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∞ Early Barrel  作者: 光波昂冶
序章
10/12

9. 月の無い夜、二つの語らい

 ユーラーラの空には、満天の星が散っていた。深い藍色の中に輝く瞬きは、新月の夜に強い光を放っていた。

 ベンチに腰をかけるエリスは、その輝きの下で一人歯を食い縛っていた。


「こんな夜更けに一人歩きは、危ないですよ」


 落ち着いた低い声が聞こえるが、今はその声に言葉を返すのも億劫だった。


「隣に座ってもいいでしょうか」


 大柄な男がエリスの視界を塞いだ。黒髪に黒い瞳、頬にはガーゼが当てられている。


「これはパプアニューギニアであった戦闘での傷ですよ」


 大柄な男は、照れ隠しをするように頬のガーゼに触れた。


「座って」


 エリスはそれだけ伝える。男は頷き、エリスの隣に腰をかけた。


「メルボルンの件ですね」


 男の言葉にエリスは頷く。それから沈黙が流れた。安易な気休めを言われないことが、お互いに惨状を理解している証拠だった。


 メルボルン奪還成功。今、レルアバドの内部では、その話題で持ちきりだった。メルボルン基地を失ったTAFは、アデレード侵攻作戦を放棄し、キャンベラまで撤退した。

 朗報は続き、TAF側に好感情を向けていたパプアニューギニア政府は、TAFに対し実質的な介入拒否を打ち出した。これはレルアバドに協力するという事では無く、レルアバドもTAFも国内への介入を許さないといった措置だった。

 オーストラリアが制定した棄神法(きしんほう)に追従する形で、パプアニューギニア政府も同法律を掲げていたが、TAFの介入拒否と同時に廃止されたと言う。

 これは信仰を持つ者を積極的に守らないが、信仰の有無を理由に裁くことはしないと言うもので、事実上のレルアバドの勝利と取れた。

 戦局としては好調で、このまま進めばオーストラリア首都キャンベラの奪還も近いと言われている。


「星を眺める理由、わかった気がするわ」


 エリスは星空を眺めながら呟く。鴎外から先を促すような視線を感じ言葉を繋いだ。


「仲間が死んだのよ」


 言葉にすれば、とても陳腐で、戦場ならばありふれた感傷に過ぎないものだった。


「それをお聞きしてもいいのでしょうか」

「ええ、鴎外なら私に見えていないものが見えるでしょうし」


 エリスは静かに、あの場で起こったことを語り始めた。

 

 メルボルン基地では、逃げ遅れた敵と非戦闘員が、その体を炎に舐められていた。踊るように逃げ惑う人の群れ、そしてその上に容赦なく降り注がれる銃弾。

 銃弾を撃ち込むのは、舞い戻ってきたジムとノアの両機だ。いや、正確に言うならば、他の小隊の機体が何機も混ざっていた。合同訓練も編隊訓練も、ましてや実戦で組まれたことの無いはずの彼等は、見事なまでに、いや気持ちの悪いほど統率された練度の高い小隊となっていた。

 エリス達の説得に応答せず、無慈悲なまでに蛮行を繰り広げる彼等を止めることが出来たのは、エリス達だけだった。

 炎の踊る戦場で、再び告げられる《コード:ブリージンガメン》と《敵性因子の排除》いう言葉。その瞬間から、彼等は牙を剥く。

 最初に死んだのはアレクセイだった。ジムの機体に腕を落とされ、ノアの機体にコックピットを撃ち抜かれた。全てはほぼ一瞬で、全天モニターに『撃墜』を示すマーカーが映し出され、言葉を失った。

 統率された小隊に、そして異常なまでに戦闘技術が上がっている彼等に成す術もなく、ヤコブに撤退指示を出した瞬間、ヤコブとジムの機体は相討ちの形で撃墜された。

 エリスはバレルビートを変形させ、残る彼等を撃墜する。駆動系の破壊による行動不能ではなく、完全に息の根を止めた。

 誰一人生かすことも出来ず、誰一人守ることも出来ないまま、単機でストークに帰還した彼女は、失われた小隊員達の暴走の一切を秘匿し、彼等の名誉だけは守ったつもりでいた。


「信じられる? こんな話」


 自嘲しながら語るエリスの表情は暗く落ち込んでいた。


「いえ、判断材料が少なすぎますね」


 愚直すぎる回答は、真偽を曖昧にしたままエリスをうつむかせた。


「ですが、ブリージンガメンには縁がありまして」


 鴎外の言葉に、エリスは一瞬だけ希望を宿す。仲間の死の真相に触れる事が出来ると。


「いえ、期待をさせてしまって申し訳無いのですが、知っているのは北欧神話の方です」


 エリスは落胆の表情を押し隠しつつ、彼に先を(うなが)した。

 ブリージンガメン。北欧神話の神、フレイアの持っていた黄金の首飾り。ドワーフの特注品であり、いくつかの逸話が残っていると言う。


「逸話ね」

「持ち主に死を運ぶ首飾り。一度失われた首飾りを取り戻す条件として、フレイアが二人の王と、彼等に付き従う二十人の王が、永遠に殺し合いをする呪いをかけた」

「永遠に殺し合いをする呪い」


 状況はまさにそうであった。何かに呪われたかの様に殺し合いをする彼等には、自分の意志が無かった。


「まさか、本当に呪いなんて」

「出来すぎた符号、ですね」

「なにか気になることがあるの?」

「いえ、先程から話をしていて、AHの事が気になりましてね」


 AHシステム。自身の体感覚を脳波から読み取り、機体へフィードバックさせるシステム。一義的な機体制御を、人体と遜色の無い制動へと変えるシステム。原因不明のAH酔いが起こるシステム。


「申し訳ない。おれにはそれを調べる時間が無い」

「それなら私が調べるわ」


 思った以上に強い声が出た。エリスの言葉に強さを感じた鴎外は深く頷く。


「さすがは〈被弾しない乙女(フライング・メイデン)の再来〉と呼ばれるだけありますな」


 鴎外の言葉にエリスはきょとんと目を丸くした。

 〈被弾しない乙女(フライング・メイデン)

 それはレルアバド設立前から、設立中期に活躍した中心メンバーの一人だ。戦場を駆け抜け、支援物資を届け続けた聖女。銃弾飛び交う戦場で、一度も被弾しなかったことから、その呼び名がつけられていた。


「まさか、聖女とはほど遠い存在は無いわ。私の行く道には、前にも後ろにも死者しかいない」

「それはおれも同じことですね。先日は偉そうに講釈を垂れましたが、おれも今回の会談で多数の部下を失いましたから」

「停戦協定は成功したんでしょう?」


 レルアバドはメルボルン奪還作戦『フレイ&フレイア』の成功のほかに、鴎外の成したパプアニューギニアのTAF排斥協定を結び付けた事も同時に祝われていたはずだった。

 ただの会談で人死にが多く出る事はないはずだ。


「TAFの襲撃がありましてね。一言にいえば、酷いものだったと」


 沈鬱な表情を浮かべる鴎外は、静かに月を見上げるも、そこに月の姿は無かった。


「今夜は新月ですよ」

「そうでしたか」


 視線を下に戻した鴎外は、不意に目の前の金色の髪が目に映りこんだ。愁いを帯びた青の瞳、天使を思わせる金色の髪が風に揺れていた。同じように部下を失い、悲嘆に暮れる彼女は、どういうわけか美しく見えた。


「何か?」

「いえ、なんでもないですよ」

 

 鴎外の視線がエリスから外れた事から、大した意味は無いと判断した彼女は話を戻すように尋ねた。


「それで鴎外はAHに何か秘密があると思っている。これは間違いない?」

「ええ。おれには他にしなければいけない事があります。だからそれを調べることは出来ない」


 鴎外にとってブリージンガメンは脅威だが、それ以上にこれが生まれた思惑を探る方が優先だった。故に、システム的なことを調べるよりも、レルアバド内部に広がる違和感の正体を調べる必要があった。


「しなければならない事」

「ええ。レルアバド内で何かが起こっている。正確にはタカ派、つまり強硬派ですね。そこで何かが起きている」

「そうなの。でもいいのそんなこと私に話して」


 エリスは鴎外の思わぬ発言に警戒をする。自分が内部調査を行う時は、こんな事を信用のおけるかどうかわからない者に話したりしない。人の口に戸は立てられないからだ。


「貴女は保守派でもタカ派でもないでしょう」


 至極冷静にそう言った。エリスは妙な納得を覚えた。この鴎外という男について悪い評判を聞かない。確かにこの様に真っ直ぐな信頼を向けられて、それを跳ね除ける事など出来ないのだろう。


「その通りだわ。でも、そうね。私もAHの方は探ってみるわ。きっと私の方が探りやすいから」


 ちょうど良かった。とエリスは思う。この怠惰な戦場では人の命など些末だ。その事を思い出す。そう立ち止まっていれば死んでしまう。それは戦場でも日常でも同じこと。死んだ部下達の無念を晴らすことなど出来はしない。そんな事は生者の傲りに他ならないのだから。

 私は死んだ。幼い頃一度死に、レルアバドが私を蘇らせて、そしてその後、私は殺された。

 そう二度も死んだ私は、今生きているのだろうか。それこそ死を運ぶ死人として、この三年間を過ごしてきた。仮初の生の実感を部下に思い出させられて、また生き始めるところだった。

 でも実際は、死人は死人。変わりが無いのだ。


「……貴女も、もしかして」

「詮索しない方がいいわ。私も鴎外の事情に深い入りするつもりは無いから」


 所詮、私は死を運ぶ死人。AHに関わることは必然的に死の臭いが立ち込めている。この相原鴎外という男がのめりこんでいい話ではない。


「そうですか」

「そうなのよ。それじゃまた」

「ええ。また」


 エリスは月の無い夜道を帰路に就く。その後ろ姿を見つめながら彼女の名を口にする鴎外に気がつかぬまま。

 エリスは考えていた。AH酔いを引き起こす原因を。コード:ブリージンガメンの事を。夢に出てくる少女の事を。そしてもう二度と会う事のない()()()の事を。

 自室に戻りベッドに倒れこむと、必要以上に疲れが溜まっている事に気がつく。深い眠りに落ちるのだろうか。そんなことを思いながら、視界を暗闇に沈めた。


 少女がいた。満面の笑みを浮かべる無邪気な少女だ。声は聞こえない。話すことが出来ないのだろうか。いつもの少女だ。

 エリスは少女に微笑みかける。あれだけ悲惨な戦場があったのに、こうして笑いかける事が出来る自分に罪悪感を覚えながら。


「今日は何を話そうかしら。そうね、貴方に会う前の女の子に会った話をしようか?」


 ひとつ前の夢の少女は、マリオ・コスタケルタと共にしていた。それがどんな意味を持つのかはわからない。しかし、これもAHの影響下で行われていることは明白だ。実際、AHに触れたのは幼少の頃だ。そうだ。その頃から少女の夢を見るようになった。一人目の少女、二人目の少女、そして三人目の少女。そのどれもAHの金冠を手にした時に現れている。その事にどんな意味があるのかはわからない。しかし無関係とも言えない。


「え、嫌なの?」


 少女にしては珍しく表情を曇らせていた。そんなつまらない話は聞きたくないと言わんばかりに顔をしかめている。


「そう。そうよね。そんなつまらない話じゃなくて、楽しい話をしようか。今日はプロムの話をするわ」


 たわいもない少女の頃の思い出だ。十七歳の年に社交界デビューをした時の話だ。あの時はまだ、そうまだ、あの人はいなかった。だからこそ優しい思い出で話すことが出来る。

 近所に住んでいた同級生が家に誘いに来て、タキシード姿がなんだか様になっていて、でも私にはそんなことは本当はどうでもよくて、でもそれでも……。

 一通り話し終えると、少女は満足そうにうなずいた。


「ええ。また会いに来るわ」

「つぎは、あいにきて」

「……?」


 初めての会話はちぐはぐなものだった。その言葉の意味を問いただす前に、眠りから覚め、朝日が昇っているのが寝室の窓の向こうに見えた。


 その日の夜、研究室の一室でマリオ・コスタケルタは爪を噛んでいた。隣にはブランシュ・ネージュを侍らせながら、苛立ちを紛らわすために乱暴にキーボードを叩く。


「データ収集量が足りないだと。そんなことは無い。プリンシパリティは十分そろった。他の要素? いやそれこそ不要だ。不要だ。不要だ。不要だ。不必要な要素にこだわる理由。理屈。わからないな。わからないな。おい。ブランシュ・ネージュ。お前の回答は無いのか?」

「現在のプリンシパリティは規定数値に達しています。ハーモナイザーでの最適化は適合係数に合致します。サードステージの起動には支障はありません」


 讃美歌でも奏でるような美しい声音のブランシュ・ネージュの言葉に、マリオは大仰に頷いた。


「そうだろうそうだろう。それでこそブランシュ・ネージュ。お前はやはり完璧だ。やはりマラークは何もわかっていない。完璧とはブランシュ・ネージュのことだ。ブランシュ・ネージュが完璧でないなら、他の何が足りない。足りない理由。理屈。要素。それにあのコードネーム:エコー。あの女がなんなんだ」

「コードネーム:エコーは調律機構として」

「そんな事はわかってる。しかし調律か、どうだろうな。あれが必要な要素がいまいち理解できない。本来このステージには既に必要ない要素だ」

「それを決めるのは私だ」


 初老の男が真後ろに立っていた。白髪の混じり、顔に刻まれた皴はこの男が過ごしてきた年月を物語っている。白衣を着こむ姿は、司教服を着ているマリオと比べると幾分も科学者らしく見えた。


「マラーク・モルサル」

「サードステージの基本理念は、自我だ」

「自我! 天才の名を欲しいままにしたマラーク・モルサルが自我と来たものだ」


 自我とは自身が自身であるという認識なのだが、哲学的な面が多く、それを科学に結び付ける根拠は無い。自我の発現と言えば言葉にすれば簡単だが、実際何をもって自我とするかのボーダーラインは不明瞭だ。

 その事にこだわりを持つのは、哲学者や神学者の領域で科学者の持ちだす内容としては不適切だった。

 故にマリオはマラークを嗤う。


「何か問題でも?」

「ああ問題ありだ。自我とは曖昧な境界だ。マラークの言う自我とはなんだ? 自立行動ならブランシュ・ネージュも成功している」

「そうだな。だがそれは自我とは呼ばんよ。サードステージは、行動理念すらも自立行動で生み出す」

「まるで僕のブランシュ・ネージュにはそれが無いように思えるのだけど?」


 ブランシュ・ネージュの自立行動は証明されている。自発的に寝食を行い、排泄行動も行う。曖昧な指示も的確に判断する頭脳があり、先ほどもマリオの独り言に対して自発的な回答を提示した。

 自我と言うものはある。と言える。そもそも計画上、無駄な機能は必要ない。ただのおしゃべりロボットを作りたいのならば、AIにその機能を持たせた方が説得力が増すのだ。

 だが、自我があると自負するマリオの結論をマラークは即座に切り捨てた。


「無いな。故にそれはセカンドステージだ。ファーストの失敗、セカンドの失敗、サードでは新たな試みを行っている」


 新たな試みが何かはわからない。だが、それが何を意味しているのかがぼんやりとわかってきた。それがわかる事がマリオが天才たる所以(ゆえん)なのだが、目の前のもう一人の天才とは相容れない要因の一つでもある。


「魂でも生み出す気になっているのかい? それこそ神の領域だと僕は思うよ。少なくともこのブランシュ・ネージュは、不気味の谷を突破した」

「それがアンドロイドなら成功だが、それは生体だ。そもそも論点が違うよ」


 話が平行線を辿ることは目に見えていた。だからこそ、マリオは話を断ち切る。


「まあいい。マラーク、一つ言っておくが、人間のデザイン生成に成功したのは僕の研究あってこそだという事を忘れないでいただきたい」


 大切なことを念押しする。元々人体工学の権威であるマリオを、その道で知らない者はいない。それはいい意味でも悪い意味でもである。少なくとも、今回の計画には無くてはならない人間だったことは確かだった。


「ああ、君がいなければ私はファーストの組み立てに時間を取られていた。感謝しているよ」

「それでいい。もっと僕を評価するべきだ」

「十分に評価をしている。この調子でサードステージにも協力してほしいものだ」


 そうだ。評価が必要だった。若き天才であるこの身には相応の評価が必要だ。老害どもの掲げる倫理などという曖昧な天秤ではなく、絶対的な天秤にて評価されることの方が重要なのだ。


「当然だ。いいだろう。お前が何を企んでいるかは知らないが乗ってやるよ。それとこのデータは何なのか説明してくれるかな?」

「ああ、それか。それがサードステージのプリンシパリティと対になるデータだよ」

「へえ。そうか、なるほど。それで自我なのか」

「話が早くて助かるよ」

「僕は本物の天才だからね。だが、こんなもの不要だと僕は断言するよ。それはブランシュ・ネージュを見ればわかることだ」

「そうだといいのだがね」

「そうさ。サードステージは失敗する。絶対にだ」


 互いに譲らない二人は口元に笑みを浮かべながら、横たわる少女を目の端に入れる。そこには、エリスが夢に見る三人目の少女が眠っていた。

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