35.身内
叔父の腕から黒猫が飛び降り、侍女になった。
メイドのクロエだ。
上座に最も近い空席の椅子を引き、主人の着座を介助する。
政晶は思わず動きを止めた。
「ん? どうしたの? 早く座りなさい」
叔父の手前の席から高祖母が言った。
……どういうこっちゃ……? 黒江さんは化け猫で、使い魔で……クロエさん……?
政晶は混乱しながらも、王に頭を下げて着席した。
昼食は驚く程、質素だった。
羊肉入りの野菜スープとパン。政晶の普段の食事の方が余程豪華だ。
横目で左を見ると、黒山羊の王子殿下は、肉なしの野菜スープだけだった。
食欲はなかったが、この状況で食事に手を付けなければ、精神がもたない。国王たちに余計な心配を掛けぬよう、匙を手に取った。
政晶はスープを口に運び、今度は別な意味で驚いた。
……なんやこれ、めっちゃ美味い……!
野菜そのものの味が濃く、複数のキノコの出汁が羊の脂と絡まり、複雑な旨味を作りだしていた。何種類もの香草が、羊肉の臭みを消して、爽やかな香りを漂わせている。暑さで参っていた体に、程良い塩気が染み透った。
これまで口にした中で、これ程、美味い物は初めてだった。
羊の脂で重いスープかと思ったが、香草は薬草でもあるのか、ストレスで弱った胃に優しかった。
親戚たちは、政晶にはわからない言葉で和やかに談笑しながら、食事を摂っている。
政晶を物珍しげにじろじろ見るような不躾なことはしない。
言葉が通じない上、席が遠いせいか、話し掛けられることもなかった。
「王妃様がね、たくさんあるから、おかわりは遠慮なく言うのよ。育ち盛りなんだから、いっぱい食べていいのよって」
王妃が政晶に掛けた言葉を、叔父が訳す。
政晶が礼を述べると、高祖母がそれを湖北語に訳した。
「これ、めっちゃおいしい。作った人にもありがとう言いたいゎ」
政晶の素直な感想が訳されると、王が目尻を下げて政晶の頭を撫でた。
大きくあたたかな手に、政晶の中で張り詰めていた何かが氷解する。
父からは感じた事のない、心の動き。
……これも何かの魔法なんやろか。
政晶の食べっぷりを幸せそうに見守る国王夫妻を、不思議に温かい気持ちで見つめ返す。
大使から報告が行っているのか、家族のことなど、政晶がそっとしておいて欲しい事柄には、全く触れられることなく、食事会が終わった。




