07.昼食☆
父が化け猫呼ばわりした黒猫が、琥珀色の目で政晶をじっと見詰めている。政晶は思わず目を逸らした。
食堂に隣接する台所に通された。
そこは、一般家庭の台所とは一線を画す、立派な厨房だった。
年季が入った重厚な食器棚には、銀器をはじめとして、子供にも一目で高価だとわかる食器が納められている。
普段はこちらで食事をしているらしい。八人掛けの食卓には、卓上調味料のセットが載っていた。
黒猫が宗教の腕から飛び降り、冷蔵庫の前で一声鳴いた。
「ちくわ? 晩ご飯の時にしようね」
宗教が黒猫に優しく言って聞かせた。
廊下を通り過ぎながら父が声を掛ける。
「宗教、黒江貸してくれよ」
「うん、いいよ」
宗教は気安く答え、杖を持って台所を出て行った。
黒猫と金髪の女性が続き、政晶は一人、取り残された。
急に静かになった台所に、冷蔵庫のモーター音だけが低く重く響く。
政晶は、母と二人で暮らした家の台所を思い出した。
分譲マンションのカウンターキッチンは広々としていたが、ここはそれよりも広い。
対面式で、料理する母の顔が食卓から見えたが、ここは調理台が壁際にある。
商都の家は掃除しやすいクッションフロアだったが、ここは年季の入った板張りで、底冷えがする。
母が最後に作ってくれたのは月見うどん。秋分の日の夜食だった。
「お待たせ。政晶君、アレルギー大丈夫? 何でも食べられる?」
宗教の声に顔を上げる。一人で戻ってきた叔父に無言で頷くと、叔父は調理台に立った。
「うどん、すぐ作るから、座って待っててね」
大鍋にコップで何度も水を汲み入れ、湯を沸かす。
……何でそんな面倒臭い入れ方……? あ、心臓悪いから、重いもん持たれへんのか……
自問自答し、手伝うべきか考える。
政晶の結論が出るより先にうどんができあがった。
「取りに来てくれる?」
「……あ……う、うん、はい」
政晶は慌てて席を立った。
熱いつゆに葱、蒲鉾が浮き、中央に生玉子が落とされている。
月見うどんだ。
母のうどんは関西風の薄いつゆだったが、叔父のうどんは関東風の濃いつゆ。
母は細く青い京葱で、叔父は白い太葱。
「うどん、嫌いだった?」
「いっ……いいえ! すっ好きです! ハイ! うどん好き!」
政晶は丼を抱えて席に戻った。
宗教がその向かいに腰を降ろす。
食欲はなかったが、いただきます、と呟いて一口すする。
つゆの色から想像していた程、味は濃くなかった。母のうどんとは全く違う味だが、するすると腹に納まる。
昼にサービスエリアで休憩した時、食べたくない、と食事を拒んだからだろう。
厚意を無碍にしてはいけない、と言う義務感だけで箸を運んでいるが、胃はしっかりと叔父のうどんを受け容れている。
「政晶君のお部屋、政治の隣にしたからね」
政晶はうどんをすすりながら頷いた。
「荷物は黒江に運ばせてるけど、もう大きいし、お片付けは自分でできるよね?」
政晶は、宗教となるべく目を合わせないよう、丼に視線を落したまま頷いた。
叔父は何も言わず、政晶がうどんを食べる姿を見守っている。
正面からじっと見つめられると、気マズくて食べにくい。政晶は丼から顔を上げる事なく、箸を動かし続けた。
作ってもらったからには、つゆまで飲み干すべきか、体に悪そうだからやめておくべきか。
考える時間を稼ぐため、バラけた葱を一切れずつ口に運ぶ。
挿絵の説明。
【上】叔父のうどんは関東風の濃いつゆ。白い太葱。
【下】母のうどんは、関西風の薄いつゆ、青い京葱。