4 死神は暗夜に岐路に立つ
エリスがユーラーラ支部に来てから、三ヶ月が過ぎようとしていた。威力偵察の撃退や、リオの機体調整に付き合っている内に過ぎた日々だったが、この三年間、ドイツ戦線にいたことを思えば、穏やかな日々と言っても過言では無かった。
現在のエリスは、小隊を任されている。国籍も信仰も異なる小隊の四人。ジム、アレクセイ、ヤコブ、ノアは付き合い易く、Eb搭乗後でなければ、酒を飲み交わすくらいの関係は築けた。
大きな作戦が無いまでも、ただの偵察で命を落とすのが戦場だ。現に威力偵察を行ったTAF側の兵と、それを撃退したレルアバドの献体者を合わせると、それなりの戦死者を出している。
明日は我が身、と思いこそはすれ、操縦を物にした《バレルビート》に敵う機体など、そうそういないだろうと、エリスは考えていた。
「自分よりも、あの子達の方が、先に死ぬかも知れないわね」
「姉御、なんすか?」
スラング混じりのアメリカ英語を使うジムは、オープン回線が拾ったエリスの独り言に反応する。もっとも誰も内容は聞こえていないようだが。
「何でもないわ。余計な事を気にしてる暇があるなら、索敵に集中しなさい」
「了解」
「ホント、返事だけはいいのよね」
前衛と索敵を勤めるジムは、強襲兵装型Eb-5027に乗っている。汎用機のマルス改とは、素体規格の異なる旧フォルワインド社の高機動型テュールの改良型だ。
ドイツに拠点を置いていたフォルワインド社だが、先の第四次世界対戦で拠点は壊滅し、同社が所持していた人型戦闘機テュールとユピテルの設計図は、一度失われた。
現在、世界中で使われる人型戦闘機は、アメリカ合衆国のイグニス社が汎用機として、出回っている。レルアバドは高火力型のマルスを、TAFは総合汎用型のシャムスを主力として使っていた。
世界的に最も優れた性能を持つ人型戦闘機。それは現在ではイグニス社がトップなのだが、実際の設計プランでは、失われたフォルワインド社が二世代ほど先を行っている。
その失われた技術を復活させたのが、このオーストラリアだった。今、オーストラリアではテュールとユピテルの二機の量産が進んでいる。
「アレクセイ、機体の調子はどう?」
「良好。マルスより扱いやすい」
「なら次の作戦はいけるわね」
「問題ない」
エリスの小隊は、全ての機体がフォルワインド社製の人型戦闘機になっている。全機体にAHシステムを組み込み、哨戒任務や模擬戦を繰り返し、各人の連携や機体の調整を行っていた。
エリスは、オーストラリア初の大規模戦闘に備えていた。戦場はアデレード東方になるはずだった。
何度か小競り合いが続くアデレードに、TAFが本格的な侵攻を仕掛ける様子があると、情報が入ったのだ。
アデレードはテュールの生産拠点の一つ。ここを失えば、TAFにテュールの情報を奪われる事になる。
絶対に阻止しなければならなかった。アデレードの防衛戦力は、今までに無いほど高まっている。
今回の防衛戦では、エリスの小隊の他に、ハルクの小隊と、殲滅王カーツの参戦もあると言う。
ハルクとラタナの機体は、遊撃に適した仕様だ。ラタナのガイザーレオンによる撹乱、ハルクのガイザーウィングによる索敵。後方に下がれば合体し、超長距離からレールガンを放つ。
エリスの機体も機体の各所に取り付けられた砲弾、ミサイルが敵機を蹂躙する突撃型砲台となっている。
カーツの機体はわからないが、殲滅王の名からして、突撃型なのは間違いない。リオの命名だと《ブリット・ストライカー》と言うらしく、砲撃仕様なのだろうくらいしかわからなかった。
リオの設計プランは、基本的に一騎当千だ。一個小隊を撃退する機体が三機、それだけでも充分過剰戦力と言えるだろう。
事実、今回のアデレード防衛戦は、レルアバドの圧勝で終わると考えられていた。配備数が少ないにしても、TAFのGIAを超えるテュール、ユピテルの導入、献体司教の参戦、情報では敵戦力よりレルアバドの戦力の方が勝っていると言う。
しかしエリスは、戦力=勝利とは考えていなかった。圧倒的な力があろうとも、何かの瞬間にそれが覆る事を知っていた。ドイツ戦線でも、過去の戦場でもそれはあり得た。
「ヤコブ、反応が遅いわ。哨戒任務とはいえ、実戦を意識しなさい」
「うす」
「はは、姉御は厳しいなぁ。でもヤバくなったら、姉御がなんとかしてくれるんでしょ?」
「そうね。ドッグタグぐらいは拾ってあげるわ」
軽い口調で言うジムに、エリスは皮肉で返す。だが、実際に小隊の誰かが窮地に陥れば、救出に向かい、彼の言うとおり、なんとかしてしまうのだろう。
そうぼんやりと思わせるほどに、バレルビートは凄まじい機体だった。
哨戒任務を終えたエリス達は、Eb輸送機《ストーク》に乗り込み、ユーラーラ支部へと帰還する。
格納庫に降り立ったエリスは、彼女からすると情けない、しかし一般的にはありふれた光景を目にしながら、小隊のメンバーへ労いの言葉をかける。
青い顔をしたジムや、その場にうずくまるアレクセイ、首を振るヤコブ。ノアだけが、何の表情も浮かべずに立ち尽くしていた。
「ノア、貴方大丈夫?」
「……」
「ノア?」
「あ、はい? あぁ終わったんですね」
「そうよ。調子が悪そうね」
「悪くて当たり前っすよ。姉御みたいに、頑丈じゃねーっすから」
エリスの言葉に苦笑混じりに言うのはジムだった。
「まったく情けないわ。と言いたいところだけど、こればっかりは体質なのよね、きっと」
エリスはいまだにボンヤリしているノアに付き添って、医務室へと向かう。途中、何度か目の焦点が合わなくなったノアを揺り起こしながら、到着した先には、久しく見ていなかった鴎外の姿があった。
「AH酔いですか?」
Eb搭乗後の体調不良は、俗にAH酔いと呼ばれている。AH搭載機のみに起こる症状の為、自然と広まった呼称だ。
エリスからノアを引き取った鴎外は、医者に彼を引き渡す。白いシーツにくるまれたノアは、早くも寝息を立てていた。
「助かったわ」
「それほどの事はしてません」
医務室を出た二人はなんとなしに並んで歩く。
「久しぶりに見たわ」
エリスは呟くように言葉を漏らす。鴎外が疑問を浮かべた表情をしているので、エリスは言葉を繋ぐ。
「AH酔いのひどいやつ」
「ひどいやつですか?」
「ええ、激戦区ではよく見たのだけど、あれって搭乗時間とは関係ないのね」
「おれにはよくわからないのですが、彼はどうなっていたのですか?」
「知りませんか? Ebに長時間、いえこれだと間違いね、AHシステムを長時間繋いでいると、意識が飛ぶのよ」
「初耳ですな」
「もちろん個人差はあるわ。普通にAH酔いだけで済む人の方が多いし。まぁ平気よ。すぐに元に戻るから」
「そうですか。まあ、そうでしょうな」
鴎外はエリスの言葉に頷いてはいたが、納得はしていなかった。
人の思考と機体の動きを連動させ、より精密な操作を可能とするAHシステム。
だが、リオが言うにはブラックボックスの塊で、実際のところ何をやっているのかはわからないとのことだ。
思い返して見れば、鴎外にも心当たりがあった。自身の小隊では無いが、何人かが酩酊した様に意識を無くしていたはずだ。
「どうかしました? 恐い顔をしてるわ」
「あぁ、すまない。それよりこれからどちらへ?」
「小隊の様子を見に格納庫へ」
「その後は何か」
「後はリオの機体調整を冷やかすわ」
「そうですか。いえ、そうですね」
「鴎外はやっぱりおかしな人ね」
「そうでしょうか?」
「ええ。そうよ」
エリスは二、三歩前に駆けると振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。
「こういう時は「食事でもどうですか?」でいいんですよ」
「はは、不勉強なもので」
「そうね、二時間後にホテル・ヴィスタネチアのバーでどうかしら?」
「わかりました。お待ちしてます」
「それでは」
エリスはヒラヒラと手を振りながら、格納庫に向かっていく。鴎外はその背中を見送りながら、溜め息を一つ。
「また名を聞きそこねるとは、不甲斐ない」
鴎外の溜め息に気がつかないまま、エリスは通路の奥へと消えていく。鴎外は首を少し振り、気を取り直して、彼女とは別の方向へ歩いていくのだった。
夕刻と呼ぶには明るすぎ、昼と呼ぶには空に星が見える時間、エリスはバーラウンジにやって来た。
バーには既に幾人かの客が、思い思いに酒を楽しんでいる。
鴎外の姿を見つけたエリスは、彼に軽く手を振り、彼も目礼で返事をする。
席に着いた二人は、互いにビールの小瓶を打ち鳴らし、運ばれてきたツマミに手を伸ばす。
「暑いから、塩気のあるものはいいわね」
「そうですね。ビールにナチョスはよく合います」
パリパリの食感のチップスに、チリビーンズとチーズ。塩分過多なのは否めないが、汗をかいた身体は塩分を強く欲していた。
この料理には、コロナビールがよく合う。ライムを落とした爽やかな苦味が口に広がり、ナチョスの塩辛さをほどよく中和してくれる。
「それにしても、こんな老躯が相手で良かったのですかな」
「老躯って、鴎外は四十くらいでしょ? 老人と呼ぶには現役で戦場に出すぎだわ」
リオから鴎外の話を聞いていたエリスは、鴎外がどれほどの戦場を駆け回っていたかを知っていた。
『殺さずの怪物』
彼にはその通り名が付いていた。リオにカスタマイズされた専用機Eb-5632《クレイジー・バーニア》に乗り込み、オーストラリア戦線を支えてきた人物だ。
メルボルンこそ落とされたものの、アデレードまでの侵攻は許さない。
さらに敵味方問わず戦死者を出さないことでも有名らしい。
日本人は無益な殺生をしないのだとか言うが、戦場において敵を殺さずにおくことの難しさは、口で言うほど容易くは無い。
正直、殺してしまった方が楽なのだ。敵機を完全に破壊してしまえば、それ以上の攻撃が向けられることは無い。敵兵士を逃がせば、再度GIAに乗り込み戦場に戻ってくる心配があり、捕虜にすれば食料の問題や監視の手間といった別の心配が出てくる。
逃がすも捕らえるも効率的でないのだ。手向かう敵は、排除するしかない。
これがエリスの考え方だった。
しかし、レルアバドは各種信仰が寄せ集まった団体だ。各々の信仰や教義に差異はあるものの、ほとんどの宗教は、殺人を良しとはしていない。たとえそれが誰かを守る為の戦いであったとしても、人を殺すことは善ではないのだ。
向かい来る敵を排除し、防衛を行う。その精神は尊く、素晴らしいものだと頭では理解していたが、逃がした敵が、味方の頭を撃ち抜く事を、エリスはどうしても納得できなかった。
「どうされました」
エリスのそんな心情を読み取ったのか、鴎外は柔和な笑みを浮かべて問いかけた。
「いえ、不思議ですよね。同じ戦場に立っているのに、私達と鴎外では別の事をしているように思えて」
「ふむ、どういうことでしょうか」
「つまり」
エリスはコロナで唇を湿らせると、考えていることをそのまま口にした。
戦争を行っているのだから、人を殺すことは仕方ないことだと。事実、殺してしまった方が戦況は優位に動くと。否定的で攻撃的な口調になったのは、何故かはわからない。ただ、じっとこちらを見つめ、相槌を打つ彼の姿が、静かな湖面のように感じ、その鏡のような水面に自分の醜さのようなものが映っているように思えたからなのかもしれない。
「なるほど。何故殺さないか、ですか」
「ええ。ごめんなさい。AHのせいかしら、こんなに言うつもりは無かったの」
「いえ、正直な気持ちだとおれは思いますよ。貴女の考えは正しい。戦場で人を殺める意味など、そんなことを考えている間に、死ぬでしょう。事実、人を殺めることに苦悩した仲間は死に、それを割り切れたものは生き残った。
おれもそうでした。戦場に慣れるにつれて、人の死を、特に敵の死などは意に介さないようになっていました」
悔恨の残る表情で語る鴎外の中に、激しい怒りの感情があるのがわかった。
「おれは多くの兵を殺しました。敵も味方も。いまさら彼らに対して贖罪なんて、傲慢なことは出来ない。だが、生まなくてもいい憎しみの連鎖を作らないですむのならば、そうしたい。ただ、そう思っただけなのです」
「憎しみの連鎖?」
「ええ。仲間が死ねば、いえ殺されれば敵を恨みます。それはこちらも向こうも同じことです。互いに憎しみを募らせていった結果、第四次世界大戦は起きたのですよ」
「そうね。そうとも言えるかもしれないわ」
信仰を持つものと、持たぬもの、互いに互いを殺し合い、憎しみを加速させた結果の世界大戦。
第四次世界大戦はそういった見方もできた。終結を迎えて三十年を経た今をもってなお、その爪痕は強く残っている。
当時の傷を引きずる者も、ドイツの様に渦中にある者も、そうでない者も、互いに信仰と言うものに縛られ、憎しみをもって、力をもって、全てを解決に向かわせようとする。
その憎しみの連鎖を立ち切る為に、敵も味方も殺さない。
この男はそれほどに研鑽を重ね、それを成す強さを手に入れた。殺すことしかしてこなかった自分とは大違いだ。
エリスはそう思うも、やはり自分の生きてきた屍の道を、これから歩いていく屍の道を否定は出来なかった。
そんなものはきっと……
「それはとても正しいけれど、理想論よ」
「理想なくして、意地は貫けませんから」
瞬巡する間もなく返された言葉に、エリスは言葉を失う。
「おれは誰にも死んでほしくない。ただそれだけです」
それは信仰にも似た理想。
「守れるならば敵も味方も守りたいのですよ」
鴎外の強さに、エリスは言葉も出せずに目を逸らしたのだった。