82.面影
……今のん……誰の声やったんや? 王様! 王様! 何処におるんや?!
ドブ水に沈んだ建国王の剣は、沈黙している。
この世にありながら、この世ならぬ異形の穢れに呑まれ、蠢く魔物のかけらの何処かに沈んでいる。
政晶は、建国王の剣の形を心に描きながら、屈んでドブ水に手を突っ込み、掻き回した。
ドブ水に浮かんでは消える泡が、沸々と疑念を湧かせ、政晶の心に囁く。
国は、政晶を利用して捨て去ろうとしている。
用済みになれば、この国からも、拒絶される。
呪われた自らも、この世の全てを拒めばよい。
無様に生き恥を晒すなら、全ての滅びを望め。
穢れが、政晶の心に囁く。無数の人間の眼が、政晶を凝視する。体に直接触れ、その穢れが心に染みて初めて、その正体がわかった。
人間の眼球に見えるモノは、他人の評価に囚われた心が具現化した塊だった。
無数の眼球が、政晶を凝視する。その視線が、目立たないように、失敗しないように、失笑を買わないように、必要以上に他人の目に怯えて暮らす日々を、嫌でも思い出させた。
誰も望まない呪われた子供が生きて何とする。
無様に生き恥を晒すなら、全ての滅びを望め。
呪われた自らも、朽ちながら全てを拒むのだ。
自らの呪いをこの世の全てに向け滅びを望め。
政晶は立ち上がり、周囲を見回した。
ドブ水に浮かぶ眼球に囲まれている。
結界は健在で、ドブ水は祭壇の広場に溜まっている。建国王の剣がなくては、ここから出ることも叶わない。外からの助けも望めない。
鍵の番人も主峰の心も、欺く道も慈悲の谷も、どれだけ強い魔力を持っていても、ここには入れないのだ。
穢れに満ちた祭壇の広場が、果てしなく広く感じられた。
呟きに掻き消されたのか、中断しているのか、呪歌も聞こえない。
政晶は、この広場に一人。
誰にも助けてもらえない。
誰もがタダの子供の政晶を必要としていない。
誰もがお前の望みに応じず、心を満たさない。
誰もがお前の求めに応じず、助けには来ない。
誰もがお前を認めず顧みず、気にも掛けない。
「天の理、地の恵み、水の情けと火の怒り、我にその大いなる助力与え、この血に熱帯び、心に勇気灯せ」
政晶は必死に記憶を手繰り、建国王に教えられた呪文を声に乗せた。魔力を持たない政晶が、どれだけ大声で唱えても、何の効果も顕さない。
この世の全てが拒むなら、自らも拒めばよい。
誰も望まない呪われた子供が生きて何とする。
無様に生き恥を晒すなら、全ての滅びを望め。
ドブ水が、政晶の心に染み込んでくる。大勢に囲まれ嘲笑される恥ずかしさと情けなさに、何を探していたのか忘れそうになる。
ドブ水の嘲笑の漣が、祭壇の広場いっぱいに満ちる。
できもしない魔法の呪文を唱える恥ずかしさと情けなさに、何をしていたのか忘れそうになる。
どうせ誰にも必要とされない子。
ここで死んでも誰も気にしない。
この世ならぬ穢れが政晶に囁く。
大人になる前に死んでも、母はきっと気にしない。心残りではないのだから。親不幸にはならない。
ドブ水が人の形を為し、母の面影をなぞる。母は冥界で政晶を待っているに違いない。
母の形を為したドブ水が、両腕を広げる。
来るのが遅いと叱られるかもしれない。気持ちがドブ水に攫われそうになる。
政晶の膝から力が抜ける。
左腰で何かが揺れた。




