穢れの刻印
燃え盛る炎の欠片が、まるで蝶の踊りのようにちらちらと舞っていた。
だらしなく片側だけ羽織られた金糸の打掛けをずるずると引きずり、ふらふらと今にも倒れそうな足取りで、暗い廊下を前に進む。
「みんな、なくなればいい」
この穢れた体も、全て焼き尽くして。
先刻までの行為を物語る、白い肌に咲く紅い花。
たび重なる屈辱に、今では泣き叫ぶことも忘れた。ただ、その時が過ぎ行くのを待つだけ。
そんな日々が、今宵ようやく終わる。
慌てる者たちを横目に見ながら、微笑む。
落城の憂き目に遭うのはこれで三度目。だが、過去の二度は、自分が望む望まないに関わらず、結果的に死を逃れてきた。
何度その場に立ち会っても、それでも死を目の前にするのは怖い。
だが、今はそれよりも早く、夜な夜なあの無粋な男に体中を支配される屈辱の日々から逃れたかった。
壁にもたれ、ゆるりと瞳を閉じる。
「ようやく、あの人のところへ―― 飛べる」
炎の蝶のように。
「和貴」
呼ぶ声は、少しだけ、震えた。
『どんなに時が廻ろうと、この身が魂だけになろうとも、私がお慕いし、お仕えするのは貴女だけ』
耳に残るは優しく甘い囁き。
わたくしも、どんなに時が廻ろうと、魂だけになろうと、真に心許すのは貴方だけ。
体はゆるしても、魂まではゆるしていない、他の誰にも。
―― だから ――
『どうか、魂だけは追い返さないで……』
右手に握った小刀が鈍く光った。
『これで、逝ける』
安堵にも似た気持ちでひとつ息を吐く――
その時。
「見つけたぞ。霞」
低く、唸るような声が背後から襲い掛かった。
背中をひやりとしたものが流れる。
「満足か?あの者のところへと逝けることが」
目の前の男を、言葉もなく睨みつける。
この男、こんな時にまで―― 。
「もうこの城も終わりだ。そしてこの俺も。だが、ただでは逝かせぬ」
狂気を宿した目をぎらりと光らせ、男が嗤った。
「お前は俺のものだ。来世でも忘れられないように、最期の時まで離しはしない」
その言葉をいい終わるか否かの内に伸ばされた腕によって、逃げるまもなく一気に腕を引き上げられる。小柄が手から滑り落ち、虚しい音を立てて転がった。
目の前に火の粉が舞い散る。狂った行為は止まぬまま――。
飛び立つはずの羽を捥がれた蝶は、最も憎い男に組み敷かれながら最期の時を迎えた。
蝶が狂ったように舞い踊る。
心で愛しい者の名を呼びながら。
****** ******
朝の光の差し込む部屋で、暁は頬に伝う一筋の透明な雫を、親指ですっと拭う。
そして、ゆっくりと空色の小花柄の手鏡を閉じ、椅子から立ち上がった。高い位置でひとつにまとめた髪が、首筋の辺りでさらりと音を立てる。
窓際のフローリングが陽の光で輝いていた。
階下では、母が自分を呼ぶ声が聞こえる。
「暁ちゃん?したくは済んだの?もう時間だよー」
暁は「はーい」と返事をして部屋の扉を開いた。
今日から高校生活がスタートする。
階段を下りると、若草色のスーツを着た母親が待っていた。
「暁ちゃん、もう高校生になったら学級委員とか、生徒会とかはやめて」
「え?どうして?」
暁は胸のリボンを両手で整えながら母を見た。
「高校生活なんてあっという間なんだから。高校に入学した時から受験は始まってるようなものらしいし。暁ちゃんはうちの家系には考えられないぐらい頭が良いんだから、中学のときみたいに係や役員の仕事ばかりしてて、もし勉強がおろそかになったら―― 」
そんな母に、肩をすくめ――、
「ごめんね、お母さん。それは約束できない」
「えーっ!なんで!」
娘の返答に、母は困ったように眉を寄せた。
『ごめん、お母さん。私、ずっと捜している人がいるの。そのためには、なるべく多くの人と関わることが必要だから……』
苦笑しながら、暁は心の中で母に謝った。
『そう。諦めるわけにはいかない』
拳を胸のリボンの前で握り締める。
『また、会えますね?』
わたくしの問いに、あの人ははっきりと答えた。
―― はい、必ず ――
と。
その言葉を胸に、私は今もあの人を探し続けている。
中学までには見つけられなかったけれど、きっと高校では見つかる。根拠はないけれど、そんな気がする――。
きっと、見つける。
―― 和貴、あなたと再び出会うためだけに、私は生まれ変わったのだから。