72.停止
「ッざけんな! 湖北語もわかんねー奴が王家の一員とか、国民ナメてんのか?!」
「お前ッ! 黙れよ! コラ!」
「すんません! すんません!」
親戚二人が捕えようとするが、今度は軽快な動きで躱す。
「お前ら、何、跪いてんだ! 立てよ! こいつ、アレだぞ!」
親戚の手から逃げ回りながらも、政晶を罵ることを止めない。
「第七王女が、魔力持ってねーオトコに股開いて作った、出来損ないのゴミ子孫だぞ!」
政晶は、ほぼ初対面の青年が吐いた暴言に、足が竦んだ。
この青年は、王女と会って言葉を交わしたことはないだろう。
王女の姿を間近で見たことすらないかもしれない。
少なくとも、第七王女……政晶の高祖母が、日之本帝国人の高祖父と結婚した当時は、生まれていない。
過去の出来事にどんな尾鰭がついて、王室の醜聞として伝わったのかは、わからない。
政晶は、知らない人が、知らない内に、伝え聞いた話だけで、会ったこともない自分や高祖母を憎んでいることに、体の芯が凍った。
「お前ら、王家の血を穢したゴミに頭下げてんなよ! 立てよ!」
悪意なのか、敵意なのか、憎悪なのか、魔力なのか。
彼の言葉は確かに力を持ち、政晶の胃は彼の声に呼応するように痛んだ。
それでも若者たちは、困惑した顔を互いに見合わせるだけで、立ち上がろうとする者は一人も居ない。赤い蛇の娘も眉を顰めている。
ひねた青年が言い募るにつれ、彼が纏うヘドロが濃く厚く膨れ上がってゆく。
「こいつもどうせ、力のないゴミだぞ! 立てよ! お前ら!」
……王様……あの人、ドブが濃いなっとんやけど……
〈表層に現れる穢れをどれだけ祓おうと、性根が曲がっておれば、あのようにすぐ元通りだ。どうする?〉
……あの人やのうて、周りの人らの迷惑やから、やります。ちょっとの間だけでも消せるんやんな? 手伝うてくれますか?
建国王は同意の思念を返し、鞘を鳴らした。
鍵の番人は、大の大人の追いかけっこを呆れ顔で眺めている。
騎士たちが政晶の周りを固め、険しい目で青年の動きを追う。
管理者は渋面を作って、ことの成り行きを見守っていた。
政晶は吐き気を堪えながら、ゆっくりと剣を抜いた。
〈身を斬らぬよう、気を付けよ。穢れのみ、断ち斬るのだ〉
「鍵の番人さん、あの人にじっとしとってくれるように言うてもらえますか?」
クロエの通訳を聞き、鍵の番人は返事の代わりに小声で呪文を唱えた。
「図星突かれて逆ギレですか? あ、オレが何言ってるかわかんない?」
何が彼をそこまで駆り立てるのか、抜き身を手にした政晶を見ても、嘲ることを止めない。
鍵の番人の術が発動する。杖で方向を示した魔力が、狙い過たず、ひねた青年に注がれる。足が唐突に動きを止めた。慣性で上半身が前にのめる。
「てめぇ! 何しやがったッ?」
追い付いた親戚が呆然と鍵の番人を見る。
ひねた青年は体勢を立て直したが、足の裏が地面に貼り付き、微動だにしない。
「何だよ、これッ? このチビ! オレに何しやがっ……」
両腕がだらりと下がり、言葉が途切れる。
青年は鍵の番人を睨み、口を叫びの形に留め、完全に動きを止めた。
政晶が騎士たちの間を抜け、青年に近付く。
三界の眼の視力を与えられた政晶には、青年の姿は見えなかった。ただ、人の背丈程のヘドロの塊が蠢いて視える。




