3 虚ろな瞳の少年兵
戦場はいつだって変わらない。今も昔も硬い鈍器で殴り付けて、銃を撃って、人を殺すだけ。
殺した数だけ食べ物が貰える。それは今も昔も変わらない。
戦場なんて、どこも同じだ。いつだって同じだ。
カーツ・エルンストは敵勢力の最後の一機を沈黙させ、死体の山となった戦場を、全天モニター越しに見下ろしていた。
憮然とした灰色の瞳は、すでに戦場の惨状を視界に入れていない。
「クッキー六枚」
ぼそりと呟く言葉は、彼の幼さをそのまま表したものだった。年齢的にはもうじき十九になる。だが戦場のみで生きてきた彼の人生は、本来持つべき感情や成長を与えることは無かった。
物心ついた時には、ドイツの片田舎で銃を握っていた。長身の銃器は幼かった彼にとっては重く、重力に任せて振り下ろせば、それはそのまま敵に死をもたらした。
敵三人につき、クッキー1枚。それがレルアバドに保護されるまで続いた彼の報酬だった。故に、その時の名残で今も敵を殺した数をクッキーで換算している。
「エルンスト、作戦終了です」
耳小骨スピーカーから、男性オペレーターの声が聞こえた。
「エルンスト、作戦終了です」
「聞こえてる」
「なら返事をしてください」
「次はオンナのオペレーターにしてくれ」
カーツはそれだけ告げると、自身の機体を旋回させ、収容航空機《ストーク》に帰投する。
現代の戦争は、人型戦闘機による戦闘がほとんどだった。ゲリラ的に対人戦闘はあるのだが、そんなことはドイツなどの混戦地域か、貧困層の暴動ぐらいでしか見られない。
人型戦闘機が主流となった背景は、いくつかあるのだが、その一つが航空戦闘機の衰退である。石油燃料の枯渇により、航空機自体が戦争コストに見合わなくなったのもあるが、核融合技術の短所が衰退を加速させた面が大きい。
現在の核融合技術を使った《核融合エンジン》は、地上六百メートルを越えると、核融合反応が止まってしまう。
原因は今をもって不明で、単純に気圧の問題では無いことだけがわかっている。
故に航空機は、地上六百メートル以下での航行を余儀なくされ、航空機での戦闘はそのまま対空ミサイルの的になるだけとなった。
さらに第四次世界対戦以降、急速に前進した戦災支援用の人型ロボット技術が、人型戦闘機に転化したのだから、争いが人類の進化を促すという言葉に納得せざるを得ない状況だった。
ENE搭載型人型戦闘機、世界的にGIAと呼ばれるものだが、レルアバドでは、独自のAHシステムを組み込んだものをEb(エリスの祝福)と呼称していた。
カーツは足をカタカタと小刻みに鳴らしながら、苛立ちを堪えていた。
「この時間はキライだ。ストークが飛びたって、到着しなければ、クッキーがもらえない。前のところでは、すぐくれた。でも前のところはケーキが無かった。今はある。今日は何が食べられんだろう。早く着かないかな」
カーツの独り言は、ストークがユーラーラに到着するまで続いた。
夕日が差し込む格納庫に、エリスとリオはいた。現在待機命令の出ているエリスは、暇をもて余していた。この場所に知り合いは無く、ハルクとラタナはデートに出掛けているし、鴎外はそれほど親しいわけでも無く──そもそも支部で見かけなかった──コスタケルタとは話をする気も無く、必然的に格納庫に足を運んだ。
案の定、リオや他のメカニック達が、Ebの整備を行っていて、手伝いを申し出たら、AHシステムの調整と、駆動系の調整の為にバレルビートを動かす事になった。
ロボットマニアを自称し他称されるリオは、嬉々として思う存分、調整を行い、気がつくと日が暮れていた。
「ほらほら来よった。あれが殲滅王の部隊やで」
ストークが滑走路に降り立ち、格納庫に入ってくる。ハンガーデッキからその様子を見ていたエリスは、殲滅王という言葉に不穏なものを感じる。
「撃墜王じゃないの?」
「いんや、カーツは殲滅王やって。皆殺しのカーツとかって呼び方もあるんやけど」
「どっちにしても、穏当な二つ名じゃ無いわね」
「戦場の死神もどっこいどっこいやと思うわ」
「身内には呼ばれてないわ」
不満げに言うエリスだったが、突然「あれや!」とリオが指差す方へ意識を向けられた。
茶色の短髪が、まず目に入った。小柄な痩身は、少年のようにも見える。
「あの少年兵が殲滅王なの?」
少年兵はレルアバドでは、禁則事項となっている。レルアバドは、戦災地で少年兵や難民となった少年少女を保護し、安全な地域の里親に預け、カウンセリングや教育を施している。
里親には、レルアバドの関係者もいたが、大抵の里親はレルアバドの理解者だ。故に里親の元で育った子供が、後にレルアバドに参加する事も珍しくない。
「少年兵ちゃいますよ。あれでちゃんと大人。十八歳のルーキーなんよ!」
「子供には違いないわ。わざわざ献体になる事も無いでしょうに」
「んー、そこんところは、わいにはよーわからんとです」
「なら、本人に聞いてみるわ」
「さいですか」
エリスは軽く手を振ってリオと別れ、格納庫から姿を消しつつある茶髪の少年を追いかけた。
カーツは早足でどこかへ向かっていた。エリス自身は足が遅いわけでは無いのだが、小走りになるのだから、カーツの急ぎ具合は尋常でない事がわかる。
ぼんやりとトイレかしら、などと思っていたら、彼は食堂に飛び込んでいた。
レルアバドの食堂は基本二十四時間営業だ。これはメカニックの労働時間が深夜に及んだり、早朝の出撃があったりと、人の出入りが絶えない支部では、このような制度になっている。
また宗教上の理由で、夜明け前に食事を取る者もいる為、彼等からするとありがたいのだそうだ。
カーツはお菓子の並ぶ小棚から、クッキーの袋を一つ殴るように掴むと、そのまま会計に向かう。
<腕輪型電子マネー>で支払いを済ませると、その場で袋を破き、数枚のクッキーを口一杯に放り込んだ。
リスのように頬を膨らませて、憮然とした表情のまま席に着いた。
Eb搭乗後の高揚感がもたらす作用だろうか、とエリスは思いながらも、カーツの向かい側に腰を下ろした。
カーツの視線がクッキーの袋から、エリスに向けられる。灰色の瞳が、エリスの青い瞳を疑心暗鬼に見ていた。
不意にクッキーの袋を抱えるカーツは、口の中のクッキーを飲み込み、エリスを睨んだ。
「これはオレのだ」
目の前にいるのは、間違いなく少年だ。お菓子を取られまいとして、毛を逆立てる子供。
「取ったりしないわ。それより聞かせて、慌てて食堂に駆け込んだけど、クッキーだけで足りるの?」
「腹が減ってるわけじゃない」
ぼそぼそと話すカーツに、殲滅王や皆殺しの二つ名は似合わない。これは戦災孤児だとエリスは感じた。
「落ち着かないんだ」
「AHシステムの影響ね。気分が昂ってるんでしょ」
「違う。コロシの後はクッキーだから」
エリスは視線で言葉の意味を尋ねたが、カーツはそれに答えることなく、残りのクッキーを頬張ると、その勢いで立ち上がり足早に食堂を後にした。
唐突な会話の終了に、唖然としたエリスは、ただその背中を見送る事しか出来なかった。
コスタケルタから呼び出しを受けたのは、夕食を済ませた後だった。気の乗らない誘いだったが、自分の監視役を受け持っているであろう彼を、ないがしろにする訳にもいかず、仕方なしに指定された場所へ赴いた。
地下三階のそこは、研究エリアのようだった。消毒液の臭いが強いから病棟かとも思ったが、地下に作る意味がわからないから、エリスはそう考えた。
リストペイをかざして、扉のセキュリティを解除すると、デザイン性を重視した座りづらそうなイスに腰かけるコスタケルタがいた。
いや、正確に言えば、エリスはコスタケルタなど見ていなかった。
エリスは、その少女に視線を奪われていた。
美しい黒檀の髪、雪のような白い肌、血のように赤い唇。まるで絵本の中から飛び出してきた様な、愛らしく整った顔。印象的な黒曜石の瞳は、全てを見透かすように開かれていた。
「紹介しよう。これは、《ブランシュ・ネージュ》だ。ほら挨拶をしろ」
コスタケルタの言葉に反応したブランシュ・ネージュは、修道服の裾をつまみ、腰を屈める。
「はじめまして。ブランシュ・ネージュと申します」
感情の一切を廃した完璧すぎる所作と声色に、エリスは戦慄する。
「これではまるで自動人形だ」
コスタケルタの言葉にエリスは、背筋を凍らせる。その言葉はまさに今、エリスが思い浮かべた言葉だったからだ。
「その驚きが見れて何よりだよ。戦場の死神の名の通り、君には不満以外の感情が無いのだと思っていたからね」
「皮肉ぐらいは、まともに言えるのね」
エリスは自身の動揺を圧し殺して、皮肉を皮肉で返す。
「それにしても、わかりやすいくらいだ。君はこれに見覚えがあるね?」
ニヤリと嫌な笑みを浮かべるコスタケルタ。肯定したくはないが、そうせざるを得なかった。
「君には、最初にこれを見せておきたかったんだ」
エリスはコスタケルタの言葉の意味を探る。最初にということは、他にもあるのだろうか。
「君らが彼女らと同調状態にあることは知っている。というよりは、これはそういった目論見で作られているからね」
突然される意味のわからない話に、エリスは苛立ちを募らせる。
「君は期待されているらしい。そしてサードステージの鍵だとか言う話だ」
「何の話をしているの」
「僕には理解出来ないんだよ。セカンドステージのブランシュ・ネージュは完成品だ。アーツァラーゼの形成に成功し、E-B数値も±30でキープしている。更にだ」
興奮したコスタケルタは、エリスには理解できない単語を交えて、憤慨する感情のままに喋り、答えを聞く気も無い同意を求めてくる。
異様な興奮状態は、Eb搭乗後の高揚感に似ていたが、その質は悪い方向に高かった。
「まぁ、これで君にもわかっただろうけど、ブランシュ・ネージュこそが完成品だ。それだけわかればいい。さあ、早く出ていってくれ」
勝手に呼びつけて、意味のわからない事を怒鳴られ、挙げ句、ろくな説明もないまま退出を言い渡されたエリスは、溜め息を吐くことすら億劫になりながら、部屋を後にした。
エレベーターに乗りながら考えるのは、あのブランシュ・ネージュと呼ばれた少女の事だ。
あの姿は、間違いなく夢の中に現れる少女だった。
それも最近の夢の少女では無く、一つ前の世代の少女だ。
コスタケルタは、ブランシュ・ネージュをセカンドステージと言っていた。確かにあの少女は、二人目の少女だ。
だとすれば、一人目の少女と、三人目の少女も、ここにいるのだろうか。
単純に戦力として、献体司教として、この場所に連れてこられたのだと思っていた。
本来ならばドイツ戦線で、使い潰されていたはずの身体だった。それが撤回された。その意味を今まで考えなかったエリスは、自身の不甲斐なさに唇を噛むのだった。