○カちゃん
オートロックのドアを開けて、愛しの冷蔵庫に向かうと、ジョッキをテーブルにプルタブをプシュッ!
泡を舌にからめながら、苦い一日を苦い液体で洗い流す。
そろそろいろんな意味で不安になってくる独身女の癒やしの時間だ。
胃からアルコール混じりの炭酸が昇ってくる。
オトコには絶対見せられない格好でソファーに・・・電話だ
しかも非通知。
はいとのいらえを待たずに。
「あたし○カちゃん今駅にいるの。」
ヘリウムでも吸ったような声。
イタズラだろう。でも誰が?
「あたし○カちゃん今角のコンビニの前にいるの。」
コンビニなんてたくさんある。
「あたし○カちゃん今マンションの前にいるの。」
私が学生の頃、流行った怪談だ。
トイレの花子さんと、どっちが先だったろうか?
「あたし○カちゃん今507号室の前にいるの。」
そして○カちゃんは、この部屋に入ってきた。
あれから二時間。
今も彼女?はこの部屋にいる。
身長より長い包丁を持って。
玄関には守衛さんが居て、この部屋はオートロックだったはずなのに。
前には○カちゃん人形が居てスマホも固定電話も彼女?の後ろに
ある。私の後ろにあるのはベランダだけだ。
この部屋は角部屋で隣のベランダとは繋がっていないし、ベランダから非常階段へは、20+αkgのダイエットが必要だろう。
つまり逃げ場がない。
さらに、この二時間えんえんと彼氏の愚痴である。
誰か助けて!!
包丁が蛍光灯を反射して朱く光っている。
鉛よりも、劣化ウランよりも重い目蓋を、鋼の意志で支えながら、太腿に爪を立てる。
眠い、明日も仕事なのに・・・
眠気とえんえんと続く愚痴に疲れて、私は失敗した。
「だったらもう別れちゃえば。」
失敗した!!
失敗した!!
失敗した!!
失言だった。
ある程度女として生きてきたか、女性心理について知っている人ならば理解できるだろう。
この言葉は絶対に言ってはいけない言葉だったのだ!
あれからどれだけ過ったのだろう。
眠い。
怖い。
眠い。
包丁が朱く光っている。
失言の後、彼女?の話は、愚痴からノロケ話になった。
解っていたはずなのに!
この状況は予想できたはずなのに!
ああっもう、睫毛がどんなに長いとか、脚がどんなだとか知らんわ!
こっちは男日照りなんだ!
なにが悲しうて人形のノロケ話を聞かされにゃあならんのだ。
御存知だとは思うが、女同士の場合、男の悪口ならばいくらでも盛り上がれるが、ノロケ話、しかも知らない男の話をえんえん聞かされるというのは拷問なのだ!
包丁って蛍光灯を反射すると、あんなに朱く光るものだったろうか?
いけないいけない、話に集中しなければ。
○カちゃんは、会ったこともない相手の自慢話をしてさらに、同意を求めてくるのだ。
誰か助けて!!
だがしかし、偉大なる地球は、私に救いの手を差し伸べたのだった。
東の空が明るくなってきた。
甘かった!
真の恐怖はこの後にあったのだ。
ちらと窓を見て彼女?はこう言ったのだ。
「それじゃあ、また明日!」
誰か助けて!!
私は意識を、手放した。