き返してしまった!
吹き飛んだ圧倒的な巨体は、あろう事か放心している雷神に向かっていき――
「ごげェッ」
土雷は己の生み出した土塊にのしかかられ、轢き潰された蛙のような哀れな悲鳴を上げた。
「へッ……何故かって? 決まってんだろ」
偉丈夫の男神は、大きく息を吐き汚れた両手を掃い……余裕の笑みを浮かべて言った。
「その薄汚ぇデカブツなんぞより、俺の方が力持ちだった。それだけの事さ」
彼の名はタヂカラオ。高天原の天津神にして、「力」の象徴たる怪力神である。
~柱
神々を数える時に使う言葉。人間を「一人」「二人」と数えるのに対し、神々は「一柱」「二柱」と数える。
大木には神が宿るとされ、大木を使った柱は「神が降りてくるための通り道」としての役割を果たしていた。
家の中心にある柱の事を「大黒柱」と呼ぶのは、大黒柱にその家の氏神が宿ると信じられているからである。