90.愛国
双羽隊長は一歩前に進み、静かな声で近衛騎士の懸念を否定した。
「異国の血が入っても、王家の血は穢れてなどいません。そうでなければ、建国王陛下の剣にお手を触れ、陛下の魂を受け容れることなどできません」
黒い茨が若葉色の光に触れ、戸惑うように力なく床を這う。
三界の眼の視界を与えられていない騎士たちは、再び同僚を捕縛すべきか、迷っていた。
増援の騎士が到着したが、状況がわからず、戸口で戸惑っている。
「異国の血が入ったせいで、王家の力が失われようとしています!」
「異国の血が入っても、黒山羊の殿下は強い魔力をお持ちです」
近衛騎士は政晶を見て、頭を振った。
「現にこいつは、魔力も持たない半視力です!」
「それは、開国に反対した人々による呪いの影響です。それさえなければ、黒山羊の殿下の他にも、魔力をお持ちの方が、無事にお生まれになる筈でした」
政晶は泣きたくなったが、涙は出なかった。建国王の剣を持つ手に力が籠る。
建国王は政晶の眼を通して、二人の遣り取りを無言で見詰めていた。
鋭い棘を持つ茨の蔓が、苛立ちにうねる。
「三界の眼が失われれば、魔を討つことが叶わなくなります!」
「黒山羊の殿下は、三界の眼をお持ちです」
双羽隊長が、即座に否定する。
何者にも染まらぬ黒い動物の徽は、誰の眼にもわかりやすかった。
黒山羊の殿下と共に、三界の魔物の討伐に赴いた経験を持つ騎士たちが深く頷く。
近衛騎士が崩れるように両膝をついた。
黒山羊の殿下の使い魔が、その姿を冷たい目で見降ろす。
「ご主人様は、呪いの影響で長くは生きられません。あなたのような人がいたからです」
近衛騎士は顔を上げ、使い魔を見た。
使い魔は無表情で主の敵を見降ろしている。
黒い茨が、苗床自身に絡み付いた。王家への執着と自責の念が、近衛騎士を締め付ける。
双羽隊長が一気に距離を詰め、黒い茨を断ち斬った。退魔の魂に触れた蔓が霧消する。
近衛騎士に用を言いつけられ、他出していた女官たちが戻ってきた。
廊下で待機中の騎士に、部屋に入らないよう押し留められる。
建国王が政晶にだけ聞こえる声で、溜め息を吐いた。
〈使い魔の気持ちもわからぬではないが、余計なことを……〉
「強過ぎる思いは、時として三界の魔物につけ入る隙を与えることもある。何事も程々にせねばな……だが、我が血族を大切に思う、その気持ちには、感謝しておる」
建国王が、執着の茨の消えた近衛騎士に歩み寄った。
双羽隊長が脇に退く。
建国王は、政晶の左手を騎士の右肩に置いた。
「有難う。……汝の今後については、現国王より沙汰があろう」
「どのような処罰も、甘んじてお受け致します……申し訳ございません」
近衛騎士は力なく項垂れ、嗚咽を漏らした。
駆けつけた呪医が、近衛騎士の腕を繋ぎ合せた。改めて捕縛され、連行される。
政晶は複雑な思いで、その後ろ姿を見送った。
双羽隊長に促され、剣を鞘に納めたが、柄から手が離れない。
呪医が状態を調べる。
恐怖で手指の筋肉が硬直したらしい。
呪医が小声で呪文を唱え、政晶の手を両手で包む。穏やかなぬくもりのある魔力が注がれ、柄から指が離れた。
騎士と女官が室内を片付けている所へ、部屋の主である黒山羊の王子殿下が戻ってきた。
クロエが笑顔を弾けさせ、戸口に駆け寄る。
「クロ、だっこしよう」
使い魔は走りながら黒猫に変じ、主人の腕の中に飛び込んだ。
喉を鳴らし、激しく頬ずりする。黒山羊の殿下は、使い魔の艶やかな背中を撫で、労を労った。
「よしよし、よく頑張ったね。偉い偉い。有難う。おうち帰ったら、ちくわあげるね」
「あの……おっちゃん、これは……その……」
政晶は、部屋の惨状をどう説明したものか、言葉に詰まった。
黒山羊の殿下である叔父は、寂しげな微笑みを浮かべ、首を横に振った。
「いいよ。君のせいじゃないもの。……クロの目で見てたから、全部知ってるよ」
叔父は、使い魔の目を通して状況を把握しつつ、術で鍵の番人と連絡を取り合っていた。
城門前の襲撃の時点で、政晶を守る為に双羽隊長を単騎で先行させたと言う。
「おっちゃ……」
後は声にならず、政晶の目から大粒の涙が零れた。
「一カ月も大変だったね。でも、もう大丈夫。全部終わったんだよ。有難う」
叔父が政晶を抱きしめ、背中を撫でる。
クロが迷惑そうに主人の肩に移動した。
知った顔を見たからか、助かった安堵なのか、涙は後から後から溢れ、止まらなかった。




