70.穢れ
「天の理、地の恵み、水の情けと火の怒り、我にその大いなる助力……」
主峰の心は、天に向かって呪文の一節を唱え、次の一節からは若者たちを見据えて続けた。
若者たちは、鋭い視線に射竦められ、身じろぎひとつせず、主峰の心を見詰め返している。
「蒼穹の許、鵠しき燭よ、如何なる辯疏をも却ける峻厳なる光明よ……」
最初の数節は、政晶が建国王から習っている呪文とよく似ていた。
途中から聞き慣れない言葉が混じり、やがて全く知らない言葉の連なりに変わった。
「何者にも染まぬ黒き衣纏い、灼けつく烈夏の日輪以て劾き、四方に広がる霜の剣以て禍つ罪断つ。日々に降り積み、心に澱む塵芥、洗い清めよ、祓い清めよ……」
詠うように、語るように、朗々と唱える不思議な抑揚の言葉が、胸に篤く重く染み込む。
染み込んだ言葉が胸を震わせ、その共鳴が熱になり、心が昂揚する。
大剣に朝の光が反射し、輝く。昂揚した心がその光を受け、隅々まで照らされる。
「灼けつく烈夏の日輪以て劾き、四方に広がる霜の剣以て……」
〈三界の眼を開くぞ〉
不意に建国王が言葉を発し、政晶の返事も待たず、視力を切り替えた。
祭壇の広場は、朝の光の中でもドブだった。
それと向かい合って立つ若者たちから、黒い靄が立ち昇る。ゆらゆらと陽炎のように揺れ、山頂から吹き降りる風に逆らって、祭壇に流れ込む。
主峰の心は、先程までなかった白い光に包まれていた。
鍵の番人も昨日同様、光って視える。三界の眼にしか視えない「何か」だ。
「……心の誠以て日輪の花咲かすべし」
主峰の心は、詠唱を終えると剣を降ろし、参列者の間をゆっくりと歩いた。
若者たちの顔が緊張で更に強張る。
主峰の心が傍を通ると、若者から黒い靄が塊になって抜けた。
塊は、吸い寄せられるようにドブに加わる。塊が抜けた若者は、肩の荷が下りたような、ホッとした顔になった。
主峰の心が、ひねた青年の横を通過する。
政晶は、無意識に半歩前に出た。
ひねた青年を覆っていたドブ水は、薄紙を剥がすように僅かずつ離れ、地に落ちた。これもまた、地を這いずり、祭壇の同類と同化する。
主峰の心が傍らを離れると、ドブ水の残りは若者に留まった。
姿が透けて見える程度には薄まったが、ドブ水はその発生源である若者にしっかりとしがみついている。
……王様……あの残った奴って、どないなるん?
〈汝が我で斬ってやれば霧消する。そのまま捨て置けば、まぁ、本人次第だな〉
……本人次第……あの兄ちゃん、化けモンなってまうん?
〈今すぐどうにかなる訳ではない。が、本人次第だな。どうする?〉
政晶は、ひねた青年を見た。
退屈そうに体を揺らし、眠たげな目で主峰の心を追っている。ドブ水は、若者の表面で落ち着きなく波打っていた。
……どうって……
〈あの者たちはこの後、すぐに下山する。これは汝の義務ではない。今の状態ならば、我にでも斬れると言うだけのことだ。三界の魔物と化せば、退魔の魂でなければ太刀打ちできなくなるがな。どうする?〉
……どうって……あの兄ちゃんを信じてこのまま帰らすか、ここで強制的にすっきりさして帰らすか、僕に選べってこと?
〈そうだ。粗方剥がれた故、後は本人次第。あの者がどうなろうと、年端も行かぬ汝が責を負うべきことではない〉
政晶は、彼の人となりを知らない。
宿場町からの様子を見た限りでは、「ダウナー系中二病ヤンキー混じり」に思えた。
中二病から目を覚まし、過去の自分の言動を思い出して、恥ずかしさにのたうち回れば、あのドブを自力で脱ぎ捨てることができるだろう。
その瞬間が、いつ訪れるかは、わからない。
瘴気に触れる日が先に来れば、彼の人生は、この世に生きながら、終わる。




