作者、読者双方への提案:私が思う上から目線
「上から目線」は悪い!としている考えがありますが、なぜ?と私は思います。
よく聞いてみると、私の思っているそれと、世間の思っているそれは別の考えでした。
ここに遺しておきます。
「ろん?」シリーズに入れるか迷ったのですが、こちらに入れておきます。
最近、世間一般で話されている「上から目線」というのが、どうも「えらそうな」視点からの言動らしい事が分かりました。
昔は無かった言葉だと思うので、おそらく最近出来たのだと思います。
「なろう」では、作者にしたり顔で説教をたれる読者というのがそれらしいです。
想像すると小憎らしいです。嫌なイメージが湧き上がりました。それを嫌がる気持ちは分かります。
でも、私の抱いているイメージは違いました。
それを書いておきます。
まず、世間一般のシーンと、その軽減について
※作者、読者を用いて説明します。
読者が作者に感想を送ります。
その文面は押し付けの説教、設定の穴をつついたり、作品が進み、もう修正不可能な部分について嫌味たっぷりでした。
とてもとても嫌な気分です。
でも、ブロックする前に見てみましょう。
それは「本当」に作者への攻撃でしたか?
例えば、作者が太っているとか、人格が悪いとか、顔がイケメンではないとか。胸が小さいとか。えとせとらえとせとら。
本当に「どうしようもないもの」でしょうか?
そうであれば、削除してもいいと思います。
ブロック推奨です。
でも、設定が悪い、展開が悪い、描写が悪い、キャラクターが好みではない等色々ありますが、
「次作品に生かす」という答えで回避出来るものは作者の「どうしようもない」欠点ではありません。
自分の作品を貶されれば悪い印象を受け取ります。
でも、それは「作品」であって、「作者」ではないのです。
すぐに生かすでもいいし、次作品に生かすでもいい。放置するのもいいです。取捨選択は作者の自由。
とりあえず、心の棚の上においておきます。
何度も指摘されたら、あ、棚の上にもうあるわ。ハイ、次。と読み飛ばしていいと思います。
(「作者に提案:自己管理のススメ」にも書いてありますが、分かるように説明します)
これが世間一般の「上から目線」とその回避法だと思います。
「読者」が「作者」を見下し、「作者」が「読者」を恨む。
こういう負の連鎖は避けたいです。
では、ここから私の「上から目線」にいきます。
私のイメージは、
「作者と読者が正対し、本を挟んで手を取る」です。
よく分からない人は、将棋の対局が分かり易いでしょう。
将棋盤を、本(文章)に置き換えたイメージです。
先ほどと何が違うのか分かりますか?
「位置(目線)」です。
「作者」と「読者」は向かい合う事によって、「対等」であり、
本(文章)は二人から見下ろされる事によって「評価」を「適正」に判断出来る状態に置く」
作者、読者は人同士。であれば礼儀を尽くします。まっすぐ向かい合えば、もっとです。
本(文章)というものを介(交流、評価)して、様々な想いを伝えます。
作者、読者という「人」からすれば、評価対象である「本(文章)」の位置は下がります。
つまり、本(文章)は上から評価されるのは当たり前。
こういう考えだったので、「上から目線」は、なんで悪い言葉なの?と思っていました。
作者:「作品を作りました。評価していただきたいです」
読者:「読ませていただきました。これこれこうでした」
作者(読者):「「ありがとうございました」」
評価されないのが普通だった昔は、お互いに作者が当たり前。
相互でしか自分の作品の評価を知る方法がありませんでした。
だからお互いを伸ばそうと努力して評価。そして、相手を尊重します。
相互に評価できる仲間は貴重でした。それもあります。
インターネットで作者、読者の距離が縮まりました。評価を受けられる事が当たり前。
恵まれてるなぁと思います。でも、無い状態を経験しない限り、有難みは分からない。
経験を積み、色々な視点で物を見ることで今が幸せであることをかみ締め、強く育って欲しいと思います。
追記:
イカン!最近の若い者は~になってる!
自戒の為に残しておきますが、まだまだ頑張ります。頑張る予定です。
追記2:
向かい合うとは、相手の目を見る。嘘はつかないというのもあります。隠しても濁してもいいけれど、嘘は不信につながります。止めた方がいいと思います。