61.記憶
他人の記憶に直接触れる。
よく考えれば、普通ではあり得ない現象だ。
遠い遠い祖先と直接言葉を交わし、感覚を共有し、互いに相手の記憶を読み取る。
木に絡みついた蔓から、紫色の実がぶら下がっている。食用で、中の果肉は白くて甘い。
家族で森へ出掛け、果実や薬草を集める。
森の中は、ひんやりと涼しい風が吹いている。
幼い建国王と弟妹は、草の実を摘みながら口に運ぶ。
「これも美味しいから、食べてごらん」と母に教えられ、兄と一緒に木に登った。
もぎ取った実を弟と小さな妹に渡す。
「お兄ちゃん、ありがとう」
木漏れ日の下の無邪気な笑顔。兄と建国王の頭を撫でる母のやさしい手。武器を帯び、家族を見守る父。
普通の家族の普通の思い出。
ありふれた幸福を思い出させた果実。
剣となった建国王は、再びこの実を味わうことはない。
政晶も、自分が幼い頃は、父が毎日、家に帰っていたことを思い出した。
昼は大学、放課後はアルバイト。
帰宅は深夜だったが、朝は家に居て、政晶を保育園に送ってから登校。
アルバイトが休みの日には、早く帰って政晶を風呂に入れ、絵本を読み聞かせて寝かしつけていた、と母から聞いていた。
父は、政晶が物心着くかつかないかの頃、大学を卒業した。
在学中に起ちあげた事業に専念する為、帝都の実家に戻り、年末年始以外、母と政晶が暮らす商都の家には、帰って来なくなった。
あの頃は、父が帰って来なくなることなど、思いもしなかった。
「お父さんは?」
毎日、母に聞いては困らせていた。
その度に、母が、父がいた頃の話をするので、政晶は物心つく前の暮らしを朧げながらも憶えていた。
政晶は、ほんの十年前の記憶も定かではない。
建国王は、二千年以上前の思い出を色褪せることなく、【涙】の中に保存している。
〈マサアキ、汝のことも勿論、しかと記憶に留めておるぞ〉
……それって、ずーっと?
〈そうだ。我が我としてこの世に留まり続ける限り、ずっとだ〉
不意に木立が途切れ、開けた場所に出た。
小さな丸太小屋がポツンと建っている。小屋の周りで、先行していた若者たちが昼食を摂っていた。
政晶たちと入れ替わりに、騒々しい青年たちが休憩所を出発する。
親戚らしき一団は黙々とスープをすすり、恋人たちは二人で協力して食事の用意をしていた。
小屋の中からも賑やかな話し声が聞こえる。
政晶たち一行も、彼らに会釈して食事の用意を始めた。
空は青く澄み、強い日差しが地面を灼いていたが、魔法の鎧のお陰で暑さは感じなかった。しかし、体を動かして内から熱くなるのは防げないらしい。皆、一様に汗ばんでいた。
自分で歩かなかった鍵の番人と、使い魔のクロエだけが、涼しい顔をしている。
政晶たちが食事を終える頃には、先に休んでいた若者たちは出発し、後から来た者が食事の準備を始めていた。
……結構、人多いねんなぁ。
〈ん? あぁ、今の時期は日が長いからな〉
政晶たちも早々に休憩を切り上げ、登山を再開する。食事をして少し休んだお陰か、足が軽くなった。




