8. 強者は嗤い、狂者は語り、愚者に沈黙を選ばせる
鴎外は状況を冷静に判断していた。この場に秋森重工の作ったGIAがあるという事は、奴がいる事に他ならない。あいつの性格を考えるに、おそらくこちらの準備が整うまで戦端を切るのを待つなんて事はしないだろう。
「『神の声』を使うか」
鴎外はAHシステムの金の輪を頭にかぶり、通信機のスイッチを入れた。
「こちらはレルアバド、献体司教相原鴎外だ。そちらの所属と目的を聞きたい」
「ハッ! 通信システムへの強制介入ね。相変わらずやることが狡いな鴎外!」
英語で語り掛けた言葉に対して返されたのは、日本語だった。
「つーかよ、てめーもわかってんだろ? 俺だよ。ゲンだよ! 久々の再会だ。一つドデカくいくぜ!」
そう言った直後に日本製のGIAが建物に急接近するのが見えた。
「全員この場から離脱しろ!」
鴎外は大声を張り上げる。しかし、動揺の治まらない人員は右往左往しながら出口に殺到するだけで、会場を後にすることが出来ないでいた。
一瞬の轟音が鳴り響く。悲鳴が乱れる中、屋根を砕いたのは一本の巨大な刀。逃げ遅れた人間はその重さに潰れ、周囲を瓦礫と鮮血で染め上げた。
「今ので死んでねーよな? つーか、今ので何人死んだよ?」
通信機から漏れ出る声に鴎外は歯噛みする。政府要人の数人は今ので巻き添えをくらっていた。レルアバド側の人員に死者は出なかったものの、負傷者は出ているのは間違いなかった。轟音の衝撃に立ち眩む鴎外は、砕けた壁から見える機体に怒りの視線をぶつけた。
「おーおー、生きてるねぇ。そうでないと好敵手! いいぜぇ。待ってやるよ。お前の機体ごとバラバラにしてやるよ」
「ずいぶん余裕だな」
「まあな。調印される前に急襲できた時点で、目的は達成してんだ。高高度降下低高度開傘実験も上々だしな。とりあえず、パプアニューギニアはもう使えねえ。てめーらが余計な事したせいで、こいつらは死んだんだ。よく覚えておけよ」
「下種が」
「ゲスで結構コケコッコーだな。ほら、さっさと機体を取りに行けよ」
「言われるまでもない」
ストークのエンジン音を確認した鴎外は、即座に自身の機体へ乗り込むために足を向ける。奴の言葉的には、既に作戦自体は終了している。後はあいつの遊びの時間だ。
俗に言う戦闘狂。戦場を駆け巡り敵を倒す事に喜びを覚える部類のあいつは、この一方的な状況を楽しんでいるだろうが、満足はしていない。Ebを搭載したストークを急襲しないのもそれが理由だ。奴の部隊も動きを止めていることからも、それは証左だった。
「……秘匿通信か」
Ebに乗り込んだ鴎外は、GIA側から発信された秘匿通信に眉をひそめる。
「内緒話をしようぜ。鴎外」
通信チャンネルを7144、語呂合わせでないしょに合わせている辺りその本気の度合いを疑うものであった。
「なんのつもりだ」
「なんのつもりも、どのつもりも積もり積もったお話に花を咲かせようぜって言ってんだ。こうして会うのは、アンゴラ戦線以来だったか?」
「いやメルボルンでの事を忘れたとは言わせない」
「ああ、そうだったな。だがあん時はこうしてお話しできるほど余裕じゃなかっただろ? だから積もる話はアンゴラ以来だ」
「アンゴラの悪夢、二年前だな」
「ハッ、何が悪夢だ。アンゴラ解放戦の間違いだろ?」
「死者が何人出たと思ってる?」
「知らねーな。興味ねーよ」
南アフリカの一国のアンゴラで激化した内戦を終結させるため、政府側と反政府側の仲介を行っていたのが、レルアバドだった。終結まであと一息というところで、TAFがこの内戦に武力介入し、一方的に政府側を鎮圧した。TAF側の歴史書には、圧政を続ける政府に正義の鉄槌を下したとでも書いてあるのだろうそれは、事実とは大きく異なっている。政府は資金難に喘ぎ、食料や物品を配給できない状態にあった。その事が市民感情を悪化させ、食料の奪い合いといった内戦に火をつけたのだった。どちらが悪いわけでもなく、ただ物が無いという状態が互いに奪い合いをしていた状況。
レルアバドは双方に食料や他の物品を支給し、この奪い合いを収める方針だったのだ。それを一方的に食料を保持していた政府を悪と断定し壊滅させた。レルアバドも抵抗空しく、圧倒的な物量差に撤退を余儀なくされた出来事だ。
あの一件でも、鴎外は多くの部下を失っていた。
「おれは今でも覚えている。お前が殺した市民を。おれの部下の顔を」
「しみったれたこと言ってんじゃねーよ。戦争が起きりゃ人は死ぬ。それだけだ」
「話は終わりだ」
「おうとも。俺もそろそろ限界だ。殺ろうぜ、兄弟!」
「秋森源之丞、ここでお前を討つ」
「やってみな!」
鴎外もただ無駄話に話をしていたわけではない。各員の搭乗を待っていたのだった。源之丞の相手は、自分以外にはできない。それほどまでに、奴の機体と、奴の技量が高いのだ。AHを搭載していないGIAは、プログラム通りのパターン化された攻撃しか放つことが出来ない。故にそのパターンを読んでしまえば、ある程度の攻撃は予測でき、回避も防御も容易い。だがそれはあくまで、一般的な技量を持つ相手に限った話だ。
源之丞はTAF側の上位者に入る実力を持つ。故にただのパターン化された攻撃を単純に防ぐことが難しい。おそらく自分の部下たちでは、奴の持つ刀型の武器で一撃の下に叩き伏せられる。
「各機散開。この特殊機体はおれが相手をする」
「了解」
「一騎打ちとか、余裕だな? 勝てんのかオイ?」
「今までのおれと同じと思うな」
AHでの戦闘経験は相当に積んできた。それにリオの作った新型機『Eb-5632 クレイジーバーニア』は従来のマルス改の基本性能を尋常ではないレベルで引き上げている。名の通り狂った数のバーニアが搭載されたこの機体は、機動性能を限界まで上げている。並みの献体ではそのG(重力加速度)に耐え切れず失神するほどだ。過剰にかけられたGを感じながら、鴎外は真正面から源之丞へ突っ込んだ。
手にする武器は汎用接近武器大ぶりの洋剣だ。基本的にEbもGIAも同じように、これらの接近武器は、刃の鋭さよりも重量による殴打を目的としている。元から斬る為の道具ではない。
勢いのまま剣を振り下ろす鴎外は、それが空を切る感触を味わう。
「相変わらず通り一辺倒でつまんねぇ太刀筋だなオイ」
鴎外の乗るクレイジーバーニアは基本的に初見殺しの機体だ。多数の追加バーニアからなる超高速の一撃は、見切る事すら難しい。この速度に圧倒され出遅れるか、対応するために防御に回るかのどちらかしかなく、そのどちらでも速度と重量のある剣を受けきれず沈黙するのが常なのだ。
だというのに源之丞はその速度に即座に対応し、回避して見せた。
「なんだよ? 初太刀が見切られて驚いてんのか? つーか当然だろうよ。てめーの機体を見りゃ異常なスピードが出ますって書いてあるようなもんじゃねえか。隠す気あんのか無いのか。つーかよ、それで初見殺しなんて思ってたんじゃねーの? ハッ、へそで茶が沸くな!」
「べらべらと良く回る口だな!」
初太刀をかわされた事など無かったが、二の太刀を繋げない理由にはならない。鴎外はバーニアを吹かせ急旋回と横薙ぎを放つが、それも空を切る。
「あめーな。太刀筋が本当にあめー。こうやんだよ兄弟!」
鴎外はとっさに振り切った剣を目の前に構え、襲い来る刀を防ぎにかかる。金属同士がぶつかり合う音が響き、衝撃が機体を襲う。
「要は重力加速度と、振動の計算なんだが、てめーにわかるか? AHつったか? 兵士の身体能力をどうのこうのするその玩具だよ。んなもん必要ねーんだよ。要はGIAに組まれたプログラムを最適に打ち込める状況を作りゃそれでいいんだ」
源之丞の猛攻が続く。基本性能も追加性能も、一世代も二世代も先を行っているはずの機体が何故か押し負けている。いくら日本製の特別機であろうと、基本はシャムスのフレームをカスタムした機体に過ぎないはずだ。それなのに何故、パワーでもスピードでも押し負けるのか。
「機体性能を言い訳にしてんじゃねーぞ。ホントてめーは顔に出やすいな鴎外!」
「黙れ!」
「黙んねぇよ。つーか黙らせてみろよ。それを出来るほどの実力があるのか? なあ兄弟子、いやこう言った方がいいか? 永遠の二番手!」
「黙れ!!」
鴎外の脳裏には日本にいた頃、十代の頃の記憶が走馬灯のように駆け巡っていた。ただの嗜みで始めた剣道だったが、竹刀を振るたびに研ぎ澄まされていく感覚が、身体に合った。何より心技体の精神が自身の心にすっと納まったのも大きかった。
そう、あいつが来るまでは。
何合も剣を打ち合うも、源之丞の機体への有効打は無く、逆にこちらが追い詰められていた。不意に味方機の様子をレーダー上で確認するが、そちらも一進一退と言ったところのようだ。
「余所見、脇見、まったく全然なっちゃいねえ!」
「……っ!!」
一瞬の隙をついて源之丞が打ち込んでくる。とっさに振り上げた剣で受けるも、角度が悪いのか、鈍い音を立てて、剣が折れる。
「おいおい、得物犠牲にするってなんだよ。興醒めだなオイ」
源之丞の太刀筋が不意に止まった。さも飽きたと言わんばかりの、いや実際に飽きたのだろう。そういう言葉を吐いていた。
だが、太刀筋が止まったのなら。
「だからあめーんだよ鴎外!」
左腕の内部機関銃を斉射しようとした瞬間、衝撃と轟音が響く。アラートが鳴り、モニター上に左腕破損の文字が並ぶ。
「剣がダメならテッポですってか? こんな簡単な引っかけにかかりやがって、情けないねぇ」
「源之丞、お前は昔からそうだったな」
剣道の道場に突然やってきた弟弟子が源之丞だ。竹刀など触れたことも無かった彼は小柄で、大柄な鴎外と比べれば筋力も技量も精神性も劣っていた。簡単に言えばやんちゃの盛りだったのだ。弟弟子を諫めようと精神性を説いたが聞く耳を持たず、あっという間に本当にあっという間に技量さえも追い抜いていった天才。師範はいつの間にか鴎外から源之丞へ期待の念を移し、気がつけば剣の道の頂点には奴がいた。
負けてばかりの日々に終止符を打ったのは、鴎外自身だった。この場所では自分がダメになると思ったのだ。十八で日本を飛び出してレルアバドの支援団体に入団し、気がつけばEb乗りになっていた。
しかし、そこにも源之丞はやってきた。初めは中国北部戦線、モンゴルでの戦闘だった。あの時も秘匿回線を用いて個別に連絡を取ってきていた。
「よう兄弟。久しいな」
あの悪辣な声を忘れたことは無い。当然のように鴎外の部隊はほぼ全滅。這う這うの体で帰還したのは、鴎外と数人の同僚だけだった。上司は皆殺しにされた。
また繰り返されるのか。アンゴラの悪夢やモンゴルの撤退戦も、未だに忘れたことなどない。目の前の悪夢は、一太刀で鴎外を殺せるのにも関わらず、愉快そうに悪意の笑みを浮かべたまま、目の前で悪夢を繰り返すのか。
「えーと、オーガイ・アイハラ。苦戦してるようだね? 僕が助けてあげよう」
突然通信に割り込んできたのは、コスタケルタ司教だ。この会談に付き添い出来ていたのだが、会談会場にも姿を見せず、本人曰く最低の宿で引き連れていた少女と過ごしていたはずだった。
「さあ、ブランシュ・ネージュ。首輪を主に返せ」
一瞬のノイズ。そのノイズ音に顔をしかめる鴎外は、何が起こったのかを理解できなかった。基本三機一部隊で組んでいるレルアバドだが、それがコスタケルタの言葉と同時に崩れた。四機構成なる部隊、二機構成になる部隊、それらが入り乱れながら、規則的にTAF勢力へ進攻を開始している。
「おいおい、鴎外。なんだ? こりゃどういう事だ?」
面白半分の声色で問いかける源之丞に言葉を返すことも出来ない鴎外も、今の状況を理解できない。
「何をした。コスタケルタ司教」
「コード:ブリージンガメン。まあ君には関係のない話だよ。その大罪機にはこの機能は含まれていないし、仮に含まれていたとしてもオーガイ・アイハラには効果が無い。だってそうだろう? 卓越した技量を持った君には無用の長物だよ。さあ、踊れブランシュ・ネージュ」
レーダー上に移る一機の機体が、部隊を乗り換えながら、敵戦力を制圧していくのが目に映った。その速度は異常そのもので、撃墜数もさることながら、部隊の損耗率も異常に高い。さながらチェスのようだと思ったのは間違いではなかった。
駒を生かしながら戦う将棋と異なり、チェスは味方を殺しながらゲームを進める。いかに効率よく味方を殺し、敵を追い詰めるか。そういうものだと聞いた事がある。
だが、戦争はゲームではない。そこに人間の命があり、敵味方問わず、そこには確かに命がある。それをこんなゲームのように殺していいはずがない。
「へぇー。なかなかやるじゃねえか鴎外。お前にしてはいい作戦だ。見直したぜ」
「違う。おれは」
「いいってことよ。こりゃお前の作戦勝ちだ。ったく、こんな隠し玉持ってるとか聞いてねーぜ」
「待て、こんなことは」
「いいから黙れ。今てめーの寝言に付き合ってるヒマなんかねーんだよ。クソペテン師が」
「だから話を」
「あばよ。くたばれクソ野郎」
呆然としながら鴎外は成す術も無く、源之丞の背中を見送った。火器は使用不能。仮に使用できたとしても、背中から撃てるほどの気力も残っていなかった。
「各機に告ぐ。戦闘を停止しろ。TAFは撤退を始めている。追撃は不要だ」
撤退するならばさせればいい。今回護衛に連れてきた部隊の損耗率は激しく、死者は二桁に上っている。各機のバイタルデータを表示させながら、状況の悪さに苦虫を噛み潰す。
「命令の受諾は不可。コード:ブリージンガメンに従い、敵残存戦力を殲滅します」
機械的に答えた声は、ラクシーの物だ。いや、声は同じだが、その声に一切の感情がこもっていない。
「ラクシー、今回は会談がメインだ。敵の急襲は終わった。状況は終了だ」
「状況は現在、コード:ブリージンガメンにより、殲滅戦へと移行し……」
唐突な爆音が耳小骨スピーカーに響く。ラクシーのバイタルデータを確認すると、DEADの文字が表記されていた。
言葉を失った。耳に残る残響音、感情を失った声、唐突に失われた命。ラクシーはこの会談の為にレルアバドが提供できる支援物資の調達を行っていた。パプアニューギニアは小国で、スラム街も多い。そういった現状を打破すべく支援物資は必要不可欠なものだった。レルアバドは輸送力の強い企業も多く抱えている。元は世界中へと支援物資を届けていた団体なのだ。だからこそ、それに賛同するもの多く、貧困層の人々からの支持が厚い。ラクシー自身も貧困層の人間だった。スラム街で数多くの友人を飢餓で失い、そのことがレルアバドへ入るきっかけになった。本当はEbに乗るよりも、こういった支援物資を適切に分配する事に頭を使う方が向いている人間だったのだ。
「ラクシー」
「報告が中途になっているため、引き継ぎます。殲滅戦達成率六十パーセント。目標との距離は開いています。現在、ブランシュ・ネージュの盾として砲弾を受け止めています」
「カイル、お前までどうしたんだ。しっかりしろ」
護衛役として同行していたカイルは、結婚式を教会で上げたため、恋人を失っていた。純白のウェディングドレスと教会の壮麗さ、宗教色など気にも留めず、ただ美しいから、それだけの理由で行ったのだと本人は漏らしていた。そんな美しいものを単純に守りたい。それが志だった。飄々としながらも根は優しく、周囲を明るく取りまとめる才能があった。
同じように浮かぶDEADの文字。ブランシュ・ネージュの乗る機体の盾になって命を散らす必要は無かった。状況は終わっている。撤退する部隊を深追いする必要は無い。
「なぜだ。なぜ、こんなことに」
「オーガイ献体司教。なんて声を出しているんだい」
「コスタケルタ司教。これはどういうことですか?」
「どういうって、ブリージンガメンのテストだよ。どうやら、フレイ&フレイアにも影響したみたいだね。ああ、そうか管理クラウドに一斉送信されているのか。これはもう少し見直した方がいいな」
「今すぐこれを止めろ。こんなものは作戦ですらない!」
「止める? なぜ? 現在敵戦力の役七割に致命的な被害を出している。こちらの損耗率も高いけれど、ああ! 素晴らしい! フレイの方ではこんなにも状況が一方的じゃないか!」
「やめろ。やめてくれ」
なおも興奮し続けるコスタケルタに鴎外は力なく声を漏らすも、それが届くことは無かった。一方的な殲滅戦。そして敵味方に損害を出し続けながら続く死出の道は、日が暮れるまで終わることは無かった。