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∞ Early Barrel  作者: 光波昂冶
序章
3/12

2. 月夜に愚者は星を見る

 室内の冷房に、肌が冷やされていくのをエリスは感じていた。

 ユーラーラ支部は、元は観光地の宿場町、俗に言うリゾート地だった。エアーズロックの観光に来た富裕層を相手取った、オーストラリア経済政策の一つでもある。

 アボリジニ大虐殺の後に、政府が本格的に着工したリゾート計画は、白人主義とも言える景観を、赤い大地に根付かせていた。

 後のレルアバドがここをオーストラリア初の《アルマディナ・アルファーデラ(宗教的中立区)》にし、アリススプリングの占拠をもって、大陸中央部と、東西南北に走る大陸間高速鉄道(Nゲージ)を、牛耳ったことで、オーストラリアの趨勢(すうせい)は決した。

 もっとも『黒い声明』以前の政府は、世界的な宗教撤廃政策に反対の立場を取っていた為、レルアバドに寛容だった事も大きな要因でもある。

 『黒い声明』以降の東岸、つまり首都部は、大陸全土の国民感情を無視した、現在の政策を強引に推し進め、政府と国民の軋轢(あつれき)も非常に高まっている。

 国民の宗教デモに対して、政府の取った行動は、TAF(国家連合軍)の武力介入だ。

 現在、首都キャンベラに、TAFオーストラリアベースが設営され、各国から続々と精鋭達が終結していると言う。

 現に東岸部の北はブリスベンから、南はメルボルンまでの地域は、TAFに押し戻され、アデレードと、パプアニューギニア側から二極同時侵攻作戦が、展開されつつあるとの情報があった。


 きな臭く、血と硝煙の香りが漂いそうな状況だったが、戦地を離れた中央部は、戦線から外れた地域同様に、穏やかな夕刻を映し出していた。

 エリスは効きすぎた冷房に、麻のショールを肩にかけて、目の前の二人を見つめていた。

 スキンヘッドの黒人と、その黒く太い腕に絡み付く、細い褐色の肌の女は、バーカウンターで仲睦(なかむつ)まじく、それぞれの酒とツマミを注文している。

 筋肉質なアフリカ系アメリカ人は、ハルク・ホワイト。

 細身の褐色のタイ人は、ラタナ・サムットアルン。

 リオの玩具と称された、Eb(イブ)のパイロットだ。

 今、エリスは、この二人に誘われて、ユーラーラ支部の街部にあるホテル内のバーに来ていた。

 Eb(イブ)のパイロットは、搭乗後に体調を崩すことが多い。しかし、エリスを含めた上級パイロットは、そういった体調不良が起こらず、逆に精神的な高揚感が強まる傾向にあった。

 帰投後、簡単なブリーフィングを終えた三人は、こぞって街に繰り出したのは必然と言えた。


「おまたせしたわ」


 ラタナは豊満な胸を揺らしながら、ビンビールをテーブルに置いた。


「ありがとう」

「いきなりの模擬戦、大変だったでしょ?」

「そうね。でも献体司教で呼ばれてるから、これくらいの方がちょうどいいわ」

「献体司教! 凄いじゃない! 私なんてまだ」


 興奮するラタナを肘で突くのは、ハルクだ。


「ラタナ、久々の献体女性、それも司教だから興奮するのもわかるが、酒が(ぬる)くなっちまう」

「あら私ったら。ごめんなさいね」

「じゃあ、気を取り直して、新たな献体司教に」

「乾杯!」


 それぞれの持つビンビールを打ち鳴らし、冷えたビールを飲み下す。喉を抜ける麦の香りと苦味、炭酸の刺激が、汗をかいた身体に染みていく。


「これ久しぶりだわ」


 《バドワイザー》のラベルは、アメリカにいた頃、当時の友人達とよく飲み交わしたものだった。

 アメリカを離れてから、久しく口にしていなかった苦味を、口で転がしながら喉を通す。


「なんだか、懐かしんでいる。と言うわけでも無いな」


 ハルクの言葉に、エリスは頷いた。懐かしい味だ。でもそれは過ぎ去った日々の味でもあった。


「そうよね。ドイツ戦線だものね。酷いんでしょ?」


 ラタナの気づかう言葉は、エリスの感傷とは別の事を指していた。理由を話せるほどの仲でも無いし、勘違いを指摘するのも意味がなかった。エリスはラタナの言葉をそのまま受け取り頷きを返した。


「ええ。酷いものだったわ」


 現在のドイツ周辺の国々は、レルアバドとは別の集団|《アーリア人至上主義者》と、TAFと、レルアバド、その他のテロ組織とが混戦、乱戦の状態となっている。

 特に再建されたベルリンの壁は、地獄の境界線の役割を、強く担うようになって久しい。

 血で血を洗う戦争。秩序も尊厳も皆無の世界だった。


「悪かったわ。せっかくの歓迎会なんだから、楽しくやりましょう」

「そうね。その方がいいわ」

「ほら、そんなこと言ってたら、賑やかし役が来たみたいだぜ」


 ハルクが目線で指す方向には、数人の同じツナギを着こんだメカニックチームがいた。

 その中心には、改良型Eb(イブ)の製作者、リオ・ファルチェの姿があった。


「やあやあ、みなさんお揃いで」

「不良品の玩具技士が何か用かしら?」

「不良品ちゃいますー《ファルチェ・オリジン》ですー」


 開口一番に出たエリスの皮肉に、顔をむくれさせるリオ。しかし、二人の表情は穏やかな笑みが浮かべられている。


(しゃく)だけど、いい機体だと思うわ」


 エリスの素直な感想に、意表を突かれたリオの目が丸くなる。そして周囲の人間も目が点になり、エリスに「本気か?」と言う表情を向けていた。


「何かしら、私おかしな事を言った?」

「いや、さすがにコイツの無茶苦茶な機体に、文句はあれどもいい機体なんて評価はつかないだろ」


 ハルクがその場の全員を代弁して言うが、それに割って入るのは、辛辣(しんらつ)な評価を下されたリオ本人だった。


「わからはります? エエでしょ、ステキっしょや? わいの作った可愛い可愛いイブちゃん達!」

「ええ。あの変形機構も初見殺しとして、インパクトは十分(じゅうぶん)よ」

「あっはー! エリス様マジ女神っすわ。苦労して組んだ甲斐(かい)ありやした!」

「そうね。後は無意味な音楽と、変形前スクリーンに出た無駄な文字を消してくれればいいわ」

「なんやて! あれがあれへんと、意味無いやないですかい!」

「邪魔なのよ」

「女神やなかった。持ち上げて落とす悪女の(たぐ)いやった!」


 リオの参入で、場から湿っぽさや、戦場の荒々しさが抜けていく。他のメカニック達も会話に混ざりながら、笑顔溢れる夜が更けていく。

 エリスもその輪に入りながらも、そんな光景を心の中で一歩引いて見ていた。

 口に残るバドワイザーの苦味、笑い合う戦友となるべき人達。それは彼女の心の深い部分を、容赦なく(えぐ)り、取り戻せない日々を、克明に心へと焼き付けていくのだった。


 日が落ちた街をエリスは、一人で歩いていた。興の乗った酒の席はメカニック達をその場に縛り付け、収拾がつかなくなる前にエリスは抜け出して来たのだった。

 久しぶりに飲んだバドワイザーの苦味を忘れたくて、煽るように飲み続けたジンライムは、エリスに酔いを与えることは無かった。

 苦味を振り切るように見上げた星明かりは弱く、今夜は満月だと気がつく。

 満月から視線を下ろすと、ベンチに一人の大柄な男が座っていた。

 宿舎までの帰路を少し外れたこの場所には、街灯の明かりは無く、暴漢に襲われるならば、ここなのだろうな、とエリスは、何の感情も交えずに思った。

 ただこの大柄な男は、じっと何かを堪える様にして、月を射抜くほどの眼光を空へ向けていた。

 その姿は、ネイティブアメリカンの神話に出てくるコヨーテを連想させる。最初の男と最初の女とコヨーテ。世界を失う度にコヨーテは、こんな風に空を見上げていたのでは無いだろうかと、そんな風に感じた。


「こんな遅い時間にどうされましたか」


 物思いに沈むエリスは、男が自分に視線と声を向けていることに、気がつけなかった。

 答えるタイミングを逃したエリスが口をつぐんでいると、男は言葉を続けた。


「この辺りは総合協会に近いから、治安はいい方ですが、女人が一人歩きをして安全とは言い切れないですよ」


 久しく普通の女性らしい扱いを受けていなかったエリスは、男の誠実な言葉に、相好を崩した。


「献体司教ですからご心配なく」

「そうでしたか。貴女も献体司教でしたか」


 男はエリスの笑みと言葉に、声音を上記させて納得顔をする。


「貴女もってことは、貴方も献体司教なのかしら」

「ええ。先日までメルボルンで」


 男は苦々しげに口元を歪める。それだけで、結果的に奪われた宗教的中立区での戦闘が激しかった事がわかった。

 戦場は時の運だ。戦力だけで解決できないことも多々あり、それを知るエリスだからこそ、安易な気休めも叱咤もすることなく、男の隣に腰をかけた。


「今さらだけど、座ってもいい? なんて聞かなくてもいいかしら」

「もう座ってらっしゃるしね」


 半眼で微笑む男は、四十歳を越えたくらいのアジア人で、現役の献体司教としては高齢だった。

 基本的にレルアバドでは、Eb(イブ)のパイロットは、献体者と呼ばれる。

 これは己が信じる神に身を捧げ、その体を神へ、または信仰へ献上することから、呼ばれるようになったものだと言う。

 献体者は、その功績によっていくつかの位階を与えられ、献体司教は、その中でかなり高い位置にいる。

 軍隊で言うところの少佐と言った所だろうと、エリスは思っていた。


「改めて初めまして。おれの名前は相原(アイハラ)鴎外(オウガイ)です」

怪物(オーガ)?」

「どうにも英語圏の方には、そう聞こえるみたいですね」


 鴎外は苦笑しながら、改めてオウガイと、言葉を区切って伝えた。


「それで鴎外は、ここで何をしていたの」

「月を見ていました」

「月を? 顔に似合わずロマンチストなのね」

「日本人は、時に空へと思いを馳せるものなのですよ」


 日本人と聞いたエリスは、とっさにEb-4666《バレルビート》と、リオのイタズラそうな笑みを思い浮かべた。

 この男も、リオと同じ様に意味のわからない仕様に、共感を覚えるのだろうか。


「ところで貴女は何故こちらへ」

「普通に召集されただけよ。ドイツ戦線より、オーストラリア戦線に加わるようにってね。今回はおしゃべりなイタリア人のエスコート付きだったわ」

「あ、いえ、そう言うことでは」

「何かしら?」

「いえ、では今のEb(イブ)は、こちらで支給されたものですか?」

「そうね。リオっていうメカニックに、凄い機体を与えられたわ」

「はは、完成していた機体ですと、例のトリプルシックスですか」

「ええ、制御系はAHシステム無しでは、まず動かないわね」

「確かに。ただリオの組む機体は、通常のEb(イブ)に比べると、格段に性能がいい」


 先程、散々笑われたリオに対する高評価は、鴎外も同じ様に持っていた。


「意外だわ。鴎外もリオを高く評価するのね」

「ん? そうだな。あれの作る機体は、献体者を選ぶが、性能と人間が合致すれば、単機で一個小隊を相手に出来る」


 エリスは鴎外の言葉から、本当に一個小隊を相手取り、勝利を納めたのだろうと感じた。

 確かに、バレルビートならば、それぐらいやってのけてしまう性能があった。


「すみません」


 唐突に頭を下げられたエリスは首を傾げる。


「何分、献体歴が長いもので、戦場(いくさば)の事ばかり話してしまいます。女性相手の経験が浅いものでお許しを」


 丁寧に頭を下げる姿に、エリスは吹き出してしまう。そんな気づかいは自分には不要だし、気づかうにしても遅すぎる。そんなちぐはぐさがエリスの笑いを誘った。


「何かおかしな事を言いましたかな」

「言いました。日本人はおかしな感性を持っているんですね」

「はて、そうですか? 自覚は無いのですが」

「リオが日本に深入りする理由が、少しだけわかる気がします」

「あれと一緒にはしないでいただきたい」


 憤慨する鴎外がおかしくて、エリスは声を立てて笑った。いつぶりだろうか、声を立てて笑ったのは。そんな感傷を心の隅に抱えながら、自然に溢れる笑い声が響く。

 ひとしきり笑ったエリスは、困った表情を浮かべる鴎外の隣から立ち上がった。


「着任早々、夜歩きっていうのも、醜聞を誘うから帰るわ」

「ええ、その方がいいでしょう。献体司教にこれを言うのは違うかと思いますが、お気をつけて」

「普通に「気をつけて」だけでいいのよ」

「申し訳ない」


 お互いに微笑を交わし、エリスは宿舎へ戻っていく。

 その背中を鴎外は、じっと見つめていた。


「名を聞き忘れてしまったな」


 一人ごちた鴎外は、穏やかな笑みを浮かべながら、空を見上げた。そこにはもう、先程までの張り詰めた感情は残っていなかった。

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