31.国民☆
政晶が生まれる遥か以前、二千年以上前から存在する古い街並みが、ゆっくりと流れて行く。
道の両脇には、黒山羊の王子殿下の帰国を喜ぶ民が詰めかけていた。
科学文明の国なら、ケータイや小型端末などで写真を撮るのだろうが、この国の民は、馬車の進路を妨げぬよう、道の端に寄って手を振り、声を掛け、その姿を目に焼き付けている。
黒山羊の殿下の膝では、使い魔の黒猫が欠伸をしている。
「魔力を持つ僕が生まれて、まだ生きてるのが気に入らない人たちがいたんだけどね」
叔父が、いつもと変わらない口調で、物騒な話を始めた。
数年前、黒山羊の殿下は仕事帰りに拉致された。
駐在武官と警察の協力で無事に保護され、主犯らは処刑された。
それまでは大袈裟だと警護を断っていたが、警察と大使と駐在武官の双羽に強く説得され、事件後は常に双羽の警護を受けている。
「君には大事な役目があるから、多分、人間に何かされることはないと思うよ」
……それって「人間以外の何か」に、なんかされるん前提なん?
危険情報に過敏になっている政晶が、叔父を見る。
隣に座る大使が穏やかな声で言った。
「山の祭壇までの道中、騎士隊が護衛致しますし、呪医も同行しますのでご安心下さい」
……うわぁ……そんなん「めっちゃ危ないです」言うとんと一緒やん。
政晶は顔を強張らせたまま、二人を交互に見た。
「我が国について、どの程度ご存知ですか?」
「えっと、地理の教科書とかに載っとう事くらいしか……」
ラキュス湖北地方に位置し、内陸の盆地で、寒暖の差が激しく、魔物が多く棲息している。
プラティフィラ帝国の流れを汲む古い魔法王国で、周辺の同盟国を除いて、ほぼ国交はない。
かつては国連に加盟していたが、現在は脱退している。
同盟外の日之本帝国に大使館を置く理由は、今、わかった。
……緑のおっちゃん、うちと親戚の為だけに日之本におるんか……
「左様でございますか。体力作りを兼ねて、徒歩でゆっくりと山への旅をお楽しみ下さい。今の時期は、夏のお花がきれいですよ」
大使がお気楽な観光案内を口にする。
山脈は、城壁の外側からでも、遥かに霞んで見えた。
徒歩で何日かかるのか。夏休みが終わる迄に帰国できるのか。
いや、それ以前に生きて帰れるのか。
何をどう安心すればいいのか不明な情報を与えられ、政晶は内心、穏やかでいられなかった。
……要するに、一応気ぃ付けとけ、言いたいねやろ。なんも心配いらんのやったら、別に言わんでもえぇやん。引き受けんかったらよかったゎ。
苦い後悔が押し寄せる。




