いくさ人のなれの果て
骨篇は主に教圏の側から書かれてあるので定文法に従ってエステとしましたが、一般にはデステとするのが正しいので今回はデステです。
大陸の半分以上も治めて五百年も保ったデステ帝国も後ろの方になって衰えてくると、威力というか威圧といった押しがだんだんと通用しなくなってくる。ミナッツ王国のルイジェセン大王の泥臭っ気のある策謀にやられて哀帝ウェルシャが虜にされてからはもういけない。是非はともかく、金貨王以来、帝国に真珠島の王位を任じられてきた事実があるだけに、俸給制から封地制に変えていたデステの国制を支える太守だとか総督というのが我も我もと帝室を軽んずる勢いも日に日に強まってくる。身代金を払って教圏半島から戻った哀帝は発狂の様を態すること多々あり、帝位威信の回復なんかはまったく望めない。とうとう狂死させる陰謀が仕組まれて、三世目の女帝を即かせてまとまりを図るところまできた。今でだに女尊の気風が激しいデステ人。生まれてから大事にされるより外のことを知らないからか、他民族には<猛犬の上は跨げてもデステ女の上は跨げない>なんて下世話を言われる。それでも自らをより好く見せる躾を本能的に行き届かせるから、気位が高すぎる、傲慢というほどのものじゃない。それでいて世間知らずでもあるから、コツさえ掴めばあれで結構操りやすい。
――女を夢中にさせるコツはその女が叶えてほしいと願うままで決して口にはしないおままごとに付き合ってやることだ。どうしてほしいかを直に聞くなんてのは女付き合いでは下々の下だ。そんなことをしていたらいつかこっちの方が物にされるよ。
女好きの代名詞みたくなっているロミオ・グリゼリウス、あれが弟のウニヴェロッサの為にこんな助言をしてやったと俗伝されていますが真偽効能いずれもどんなものでしょうね。異性論というとまるで男の専売特許のように見られやすいですが決してそんなことはなく、女の側からの論にロミオのそれと符丁を表裏にしているんだが、愉快な仕返しでもしているような物があります。
――男を夢中にさせるコツはその男がやりたがっている英雄ごっこに付き合ってやることだよ。中には質朴な奴もいるが、そんな奴じゃ大した物にならない。入れ込むだけ女が廃るよう。
女の面目とはかくなるものと、いやはやかなり痛いところを突いてきますなあ。この言、ドロスの高級娼婦のもの、ナルマーの湯女女将のものと論が分かれていますが、湯女女将のもんでしょう。高級娼婦の言に似たものもありますが、よほどそちらの苦界の泥水を啜ってきたのを拾われたのか、いざとなると男を頼る品を作ったのが多い。そこゆくと<男は最後の最後の窮地には自分の力を頼み、女は最後の最後の窮地に他人の力を頼む>という格言をも飛び越えて、自分の体を社会の中に飛び込ませて男女の差違もない成員と自覚するナルマーのとは違うわけです。自分の非を注意されただけで「人格の否定だ!」などと大仰蒙昧な言葉を振り回して当たり散らす女々しい現代女性とは機知にしても社会意識にしてもちょっと比較となりませんな。
ともかくデステ帝国には女帝が樹った。アシュタルテ三世。デステ女帝は三帝いずれもが傑物で、もしも三世続けて帝位を継承していたら世界征服もやれたんじゃないかと言う人もいますが、女性を尊ばないことには身が立てられないデステ社会、男が女をままごと的に満足させて、女が男を英雄ごっこの主人公のようにして満足させ合うのが真実の関係かは眉に唾をつけたくなる御論めきますので、女帝を頂点にすると異様な結束力を見せるから何でもやりやすくなるのが本当じゃないですかね。同時代の大陸東部にあったデーン王朝から六つ前のライ王朝は、百年以上の戦国乱世という血道をやっとのことで歩みきったせいか、その人間観に冷徹なところさえ垣間見るほどで、その中でも最右翼なのは司法長官と外務大臣を合わせたような役職の法科傳士オンコウビの言でしょう。
――人間の出来映えに生まれつきの才質が非常に小さなものだというのはよく知られているが、生涯をかけて身につけられる能力にもさほどの差違がないことは知られていない。心を傾けて一心不乱にやった者と怠け怠けやった者とを敢えて比べるなら大きく違うが、この二人の差も強国と弱国においては微々たるものである。エタヤスカは乱世随一の良材であったが、用いればその重さのせいで館が崩壊してしまうような弱国に生まれたが為に、たった一度の不運な失敗で刑死させられて、屍は路地に打ち捨てられる無惨と恥辱を避けられなかった。ソウこそは手強い大国に違いなかったが、その人材と言えば、いるかいないのか分からん弱才の徒、後ろ向きに進むにも前に進むのと同じように行く蛮勇の持ち主ばかりであったのを、小人でも十言のうち一つや二つには良言はあると知る名君がその良言を巧く掬い上げて我がライ国を滅亡の間際まで追い込めおった。そうすると一度の失敗も許されない弱国では最高の能力を持つ者さえ天寿を全うすること至難であるが、十度の失敗に平気でいられる強国では小才凡夫の輩でも大功を上げることができる。一心不乱にやった者と怠け怠けやった者とでこの有様であれば、同じ人物を強国と弱国に配した場合の命運の顕著なること瞭然であろう。どちらがよっぽど優れていたわけではないのに、一方では非業を遂げて一方では栄達を極める。そこで我がライ国の長をもってソウ国の短を撃ったは正に団結の力によってであると言おう。団結の力の一とは上下の呼吸である。良言を掬っていた名君が没して後のソウ国は元の烏合の衆となり、半人前の者でさえ片手で四人五人の兵隊を打ち破れるほどであった。次には左右の協調である。一体、味方仲間を疑いながら進めなくてはならない仕事ほど上手くゆかないものはない。十歩進む為にその数倍の手間をかけて左右を固めて、その備えが更なる疑惑を呼び込むのだから、そのような目にあえば勇兎さえ鈍亀に追い抜かれよう。三つ目には前後の教導である。およそ上下と左右は易々と変えてはならないものであるが、この前後だけは大いに変えてゆかねばならない。(筆者注:ここより本文数行失落。宦官勢力の讒言で滅びたオンコウビの末路を鑑みると皇帝の権威を貶めるものと解釈される部分があったか。『』内に異民族エン王朝の学者が復旧に努めた補文を載せるが前後の繋がりに乏しく粗悪)『人は生まれつきの才質は元よりさほど変わらず、上限というものもたとえば人間一人の力では牛一頭を持ち上げるのが関の山であり、一度に二台の荷車を引くのは一見したところ無理難題に見えるが、綱といった工夫を使えば二台を繋げて引くことができるも、山を担いで海を渡ると言うことはやはりできない』それに人には得手不得手がある。ある分野ではこの人は前をゆくが別の分野ではその人の後ろを行くといったことがままある。(注:ここにも失落の懸念がある)小才凡夫の巣窟であったソウ国では、上の者が下の者を偽るから下の者は上の者を侮り、左の者は右の者を貶めるから右の者は左の者を疑を深くし、後ろの者が前の者を嫉むから前の者は後ろの者を導きようがなかった。この有様はまったく集団で狩りをする獣にさえも劣る所業であった。これでどうしてあの乱世を生き延びられたであろう。上下の呼吸を礼によって整え、左右の協調を義によって明らかにし、前後の教導を敬によって結ってゆく我がライ国の為に滅ぼされたのは当然である。乱世休まり治世迎える今世、ライ国にある者はいよいよこの団結の力を新たに心得るべきである。
組織論の件で上下左右の見当は誰にでもつきますが、前後に気付いたのはなかなかの卓見でしょう。「仕事ができる者が出世できるとは限らないのは、当人含めて多くの者がそれが上下ではなく前後の話だと気付いていないからだ。仕事もできないのに愛嬌を具に上に釣り上げられただけの奴は国をも危うくするが、前に前にと教導する姿を慕われて、左右の人が支えてくれて下の者が押し上げてくれるなら天下をも盤石にするぞ」とも言っていたようです。デステ帝国の場合、女帝というのはこれくらい偉いものなんですね。女帝一人がいるだけでデステ社会というのがぴたっと結束して、お言葉を頂戴するだけで一心不乱に働くんです。実際、帝国西方のガイロプリット太守と後のメルタニア総督シモンは仲が良くなかった。それが仲の良くない二人が真っ先に女帝を支持して御為に旧交を回復する誓約を立てたのだから、他の総督らが一気に態度を決したなんて言われています。ただシモンの場合はアシュタルテ三世とは愛人関係にあったようでもあるし、その辺はデステらしいそういう裏事情などがあったんだろうなと思っております。
ところで、ガイロプリット太守とメルタニア総督の仲がそんなに悪かったのかというと、互いの力量だけは大いに認めておったようで、教圏半島東の都市国家ドロスにあったデステ帝国の商館長をここに混ぜてみると、実はこの人の方こそがその二人に大いに買われていない。武官と文官だからの一言で片づけるには、太守も総督も文官の面は半分あるからちょっとその線は繋げにくい。そうなると、いつもの商館流の行き過ぎた道楽が原因なのかなと思う。何しろ二人は実を第一とするいぶし銀のいくさ人だ。本気でもなく空冗談の類で大先生と呼ばせる修飾過多の商館長とはやっぱり合いそうもない。特に趣味というか好みの面でどうもひどく掛け違っている。商館長だって純粋な文官かと思いきや、市内の市を預かって闘争に手をつけることもあるから武官の反面は確かにある。そんな非常の際に身につける武備というのがまた気障だ。シモンが愛用した鎧はガイロプリット太守が作らせて、
――幕下にこれを一撃で破壊できる者がいるなら千金をやる。
というような挑戦状付きで送られてきた代物。そんな曰く付きを瓢然と身につけて命を守る道具として頼むと、ガイロプリット太守は手を打って喜びこの逸話を大いに自慢した。妙な話ですが、その挑戦状ていうのはちょっとしたドスを利かせた忠告だったんじゃないかと思うのです。身の内によくない虫が潜んでおるようだからこれで身を守っておけというような。だから、武者修行中の遍歴騎士某が一撃でその鎧を破ったという話もあるが、仮に真実だったとてシモンはその話を告げて千金と換えようなんて魂胆はなかったでしょうな。この二人の質実な鎧に比べれば、代々の商館長に手を加えられてきた鎧というのが儀典用かと思うようなびかぴかしたようなもんで、こんな物を着込んでいざ戦場に立ったなら一番の大的にされてしまって逃げるしか能がなくなりますよ。そりゃあ、シモンにしても己の武威を際だたせるために色々な工夫はした。何しろメルタニア総督として八千兵の大将としての地位に応える修飾は必要だ。しかしそれも至って細々としたもんで、兜に鳥の尾羽を立てただけのようなもの。自ら馬を駆って疾走する際には邪魔になると言って取って捨ててしまうことしばしばだった。
――全軍に号令を下す大将の居場所が分からないんじゃ、兵が困るじゃないか。
と聞かれると、
――そんな目印なくたって俺の兵には本物のいくさ人が揃っている。自分で考えて動けるよ。
ずっとそう言い張っていた。その自信はまったくごもっともで、哀帝から女帝までの混乱に帝国を攻めた半島の第二次教圏連合軍が、このシモンの為にしっちゃかめっちゃかにやられた。カトレア湾全周を覆った教圏外国家群の内アンゴラとダルトワという小都市しか残らなかったというんですから、まるで目も当てられません。後にはその二都市も遂に陥落させられた上、半島にまで侵入されてコルトセットの潔癖公もが討ち取られてしまったんですから手のつけられない破竹の軍勢と言うべきでしょう。
ただ、戦の形というのが変わってくると話が違ってくる。不公平を好む万能帝との相性は最悪で、いくつかの小規模な遭遇戦や得意の奇襲伏撃でならともかく会戦では一度も勝てなかった。というよりできる限り戦いたがらなかった。何にしろ、最新型の投石機で度肝を抜くほど遠くから岩だの火だのはまあ分かりますが、致死性の毒煙なんて物騒なのまでを無差別に投げつけてくるのが対手じゃたまったもんじゃありません。会戦に引きずり込もうとして、捕虜の五体を少しずつ少しずつちぎっては投げ、ちぎっては投げるという挑発をするような奴です。禁じ手を知らないこんな外道のせいで富貴なメルタニアが、史上ないほどにひどい目に遭わされた。
――あんな奴ぁ本物のいくさ人が対手にする奴じゃねえっ。
とうとうシモンはメルタニアを開城し、ドロス(この頃にはアルルですが今回はドロスに統一します)に退きます。そこで実権を握っていたデステ帝国商館長と相談して傭兵隊長となった訳ですが、傭兵隊長として出馬した節がまるでない。万能帝の軍勢に迫られて敵軍接近の報せを受けても、
「迎撃の命令もないのに騒ぐな」
と言い返すばかりで腰も上げない、顔も向けずに大真面目に将棋を指している。ガレー家で世話になっていたバグという将棋の強い老侠が師匠筋で、この寝たきりの老人を対手に一番一番、日の始めからおしまいまでぱちりぱちり指し続けるのも珍しくなかった。ドロスの万能帝への抵抗は常に経済分野で行われたから自分はただ名前だけの単なる御輿、外交威名だということをしっかり弁えていた。平面の世界で鎬が削られるバグとシモンとで洗練されきった将棋の新規則は、打ち手の個性を大いに許容しつつも才能と実力だけが物を言うまさしく公平かつ非常な出来映えで、地方ごとで雑多特異だった規則を廃し、今もほぼそのままの形で全世界公式規則の面目を煌めかせて、数多の名人、名勝負と共に戦場から追い散らされたいくさ人の姿を歴史と棋譜に残している。
五千字に留めようとしていましたができませんでした。五・七・五という形式の俳句とはまったく素晴らしいですなあ。
あたしは東洋学の出なんですがオンコウビなどはまあ書きやすかったこと。