74.鎌首
我に返った政晶が、赤い蛇に絡み付かれた娘に近付く。
政晶に気付いた娘が立ち上がる。数歩離れた所で立ち止まり、政晶は娘の顔を見上げた。
互いに結婚の約束をした恋人も立ち上がり、二人の顔を見比べた。
「お姉さんに赤い蛇が巻きついとうから、じっとしとって欲しいねん」
政晶の言葉をクロエが湖北語に訳す。
恋人が後退り、娘は首を横に振った。
「何? ずっと一緒の私より、こんな変なカッコの女の言うこと、信じるの?」
恋人が怯えた目で婚約者を見る。
赤い蛇の娘は恋人に向き直り、更に詰った。
「何で私ばっかり責められるのッ? あなたが私を怒らせるのが悪いんじゃない!」
「何、そんな怒ってんだよ。俺、何か悪いことした? 彼女だって舞い手様の言葉を通訳しただけだろ?」
「チッ! またそうやってそいつ庇うし! 何が『彼女』よ!」
「いや、別に庇ってないし。落ち着けよ」
婚約者が、激昂する恋人を宥めようと、その方に両手を置いた。その身に赤い蛇を巻きつかせた娘は、低い声で早口に捲し立てる。
「落ち着いてる。私は冷静。そいつがホントに舞い手様の言葉を訳してるかどうか、わかんないじゃない。全然知らない言葉なんだから、そいつが舞い手様の口借りて、自分の言いたいコト、言ってるかもしれないのに。何であっさり信じてんの?」
当のクロエは、次の命令を与えられていない為、二人の遣り取りをぼんやり眺めている。
政晶はどうしていいかわからず、柄に手を掛けたまま、動けない。
赤い大蛇はクロエを睨み、火のような舌を忙しなく出し入れしている。そろりと解け、娘の体から這い出した。地を這う蛇は長く、尾はまだ娘の中にある。
「大体、あなたがいつも私の気持ち、わかってくれないのがいけないのに、どうして私ばっかり……」
「いや、わかってる、わかってるから、そんな泣くなよ。みっともない。成人の儀の最中に、みんなの迷惑だろ」
「わかってない! 全然わかってない!」
娘は大粒の涙を零しながら激しく頭を振った。
赤い大蛇が身を縮め、次の瞬間、跳躍した。
目標はクロエ。
この世ならぬ嫉妬の蛇が、大きく口を開き襲い掛かる。
政晶は恐怖に立ち竦んだ。頭の中が真っ白になる。
クロエは、ひょいと横に動いて蛇の一撃を躱した。その目は明らかに蛇の動きを捕えている。
避けられた蛇は、悔しさに身を捩りながらとぐろを巻き、鎌首をもたげた。その尾はまだ娘の中にある。
「えっ? あれっ? クロエさん、その蛇、視えんの? 何で?」
「はい。視えます。ご主人様が三界の眼を開いていらっしゃる間は、私にも視えます」
「サイッテー! 何それ、惚気? 夫が居るのに私の彼に色目遣ってたの? サイテーの不倫女じゃない!」
「いや、全然そんな話じゃないだろ。落ち着けよ」
婚約者が娘の肩を掴んで揺さぶる。
「夫ではありません。ご主人様です」
侍女の形をした使い魔は、娘の剣幕にも全く動じない。




