九.誓約(うけい) ~古来より伝わる神頼み~
「姉上――オレに高天原侵略の邪心なんてない。
それを証明するため、今ここでお互い『誓約』する事を申し出る」
スサノオの突然の行動と申し出に、アマテラスは目を丸くした。
「えっ……嘘……誓約だなんて……信じられない。
スサノオあなた……誓約が何か、ちゃんと知ってて提案してるの!?」
「実の弟に向かって失礼だな姉上!? つーか驚く所そこかよ!?」
誓約。日本神話においてたびたび登場する、選択に迷った時に行う神頼みのようなものである。
大抵は誓約を行う前に、二者択一の条件を提示するのが一般的なやり方だ。
簡単な例を挙げれば「分かれ道に差し掛かった時に棒を立てて離し、棒が倒れた方に進む」。
あるいは「好きな人を思い浮かべ、『好き』『嫌い』と言いながら花びらを一枚ずつ千切る」など。
これらも立派な誓約である。
「でも誓約とひとくちに言っても、やり方は沢山あるけれど。
スサノオは一体どういうやり方をするつもり?」
「オレの持つ十拳剣と、姉上の身に着けている玉飾り。
互いに交換し、清めてから『神産み』をしよう。それでハッキリするはずさ」
記紀神話に曰く、力ある神々はしばしば、大勢の神を産む記述が存在する。
今日の我々人間のような手間や労苦をかけず、些細な出来事からも神が産まれる。
特に日本の神話は無節操な事で有名だ。八百万と称されるほど神の名が多く、血や吐瀉物から新たな神が誕生する事さえあった。
「で、でもわたしの玉飾りは……父イザナギから賜った大切な宝物で……」
「オレだって身を守る為の大事な剣を差し出してるんだぜ?
これでオレは丸腰だ。もしオレに邪心があるとなったなら……煮るなり焼くなり、好きにすればいい」
スサノオは捨て鉢に言った。
皆までは口にしないが、一方的に疑われ殺されかけた事に、彼も少なからず憤っているのだろう。
(そうよね……スサノオだって命懸けで提案しているんだわ。
ここまでこの子を追い詰めてしまった事には……わたしにも責任がある。
だったら、その覚悟にわたしも、応じなくちゃ)
アマテラスは意を決し、産まれた時に父から授かった玉飾りをスサノオに手渡した。
人の持ち物には意思が宿るという。神の持ち物には命が宿るという。
そして神の持ち物を打ち砕いた時、その持ち主に相応しい意思を持った「神」が産まれるのだ。
「身を清めるには絶好の天安川があるわね」
「じゃあ姉上、さっそく剣や玉飾りを砕くための道具を――」
スサノオが言いかけたが、アマテラスは制した。
「そんなもの、必要ないわ」
言うが早いか、アマテラスはスサノオの剣を口元に運び――刀身に歯を立て、瞬く間に三つに噛み砕いた!
「…………えぇえ…………」
「何を呆けているの? スサノオ。今度はあなたの番よ」
促されるも、まさか直接噛み砕くとは思っていなかったスサノオ。
今更退くに退けず、覚悟を決めてアマテラスの玉飾りに歯を立てる。
当然ながら硬く、顎が痛くなるほど力を込める羽目になったが……どうにか根性で噛み砕く事ができた。
互いに砕いた持ち物を、それぞれで天安川へ持ち寄って、清める。
結果、スサノオの剣からは三柱の女神が。
アマテラスの玉飾りからは五柱の男神が産まれた。
一部始終をスサノオの身体の中から見ていたツクヨミは――思案していた。
(さて、目論み通り平和的に誓約に持ち込む事ができた。
後はいかに屁理屈をこねて、アマテラスに負けを認めさせるか、だが……)
しかし……ツクヨミはいち早くその場の変化に気づいた。
スサノオが無意識の内にもたらした雨と風は、未だ衰えずにいたが――徐々に鎮まり、音も小さくなっていく。
アマテラスの五柱の男神は、暴風雨に対し怯え、縮こまるばかりであったが。
ツクヨミの三柱の女神は、臆せず天を見つめ、微笑みすら浮かべている。彼女らが活発に動き回ると、スサノオの引き起こした風はいつしか、消え去っていた。
「…………すごい」アマテラスは思わず、ぽつりと呟いた。
「見てくれたか? 姉上」スサノオは誇らしげに言った。
「オレの産んだ女神たちは、暴風を鎮める力があった。オレやオレの子供たちに、邪心がない証拠だ!」
元を正せば、暴風雨の原因はスサノオの神力にあるのだが……彼自身その自覚が未だにない。知らぬが華、とはよく言ったものだ。
結局この勝利宣言が押し切られる形となり、スサノオの高天原入りは認められる事になった。
(……ふむ、なるほどな)
ツクヨミが考えを巡らせるまでもなく、決着はついてしまった。
(此度の誓約で産まれた女神たちは、スサノオの力だけでなく。
このツクヨミの力をも宿していた、という事なのか……)
ツクヨミは夜ごとに海を荒れ放題にし、狂ったように舞っていたが。
ただ無軌道に戯れていた訳ではなかった。昼はスサノオの内にて肌で。夜は自らの眼で。
荒れ狂う海を感じ、そして見ていた。そこからツクヨミが学んだ事は――大いなる海神の力は、無理矢理にねじ伏せられるような代物ではないという事と。
潮の流れには満ち引きが存在し、魚の命の流れにも――そして時の流れ、すなわち『暦』にも通じている、という事である。
この時スサノオが産んだ女神は、宗像三女神と呼ばれ――後に航海の安全を司る神として祀られるのであるが、それはまた別の話。
歯を立て、瞬く間に三つに噛み砕いた~
本当にやってるから困る(笑)。神様フリーダムすぎやしませんかね?




