59.主峰
ヒルトゥラ山を持ち場とする封印の導師・欺く道と慈悲の谷が、遭難者を気紛れに助け、麓の住人が登山道や山小屋を整備し、いつしかすっかり成人の儀として登山が定着した。
郷土の儀礼や家系の仕来りも残っている為、必ずしも全員が登る訳ではない。だが、若者の間では、他所の地方を旅する口実にする者も多かった。
旅の途中、或いは主峰の祭壇で、生涯の伴侶と巡り合う者も少なからず存在する。
……えーっと……成人式って言うか、婚活パーティーなん? 祭壇で何すんの?
〈コンカツ?……いや、集団見合いではない。成人の儀式はある。主峰の心が、訪れた若者の穢れを祓って祭壇に移し、心機一転、一人前としての自覚を持って暮らすよう、心得を説くのだ〉
……あぁ、一応、それっぽいことはするんや。でも何か嘘臭いなぁ……
〈嘘……いいや、嘘偽りなく、民の為にも、封印を維持する役にも立っておるぞ〉
若い内はとかく迷いが多く、一度思考が負に傾けば穢れを生じやすい。
人々の心の裡に穢れが溜まれば、それが三界の魔物の穢れに取り込まれ、新たな魔を生じやすくなる。
穢れを拭い去り、気持ちを改め、何らかの権威に己の存在を肯定されることは、生きて行く上で、大きな自信と心の支えになるものだ。
主峰ヒルトゥラ山には、騎士の魂が固定されている。
生前は、人々を守る為、数え切れぬ程の魔物と勇敢に戦った。
最期には、その存在の全てを捧げ、封印の最外周として大地を隆起させ、山脈を形成する核となった。
ムルティフローラのみならず、かつてのプラティフィラ帝国の民にとって、知らぬ者のない英雄だ。そして、山脈はどこからでも見える。
誰の目にもわかりやすい揺るぎない存在。
〈心の支えとして、これ程、相応しいものはあるまい〉
……その騎士の人は、山の神様になってんなぁ……何か、シューキョーっぽい。
〈……汝の思う信仰とは趣を異にするが、形式的にはそのようなものだな。若い内に道を示せば、それが戒めとなり、己を律する標ともなる。心を闇に沈めた者が瘴気に触れれば、生きながらにして魂を蝕まれ、三界の魔物と化す。それを防ぐ為に必要な措置だ〉
……えぇッ? 悪いことして、死んだら地獄行きになるんやのうて、生きたまんま、化けモンなんのッ? 恐ッ!
政晶はこの国の「普通」に驚愕した。「この世の地獄」とは言うが、ここでは文字通りの意味で、この世で地獄を体現する事象が起こり得るのだ。
ゆっくりと店内に視線を巡らせ、客一人一人の顔を見る。
騒々しい青年たちは、昨日倒した魔物の話や、これから登る山の魔物情報を交換し、道中、戦う力を持たない人々を如何に守るか、議論している。
親戚らしき一団には、道を誤りつつある者がいるらしい。心の裡にある穢れを如何にして祓うか、その方法を知りたがっていた。
一人の若者に熱心に人の道を説いているが、当の若者は、あれこれと言い訳や反論を繰り返すばかりで聞き容れない。親戚の者を屁理屈で言い負かしては、「論破してやった」と得意満面になっている。
恋人らしき二人連れは、夫婦となった後の行く末と、子供が産まれたらどう躾けるべきか、熱心に語り合っていた。
一行は、夜明け前に宿を発った。




