53.旅人
政晶は手伝いを申し出たが、騎士たちに断られた。
手持無沙汰になり、何となく白馬に近付く。
白い軍馬も黒い瞳で政晶をじっと見ている。
政晶は、そっと手を伸ばし、入道雲のように白いたてがみを撫でた。
猫のように喉を鳴らす訳ではないので、喜んでいるかどうかはわからない。
少なくとも嫌がってはいないようで、白馬はされるがままになっていた。
灰色の軍馬が首を伸ばして、しきりに政晶の匂いを嗅いでいる。
昨日よりは慣れたが、それでもやはり踵と踝が痛む。
馬に構って逃避しても、痛いものは痛い。
鍵の番人に言った方がいいことはわかっているが、政晶は言い出せないでいた。
……普通に絆創膏貼って、何日か我慢して、それでしまいやしなぁ……
〈すぐに治す手段があると言うに、何故そんな痩せ我慢をするのだ?〉
政晶の中に建国王の呆れ声が響いた。
何故、と問われ、反射的に理由を探す。
そして、問われるまで、その理由に自分でも気付いていなかったことに、気付いた。
……何でって……えー……うーん……そうやなぁ……僕が今まで生きてきた中での「普通」と、ここの「普通」がちゃうから、言うてえぇんかどうか、わからんからかなぁ……?
理屈としては筋が通っている気はするが、自分でも本当に自分がそう思っているのか、わからない。
建国王もそれに納得したのかしないのか、曖昧な思考の波を返してくる。
〈だが、汝は靴擦れに苦しみ、我も汝と共に苦しみ、そしてこの地では、呪医に頼めばすぐに癒されることも知っておる。何度も繰り返すが、何を為すべきか、わかっておろうな?〉
〈斧〉が皮袋の口を広げ、〈灯〉が小さな瓶から水を注いでいる。
瓶は三百五十ミリリットルのペットボトルに近い大きさだが、出てくる水の量は、瓶の容量よりも明らかに大きい。
掃除用バケツの大きさの皮袋になみなみと注いで、まだ中身があるのか、〈灯〉は慎重にコルク栓を閉めていた。〈斧〉が、皮袋で馬たちに水を飲ませて回る。
「舞い手さん、こちらへ」
鍵の番人からそう呼ぶように指示されたクロエが、政晶に声を掛けた。〈雪丸〉が別の瓶から出した水に香草の束を突っ込んでいる。
その傍らでは鍵の番人と〈雪〉が昼食の用意をしていた。
〈雪丸〉が術で水を起ち上げて政晶を洗い、ついでに、馬に水を飲ませ終えた二人も洗った。
鍋敷きのような石板の上に金属の五徳を乗せて〈雪〉が呪文を唱える。石板の上に小さな火が、円を描いて現れた。
鍵の番人が、鍋に水と干し肉と乾物の野菜を入れ、お玉でかき混ぜる。
じきに旨そうな匂いが辺りに漂い始めた。
銅のマグカップに注いだスープと、今朝、宿の主人が持たせてくれたパンが配られた。
使い魔のクロエにも与えられ、早速やわらかなパンに齧りついている。
政晶たちが食べ終わる頃、旅人たちは食後の休息を終え、王都への旅路に戻った。
政晶は手を振って見送った後、ふと疑問が浮かんだ。
「何であの人ら歩いて行きよん? おっちゃんみたいに、魔法で手前まで行かれへんの?」
「知らない場所には跳べないもの」
簡潔に答えた鍵の番人は、少し考えて付け加えた。
「例えば、黒山羊の殿下たちご兄弟が、初めてこの地を訪れた時は、大使が跳んだよ。大使は、我が国が国連に加盟していた頃に、陸路と海路でバルバツム連邦に行って、三つ首山羊の王女殿下が嫁いだ時に、王女と共にバルバツムから船で日之本帝国に渡った。だから、日之本帝国から王都の前まで跳べたんだ」
……あぁ、近所に連れてってくれる人おらんかったら、普通の交通手段で行かなあかんのか。
納得した政晶は、鍵の番人に礼を述べ、旅人たちの既に小さくなった後ろ姿を見送った。




