八.アマテラスを止めろ!・後編★
太陽神アマテラスが茂みの中に踏み込もうとすると――突如大声が上がった。
「捕まえたぜスサノオぉ!!」
野太い声の主は、高天原の怪力神タヂカラオのものだ。
「タヂカラオ……いつの間にこんな所まで来ていたのかしら。
私は要らないって言ったのに……!」
アマテラスは顔をしかめた。
今までの行動からは信じられない話だが、彼女はスサノオを殺す気などなかった。
(タヂカラオの剛力に晒され、万一スサノオに大怪我されちゃったら……)
などと危惧している内に、茂みの中から雄叫びが上がり――何かが勢いよく放り投げられた!
「!?」
アマテラスは目を瞠る。投げ飛ばされたのは他ならぬスサノオだ。
軌道を見る限り直撃の心配はない。だが上空からの奇襲としては抜群の時機だ。
アマテラスは矢をつがえ構えた。スサノオの攻撃に備え、防御用の炎の結界を張り巡らせる為だ。
『タヂカラオの言っていた通りだな。アマテラスは矢を防御にも扱えるらしい』
スサノオの中にいるツクヨミが呟く。非常にまずい状況だ。
彼女の周囲に高熱の結界を張られてしまえば、今度こそ近づく機会はなくなる。
それでなくとも、今までの事がある。うっかり手を滑らせて、スサノオに必殺の射撃を繰り出してくる恐れがあるのだ。
『スサノオ。フリでもいい。アマテラスを攻撃しろ。殺す気でかかれ』
「バッ……馬鹿言うんじゃねえ!? そんな事できる訳ねーだろ!?」
これまた予想通りの返答がスサノオから返ってきた。
(やれやれ。ここまで死にそうな目に遭っているというのに……まだそんな甘っちょろい事を言っているのか。
タヂカラオに対しては、私が警告しなければ躊躇しなかっただろうに。まあ……仕方あるまいな)
ツクヨミは意識を集中させ――過去を振り返りつつ思い描いた。
産まれた時からアマテラスは嫌いだった。あの時自分の存在に気づいていた筈なのに、この女はスサノオだけを見ていた。
最初は小さな不快感に過ぎなかったが、年月が経つにつれ。夜しか羽ばたけぬ己の性に気づくにつれ。
太陽や、光や、暖かさに対する憎悪が、ツクヨミの中に募っていった。
(私は――アマテラスを――『殺す』!!)
アマテラスの心に、ぞわりとした怖気が走った。
曇天とはいえ、昼間だというのに。深夜の寒空のような心地。
恐怖したアマテラスは、防御のために神力を込めた矢を、たちまちスサノオに向けた。
(えっ――わたし、何をやっているの――?
これを撃ったら、スサノオが死んじゃう――でも、怖い――!)
スサノオの内に眠るツクヨミの殺意が、アマテラスを恐怖で突き動かした。
放たれる矢は紛れもなく、襲い来る敵意を撃ち滅ぼす為のもの。
しかし神炎の矢は、スサノオの肉体に触れる事もなく、あらぬ方向へと飛んでいく。
『よし――上手く行った。姉上の弓が下手で助かったな』
ツクヨミはほくそ笑んで言った。
『この期に及んで威嚇射撃をされてしまったら、五体無事だったか怪しいものだ』
次の瞬間、スサノオの肉体は天安川に盛大に飛び込んだ。
水飛沫が高く舞い上がり、放心したアマテラスに川の水が降りかかる。今しがた放った矢も大半が川の中に没し、勢いを減じた。
ざば、と川から這い上がるスサノオ。ずぶ濡れにはなったが、アマテラスとの距離は縮まった。
彼女に次なる矢をつがえる暇はない。ツクヨミの放った殺気は、予想外の成果を上げたのである。
「ひッ――」
怯えるアマテラスに対し、スサノオは腰の十拳剣を抜き放ち――
そのまま跪いて、剣を差し出した。
「姉上――オレに高天原侵略の邪心なんてない。
それを証明するため、今ここでお互い『誓約』する事を申し出る」
スサノオの唐突な提案に、思わずアマテラスは呆気に取られるのだった。