29.不安
黒山羊の王子殿下は、心なしか寂しげな顔で答えた。
「多分、大丈夫だと思うけど、悪いことするような人が……全くいない訳じゃないからね。ここは魔法使いの国だから、名前を名乗る習慣はないんだ。名前を知られるのは、命を握られるのと同じことなんだよ。だから、誰にも知られないようにするんだよ」
「過去に、三つ首山羊の王女殿下が、魔力を持たない異国の男性とご結婚なさったことを快く思わない輩がいたのです。当時、国王陛下は開放政策を実施しておられました」
大使が詳しい説明を始めた。
血が濃くなり過ぎないよう、国際結婚が奨励され、手本として五人の王族が外国人と結婚した。
他の四人は近隣にある同盟国の王族と縁組したが、三つ首山羊の王女は、国連で知り合った日之本帝国の一般人に嫁ぎ、ムルティフローラを離れた。
元々、開放政策に反対していた一派が猛反発したが、中立派の提案により、子供が生まれるまで様子を見ることで、一旦は落ち着いた。
やがて、二人の間に娘が生まれた。
一人娘が十二歳になるのを待って、王族の能力検査が実施された。
結果は惨憺たるものだった。
右の塔の扉を開くことはできたが、塔内の扉は一枚も開けられなかったのだ。
これは、王家の血を引きながら、魔力を持たないことを意味した。
「えーっと……なんで?」
「入口の扉は、王家のお血筋に反応して開きます。王家と無縁の者には、どんなに力があっても開けられません。内部の扉は魔力に反応して開きます。上に行く程、開閉には強い魔力が必要で、全部で百枚あります。黒山羊の王子殿下は九十二枚開けられましたが、あなた様の父上と、もう一人の叔父上は、一枚も開けられませんでした」
大使は、政晶が知りたいと思うことを先回りして説明した。
心臓が弱い叔父は、国王が抱き上げて階段を昇り、扉だけを自分の手で開けた。
三つ子の兄弟でも、魔力を持たない二人は、王族と認められなかった。そしてまた、多くの魔法文明国がそうであるように、魔力を持たない二人には、ムルティフローラの国籍を取得することも出来なかった。
王族である宗教一人が、十八歳で日之本帝国からムルティフローラ王国に国籍を移した。
「えっ? そしたら、おっちゃん、外国人として日之本におるん? なんで……?」
「体調のこととか色々あって、こっちに引越せないんだよ」
魔法は「元に戻す」ことで治療する為、強力な術を用いれば、即死でない限り、何事もなかったかのように完全に回復……復元が可能だ。
それ故、先天的な病や障碍は、そもそも治療の対象にならない。
一般的に多胎児は小さく生まれるが、この三つ子は、宗教だけが極端に小さかった。
更に心臓や消化器などにも先天異常があり、何もしなければ、生後間もなく死亡する筈だった。しかし、日之本帝国の先端科学による治療で、一命を取り留めた。
現在では、多少の支障はあるものの日常生活を送り、仕事もこなしている。
「魔力をお持ちの黒山羊の殿下だけが、ご不自由なお体なのは、呪いが原因なのです」
大使が固い表情で忌々しげに言った。




