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∞ Early Barrel  作者: 光波昂冶
序章
8/12

7. 停戦協定

 ストークから降り立つと、馴染みの湿気と暑さが肌をベタつかせた。磯の香りと照り差す陽光、それらは懐かしさを彼に感じさせると同時に、哀惜(あいせき)の念を(いだ)かせもした。

 十八で献体に志願し、気がつけば四十の壁を越えていた。干支を一周し、それで手に入れたものは、献体司教の肩書きと、仲間の死の重みだった。何も手に入らず、失うばかりの半生だったと彼は思っていた。拾いきった命の数は多い。しかし取りこぼした命の数も幾多に昇る。


「まったく潮風がベタついて嫌になるよ」


 道同する中で延々と喋り続けていたこの男は、マリオ・コスタケルタ司教だ。カトリック教会から正式に任命された彼は、正真正銘の司教で、信者だった。自分のように一つの信仰も持たずに献体司教などと呼ばれている身とは、中身が異なっていた。


「君の故郷もこんな感じなのかい?」

「ええ。この風には故郷の島国を少しだけ感じられます」

「郷愁に入るのはいいのだけれど、うまく事を運んでくれる事を願っているよ」

「それはもちろんですよ」


 潮風に故郷を感じるのだが、この熱気は故郷のそれとは異なっていた。日本の気候はここまでの暑さを(はら)んでいない。

 相原鴎外は、パプアニューギニアの熱帯地域独特の植生を、細目に見て気持ちを切り替えた。

 現在のパプアニューギニアは、レルアバドにもTAF(タフ)(国家連合軍)にも属していない。TAF側はオーストラリア侵攻への足掛かりとして、内々にパプアニューギニア政府に接触しているとの情報があった。仮にパプアニューギニア政府がTAFに(くみ)した場合、オーストラリア戦線は混迷期に入るのは明白だった。

 要らぬ人死にが増えるのを危惧した鴎外は、これを阻止するためにパプアニューギニア政府との直接交渉に来たのだった。


「時にコスタケルタ司教。その連れの少女は?」

「これはブランシュ・ネージュ。まあ保険みたいなものさ。ほら、挨拶をしろ」

「はじめまして」


 雪のように白い肌、黒檀の髪に赤い瞳、その姿は童話の白雪姫を彷彿とさせる。均整の取れた面差しは幼いが、それ以上に感情を見せない表情が、人形然とさせているのが気にかかった。

 無表情、無感情の挨拶に鴎外は眉を寄せながらも、丁寧に挨拶を返す。


「さあ、こんな蒸し暑いところから、早く冷房の効いた場所へ行こう」


 鴎外は頷き、コスタケルタの後を追った。

 空港に併設されたホテルは、ユーラーラのそれと比べると幾分も下回る出来だった。鴎外としては、ベッドがあるだけで充分なのだが、コスタケルタは見るもの全てに眉をつり上げ、ため息の数もさることながら、口をついて出る不満が止まることは無かった。

 一応ながら、レルアバドの要人とされる身分に身を置く鴎外とコスタケルタ。この二人の他に数名の護衛兼交渉官を伴っての宿泊なので、パプアニューギニア政府もそれなりに気を使ったホテルを用意していた。

 元リゾートのユーラーラに比べれば劣るのだが、安宿というわけでもない。鴎外にはそれがわかっていたのだが、コスタケルタを(いさ)める事はしなかった。


「この手合いは、自尊心が高いからな。一の言に百の言を返されてはたまらん」


 と自嘲気味に苦笑するに留めた。

 政府との会談は明日の午後に予定されていた。交渉の手順は既にまとめていたので、今日一日は久しぶりの自由な時間を取れる。ここ数ヵ月はこの政府会談用の交渉材料集めや、政府要人への根回し、会談書類の取りまとめなど、多岐に渡る激務に明け暮れていた。お陰で得られた仲間からの信頼や、会談に向けて好感触を与えてくれた政府の対応を感じると、自然と為すべき事を為している実感を得られた。


「オーガイさん」


 ホテル併設のカフェでコーヒーを飲んでいた鴎外は、不意にかけられた若い男の声に、物思いから覚めた。


「どうした」


 栗毛を揺らす彼はロシア人のゲンナジー・サドワ。年は若いが、柔軟な思考と冷静な分析力が優れる秀才だ。鴎外にとっての右腕と言っても過言ではない。


「いえ、せっかくの休暇ですので、夕食をご一緒したいと」

「気を使う必要は無い。この数ヵ月休みも無く、おれにこき使われたのだから、仲間内で存分に愚痴をこぼしなさい」

「愚痴なんてとんでもない。俺達、オーガイさんと一緒に仕事が出来て、すごく嬉しかったんです」

「はは、世辞でも嬉しいよ」

「本当なんです。では夕食には参加してくださいね」

「わかった」


 鴎外は軽い笑みを返しながら、ゲンナジーの誘いを了承した。

 二十代から三十代までの若いチームで組まれた彼等と、四十を越える鴎外では、立場も世代も異なる。それ故に、信頼は有りつつも口やかましい鴎外を、若い連中は多少なりとも鬱陶しく感じているのだろうと考えていたが、先程のゲンナジーの言葉からすると、ただの杞憂であったのかもしれないと、苦笑いをこぼした。

 日が陰り始める中、鴎外はあの女性献体司教の事を考える。金の髪と透き通るような青い瞳。整った顔立ちに差し込む憂いに、色香を感じるのは、久しく女を忘れていたせいだろうか。

 落ち着きを持ちながらも、芯の強そうな所には好感を持てた。今頃彼女は『フレイ&フレイア』に参戦していることだろう。

 先の彼女とのやり取りを思い出す。戦場においての人殺しの意味。あまりに多くの命を絶ってきたからこそ、出来るだけ命を拾いたいと、自分で(こころざ)しながらも、それが偽善だと言うこともわかっていた。実際に彼女の言った通り、逃がした敵兵に仲間を無惨に殺されたこともあった。

 だが、そうだとしても殺す事を肯定し、抱える良心の呵責に慣れてしまいたくは無かった。


「あくまでも、おれ個人の問題、だな」


 すっかり温くなったコーヒーを飲み干しながら、鴎外は彼女が、自分の余計な言葉が、彼女の身に迷いを生じさせなければいいと思った。


 夕食は和やかな雰囲気で行われた。メンバーが若いせいもあるのだろう。自然と会話の内容は、明日の会談の事から私生活、主に恋愛や結婚、俗っぽく言えば女の話に移っていた。


「俺としては、カーラがいいと思うな」


 酒が入り頬を上気させたラクシーが、自身の胸の前で、手を弧に描く。


「おい、オーガイさんの前だぞ」


 たしなめるゲンナジーだが、その声には笑みが含まれている。


「いや構わない。確かにカーラは胸が大きいからね」

「わかりますか? 女は胸ですよね」

「はは、それには同意しかねるな」


 ラクシーは口をへの字に曲げ、鴎外を半顔で見ていた。これくらいの軽口が言い合える関係など、彼等の年の頃には持っていなかったものだ。不要だと言い聞かせていた昔の自分の(かたく)なさに、苦笑いを浮かべる。


「そうだよラクシー。オーガイさんは胸の小さな女性が好みなんだ」


 突然言われた言葉に、鴎外は目を見張る。


「そうですよねオーガイさん。ほら、日本人はみんな胸が小さいから。何て言いましたっけ? ヤモトヴィジョン?」


 カイルのとぼけた言葉に、鴎外は苦笑を返す。


大和美人(ヤマトビジン)と言いたいのかな? 間違いでは無いが、大和撫子(ヤマトナデシコ)が正解だ」

「ほら見ろラクシー。やっぱりオーガイさんは胸の小さな」

「じゃあ、新しい献体司教なんか好みの女性じゃないですか?」


 重ねるように飛び出したロハンの声に鴎外は言葉を失う。


「バカ。仮にも献体司教だぞ。オーガイさんは許してくれるけど、あの人は無理だろ」


 新しい献体司教と聞いて、不意に彼女の事を思い出す。


「確かに、あの方は無理だなぁ。俺らが許しても正教会の奴らは眉を吊り上げて、ぶちギレるな」

「ん? その新しい献体司教殿は、正教会の人間なのか?」


 鴎外は彼女を思い浮かべていたが、思わぬ宗教の話が出て来たので、疑問を挟む。


「いえいえ、正教会(彼等)が勝手に言ってるだけですよ」

「そうそう。《被弾しない乙女(フライング・メイデン)の再来》なんて呼ばれてるんで、聖人指定したいみたいなんです」


 意外な言葉ばかりが続き、鴎外は困惑する。

 鴎外の知る彼女は、Eb乗りの献体司教だ。そもそもからして、正教会の関係者では無かったはずだった。

 正教会は、キリスト教の、カトリック、プロテスタントに並ぶ三大宗派の一つだ。奇蹟の使い手──例えば、死後腐食しない体を持つなど──を聖人指定し、教会の聖人に重きを置く信仰だ。

 レルアバドの立役者《被弾しない乙女(フライング・メイデン)》は、死後に正教会で、聖人指定され彼等の中には、彼女を信奉(しんぽう)するものも多い。


「しかし戦績を残した女性献体司教など、他にもいるだろうに」


 鴎外の知る限り、数こそ少ないものの女性献体司教はいるのだ。彼女だけが特別と言うわけではない。

 彼女の戦績を詳しくは知らないが、イスラエルにいるファティマほどの戦績を挙げているとは思えなかった。


「名前が特別なんですよ」


 鴎外の疑問に答えたのはゲンナジーだった。


「彼女、エリスって言うんです」


 名を聞いた瞬間に、鴎外の背筋に走った緊張は、彼の目を大きく見開かせた。


「彼女は、エリスと言うのか」

「はい。エリス・コーエン献体司教。ドイツ戦線の立役者で、確かポツダムを解放されたのってコーエン献体司教だったはずですよ」


 エリス・コーエン。鴎外は口の中でその語感を噛み締めながら、彼女が《被弾しない乙女(フライング・メイデン)の再来》と呼ばれる理由に納得した。

 《被弾しない乙女(フライング・メイデン)》レルアバドの理念を体現した女性。

 戦地に(おもむ)いて、銃弾吹き荒れる中、人型支援機──後のEb(イブ)GIA(ギア)の原型──で戦争の被害者達へ支援物資を届け続けた女性だ。

 いかなる激戦区であろうとも、一切を殺さず、そして自身はけっして被弾せず、人々を救い続けた救世主。鴎外自身も彼女への憧れはあるのだが、一切を殺さぬ事が出来ない故に、遠い存在に感じていた。

 しかし、あの献体司教の名が『エリス』ならば、正教会の人間が祭り上げようとするのも頷ける。

 それほどまでに『エリス』と言う名前には意味がありすぎた。


「そうか。彼女には大きなものを背負ってほしくないものだがな」

「やっぱり、オーガイさんは胸の小さな女性が」

「そこまでにしておけよ」


 ロハンの言葉を(さえぎ)ったゲンナジーは、鴎外に頭を下げる。


「気にするな。おれに浮いた話の一つもないのがいけない」

「やっぱオーガイさんは器がでかいっすね」


 その後は各人の恋愛話に移り、話にひと段落着いたところで鴎外は席を辞した。若さ特有の眩しさに目を細めながら。


 翌日の会談は、滞りなく行われた。元々この会談自体が極秘なので、邪魔が入ること事態が問題なのだが。パンプアニューギニア政府は、情報通りTAFの拠点を作る事に半ば同意しかけていて、それに対する経済効果の指標も渡されていた。政府としてはこの経済効果を無視できなかったが、鴎外の提示した世情の混迷による経済的な混乱、人員的な混乱のデータを示すと、政府関係者はTAFとの協調路線を破棄し、レルアバドとの協調路線に方針を変更したいと申し出てきた。

 三日間に渡る会談で、ようやくレルアバドとパプアニューギニア政府との停戦協定、協力協定が結ばれようとしていた。

 調印を済ませる為、鴎外が印鑑を持ち上げた瞬間、それは起こった。


 鳴り響く爆音は、高度から落ちてきたGIA(ギア)の着地音だった。


「敵襲か?」


 窓の外を瞬時に見た鴎外は、そこには戦場では見慣れないGIAが降り立っていた。


「嗅ぎつけられたのか」


 鴎外の独り言をよそに会場内は混乱に陥っていた。TAFの急襲は、間違いなくこの調印を阻止するためのものだ。そうなれば、この場にいるレルアバドの人員、さらに言えば政府関係者の粛清も範囲に含まれる可能性が高い。政府の首を挿げ替えて、傀儡(かいらい)にすることなど、TAFの政治手腕をもってすれば容易だからだ。


「オーガイさん! あの機体はなんですか? 新型機ですか?」

「違う。あれは日本製のGIAだ」

「日本製?」

「ああ。厄介なのが来た」


 同席していたゲンナジーに言葉を返す鴎外は状況の深刻さを口にして、その事実の重さを改めて認識する。あれは秋森重工の作った新型GIA。コンセプトは(サムライ)で、接近戦に特化した機体だ。戦場を重ねるごとにバージョンアップしていく機体は、現在個人が所有するに留まる機体だ。


「日本がGIA産業に進出するなんて」

「いや、進出はしていない。あれはあくまで個人使用の機体だ」

「そんなこと有り得るんですか?」

「有り得ているんだ。それよりも、あれが出てきたのであれば、こちらも打って出るしかない。ゲンナジー、至急ストークをこちらに呼び寄せろ」

「了解しました」


 嫌な予感しかしなかった。目の前の機体があるという事は、あいつ(・・・)がやってきているという事なのだから。

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