カナン
「なんということだ! 出来損ないだ」
産まれてきた双子を見た父親はそう言って。病室を後にした。
彼女らの手足はまるで木の根の様に細くねじれ歪んでいる。或いはそれそのものが、無い。先天性の奇形。
ひとりは右目のある筈の場所にぽっかりと空洞が空いており、底の方に眼球になろうとした未熟な細胞の塊が萎れた種のように落ちている。
この都市は穢れている。
世界全体の計算の実に七割を任された巨大な計算機械たち。それを動かす為の発電所。それらを整備するために、計算結果に従事する人間たち。世界を天秤にかけてしまえば簡単に人と物の優位性は逆転する。かつてのチョコレートを知らないガーナの人々と同じ様に、我々は遠くの大きなものたちに利用されている。
そんな場所で、人々の健康が守られないのは言うまでもなかった。光の届かない都市の下層では、もっと凄惨な光景が広がっている。この都市では五体満足で産まれるものの方が少ない。
だが何故? 彼女らの両親はこの都市の管理を任された特権階級で、身につけるものから食べるものまで徹底的に安全を管理された、文字通り違う世界を生きる存在だった筈だ。
テックジェネティックスは、特区を任されたとはいえ、国と単位を同じとする統治企業の認定を受けた巨大組織である。彼女らの両親はその社長と秘書という、見るものから見れば王にも等しい存在なのだ。それなのに。
後に判明した事実は、彼女らの母親は毎日少しずつ毒を盛られていたという事だった。特権階級への恨みを募らせた勢力による目的ないささやかな嫌がらせであり、それが最悪の形で開花したと言えよう。
母親は、父親の足音が聞こえなくなってから彼女らを抱き寄せた。
「大丈夫よ。レーテ、ケノン。あなたたち二人は、私が護るから......」
双子は、ひとりは肺が悪いのか少し不器用に、しかし二人ともはっきりと産声をあげた。捻るような、絞るような泣き声だった。
母親は看護師に言われるまで二人を離さなかった。
その影で、テックジェネティックスの社長は義体メーカーの買収を発表。以降テックジェネティックスの名は技術の遺伝学──テクノロジーの過去と未来を思考する本来の意味を失い、工学的アプローチによる人間の分析、改造を行う恐ろしい企業となった。
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レーテの右眼は翡翠の様に綺麗だった。
ケノンはレーテのその眼が好きだった。
ふたりは双子だから同じ容姿をしている。だが、ふたりは鏡を見る事が嫌いだったから、あるときは互いを鏡の様に合わせて、またあるときは全く別のものとして見ていた。
ケノンは少しだけ視力こそ悪かったがレーテのそれとは違い双眼で世界を見る事ができた。
ひとつしかないからレーテの眼が愛おしかった。
左眼の代わりに埋め込まれた機械仕掛けのガラス玉は、ふたりをバラバラにしてその部位をひとつひとつ金持ちの病人や好事家に売っても足りない程高価なものだったが、ケノンにとっては何の価値もないものだった。
レーテはケノンの両眼が好きだった。
埋め込まれた人工眼から見える景色は何処か無感情で、両眼でものを見ても心のピントが合わない様な気がした。
ふたりでいるときにレーテはいつも、ケノンはほんとうの世界を観ているのだと思っていた。
いつか同じ景色を見たいと思っていた。
ふたりが9才になった日、レーテやその他の被験者たちのデータによって人工眼が完成した。
父親は医者に指示を出し、娘ふたりの3つの眼を切り抜いて最高の眼と交換した。
ふたりは同じものを見る事ができるようになった。
ケノンの右腕は片手とは思えないほど器用だった。
レーテはケノンの右手が好きだった。
その手は自分が望んだことを魔法のように叶えてくれる。産まれたときからその手は、自分の手とも言えない芽のような腕をずっと握ってくれていた。
あたたかかった。おおきかった。その優しい手に触れられると、安心した気持ちになっていつまでもそうしていたいと思ってしまう。
もし自分にも手があったら、ケノンのことを抱きしめたい、手を握りたいと思っていた。
ケノンは自分の手が嫌いだった。
レーテが車椅子の上で、赤子が抱っこをせがむように世界に向けて存在しない手脚を広げもがいている姿を、その視線を見るたびに、何故だか自分たちの存在がアンバランスで、レーテに申し訳ない様な気がした。
左手の肘から先、鋼と樹脂でできたマネキンの様な腕は、日に日に右手よりも器用になり、自然と右手を使わない日が増えてきた。
レーテの両手もいつのまにかそれになっていた。
ケノンは、レーテが自分の右腕を羨ましがっていることを知っていた。
12歳の誕生日に、ケノンは自分の右腕を切断して左と同じものにした。部分麻酔とそれでも薄れる意識、鈍く深い痛みの中でも、機械仕掛けの左手は冷静にその手術を終え、後遺症もなかった。
それを知ったレーテは、冷たい腕で何かを堪えるようにケノンを抱きしめた。
ケノンは太陽のような心を持っていた。
レーテはケノンのその心が大好きだった。
ケノンは抗おうとしていた、ケノンは超えようとしていた。
ケノンは結果を出し、世界を変える事こそが苦しみを乗り越える事だと信じていた。
そんなケノンが昔、心肺の弱さから手足のない自分に寄りかかってきたときに、レーテは幸福を覚えた。ずっとそこにいて欲しいと思った。
レーテは世界を恨み、呪いたかった。
四肢が補われたふたりは本当にそっくりだった。容姿も仕草も見分けがつかず、ひとりのときならどちらなのか両親も分からない。
それなのに内面はこんなにも違う。
こんなにも似ているのに。違う。
レーテはケノンの脳の信号を自分に混ぜた。
レーテはケノンの脳に自分の信号を混ぜた。
15歳の誕生日だった。ふたりの頭の中に人工の脳神経が埋め込まれたことで、テックジェネティックスの技術はひとつのターニングポイントを迎えた。
ケノンは全て気付いて、それを受け入れた。
だってふたりはふたりのものだったから。
ふたりの身体は、足りない部分も、不完全な部分も機械に置き換えられた。
テックジェネティックス社長令嬢としての立場に見合った振る舞いを父親に強いられ、母親もその構造からは守ってくれなかった。
公の場に立つのはいつもひとりだった。わたしはテックジェネティックス社長の一人娘。手脚を機械化された令嬢の姿に人々は眉を顰めるが、その技術の一端を見せるとすぐに手のひらを返してゆく。実の娘を実験台にした屑を見る目から、娘に最高のプレゼントをした父親へのお世辞にすり替わる。
カナンはいつも自分の存在しない健康な肉体を卑下して、素晴らしい義体について説く伝道師。聖女はふたりの経験を空想のように歪めて、スラムの不具者たちを救うビジネスモデルを語りながら、健康な人間たちの向上意欲をささやかに過激に刺激する毒を混ぜる。顧客とは常に金を出せるものなのだから。金を出せないものは舞台装置に他ならない。
さいしょに言い出したのは、どちらだっただろう。
機械の体が本来の人体の性能を凌駕してからは、健康な部分も置き換えるようになった。
手術室の光。魂が削られるような時間と意識の沈黙。目を覚まして、また小さくなっていた自分の輪郭。謝罪するだけの母親。鏡のように同じ姿をした、半身(レーテ/ケノン)。
口角をあげてみると、その影は微笑んだ。
わたしはだあれ? あなたはだあれ?
もう区別はつかないね。
ねぇ、あの頃に帰ってみたいと思わない?
嵐のような日々の合間に見つけたあのささやかな幸せが、わたしたちのほんとうの故郷だった気がするの。
もう何も残っていない。標本のような想い出の痕。
日焼けした本の読めない文字の中に、ふたりはしあわせな夢を描いた。
いつか自分はいなくなって、機械仕掛けの人形が残るのだろうか。ふたりの姿をした人形が、永遠に。
そこにわたしたちはいないけれど、それはそれで良いような気がしていた。
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ふたりが成長する過程で両親と会う機会は少なかった。
父親は常に会社の未来の為に働いており、メディアの中で見かけることが殆どだった。母親もそれにつき従って仕事をしている。
両親がふたりの前に姿を現すときは、決まって社交界か手術のときばかりだった。
父親はふたりの教育係を決まったものに任せず半年もしないうちに、覚えるべきことが終わるたびにまた新しい人間が来る。
ふたりは両親に特別な感情を持たなかった。周りの人間もすぐに入れ替わってしまうのだから、誰かに心を開くようなこともなかった。
ふたりにはふたりしかなかった。
母親はテックジェネティックス社長秘書という立場だけでなく、いくつかの子会社も任されていた。
父親が強引に未来を引き寄せる性格だとするなら、母親のそれは計画を予定通りに遂行する能力を持っていた。
母親はふたりに会うときはとても優しく、そして酷く同情した。ふたりはその気持ちを理解することはなかった。
ふたりから見た母親は、青図を具体化する実現化能力の高い人間であり、そして自分で計画を立てる能力の欠けた人間だった。
彼女がどれだけ夫にかけあっても、ふたりの娘の改造は止まらなかった。その優しさに力はないのだ。
18歳の誕生日。パーティを開いた。
社長令嬢の誕生日という名目で開かれた商談の延長線上で、母親はふたりにひとこと「待っていてね」。
公には一人娘ということになっているので、ひとりは軽くしてトランクの中に入って、交代でカナンになった。物陰1分ほどで交代できるから、ふたりは好きなように人々と話して回った。
カナンの見聞きしたことはふたりとも感じている。
挨拶回りが終わり少しだけ落ち着いた時間に、カナンのもとに父親がやってきた。
「もう、いいだろう。お前たちにひとつ会社を任せようと思っている」
テックジェネティックスは家族経営ではない。社長令嬢という立場は、彼が社長の椅子に座っている間しかないのだ。彼がそれを降りたら、ある意味においてふたりはスラムの不具者達と同じだった。
「わたしを超えてみろ。お前たちにそれが出来るだけのものは与えた筈だ」
それはすぐそばにあったトランクにも向けられていた。
すぐ後に、悲鳴にも似た閃光が走り轟音がカナンの全身を叩いた。
ニュースの見出しは爆破テロが飾り、その中でテックジェネティックスの社長秘書やその他企業の重鎮たちの訃報が語られた。
社長令嬢の死は語られない。
何故なら最初から娘はひとりだったからだ。
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わたしたちは何から産まれたのだろう。
お母さんのお腹から? 工場の冷たいレーンの中?
お父さんの頭の中の事業計画の中なのかな?
昔からずっと考えていたことを思い出した。思い出したのだから答えが変わることはない。
わたしたちは悪意から産まれた。
変わらない答えを思い出して、目を覚ました。
カナンは目を覚まして最初に、もうひとりを探した。
病室には自分一人だけで、他には誰もいない。こんなことは初めてだった。いつも、いつも一緒にいたのだ。繋がっていた。それがない。
自分がレーテなのかケノンなのか思い出そうとしたが、事故のショックで混乱しているのか、それもよく分からなかった。
眠る前の最後の記憶を思い出そうとする。
父親と話した直後、至近距離で爆発が起きた。のだと思う。
それが意味することを想像してカナンは恐怖に震え、自らの身体を抱きしめる。前よりも滑らかな義体、骨格。
胸を触ると心音がしなかった。人工心臓があるならわたしはカナン? なぞるように腹を触ると、人間の腸とは違う輪郭のものが感じられる。レーテでも爆発に巻き込まれたら心臓を失うことはあるかもしれない。そもそも、レーテも近いうちに人工心臓になる筈だったのだから、今回ついでに変えられている可能性だってある。
答えが出ない中で病室の扉が開く。
カナンはその一瞬の中に自分と同じ姿の少女がその向こうから現れることを祈っていた。
現れたのは眼鏡をかけた男の医師だった。
「お目覚めですか。カナンお嬢様」
その男に見覚えはなかった。不信感が見えたのか、男は蛇の様な鋭い目を弛ませて、笑う。
「ご安心ください。僕はお父様の手のものですよ。お嬢様は我々医療班が死力を尽くして直しましたので、もう命の危険はありません」
「修理班の間違えじゃないの? それに、命の危険? わたしは何が起きたのかも分かっていないの。ご説明頂けるかしら。それと、あの子はどこ?」
男は嫌味を返されると少し傷付いた様な表情になった。誤解されるタイプの人間で、本当に善意で動いていたのかもしれない。
「......仰るとおり、お嬢様の身体は爆発を至近距離で受けたので、損傷が激しくまた大きく失われてしまいました。ですが、あなたは人間です。僕が保証します......!」
「それで、何があったの? あの子は何処にいるの?」
人間かどうかについては興味はなかった。善人は本人にとってどうでも良い部分にも同情する。共感力の欠如した同情だが、初めて会った人間相手に精度を求める方が酷なものだ。
男は言葉を選ぼうとしている様だ。少し言葉尻を突きすぎたかもしれないとカナンは反省する。
「お嬢様の誕生日パーティで、爆破テロが発生しました。目的はあなたのお父様、テックジェネティックス社社長の殺害で、実行犯は下層のスラムのものです。社長は骨格を置き換えていたので比較的無事でしたが......奥様は......手術を拒んでいたので」
「亡くなったのね」
わたしたちも成長期が終わったら骨格を置き換える筈だったのだ。母親はそれを拒否したから死んだ。
あの母親にその未来を予期させることは難しいだろう。
「お嬢様は、その......バラバラの状態で。お父様がそのとき意識のある最後に、それを繋ぎ合わせてでも娘を救え、と」
男はえずいた。さっきから言葉を選んでいる時と選んでいないときとで言葉自体に差がないのだが、きっと彼の脳内では凄惨な光景があるときとないときがあるのだろう。
「分かった。ありがとう。わたしを救ってくれたのね」
彼はわたしが身体を父親の意思で望まず機械化されていたことは知っていても、わたしたちがふたりいたことは知らないのだろう。
「それで、あの子とはどなた......でしょうか」
「いえ、いいわ。あなたに聞くことじゃないようね」
カルテを見た。脳までぐちゃぐちゃで、とても救うなんて言葉を言われる状態ではなかった。あれは即死だろう。
レーテもケノンも、鉄屑と肉の塊になった。そこからわたしの中で一緒になったんだ。
わたしはふたりのどちらでもない。
カナン・レイライン。
社会的なただしいかたち。
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わたしは退院して真っ先に、あのテロの実行犯に会いに行った。
強化プラスチックで阻まれた箱の内側と外側で、わたしはそのみすぼらしい少年を眺めた。
痩せこけた手足に病衣のような囚人服を着ている、片腕のない少年。かれの右腕にはわたしと同じような義手のアタッチメントが摘出された痕があった。
少年は最初、幽霊にでも会ったような驚きの表情を見せた後、怒りや罪悪感、恐怖といった感情を顔に走らせて、わたしから目を逸らした。
「怯えないで。わたしはあなたを傷付けたりはしないわ」
その言葉は本気で言ったわけではなかった。彼らはふたりを殺した。だからわたしも彼らを惨たらしく殺してやろう。悪意の中から咲いた赤い花を広げるのだ。わたしにはその力がある。
わたしたちが母の胎の中にいるときから、お前たちが蒔いた種でしょう?
少年は、わたしの怨みに気付いたようだった。自暴自棄にでもなったのか、懇願するように透明な壁を叩いた。
「関係ない! 今も奪われて行くんだ。俺たちはお前が生きているだけで! 家族を、友達を、命でさえも!」
見えるのに届かない。その壁はそのまま下層と上層の壁だった。
「言葉と心が無意味だったから、俺たちはやるしかなかったんだ!」
「ふうん。それで、お母様を騙してあんなことをしたのね。わたしたちが嘘つきなら、さしずめあなたたちは詐欺師ね。言葉でコミュニケーションを取ろうとすること自体滑稽だわ」
話し合いができないことは分かっていたのだ。
「お願いだ......死んでくれよ......!!」
両者から失われた信用を、互いに積み直しできるのであれば、テロリストは最初から産まれない。
時間は有限でそれぞれが違う流れを生きる。先に追いつめられた側が、助けを求められないのなら、そのあとは癇癪のように力に頼るしかないだろう。
E=mc^2
父親は約束通り、わたしに会社をくれた。
組織としては出来たばかりの義体メーカーだったが、そこにはテックジェネティックスの持つ義体技術の全てがあった。
少し驚いた。最初からこんなにも与えてくる人間ではなかった筈だ。
だが父親は既にもう弱っていた。
秘書である妻を失って、その力を大きく失っていた。今までは間に彼女が入っていたから人がついて来たのだろう。理解者を失った哲学者は、気が触れたものと見分けが付かない。
そしてその理解者である妻に裏切られたことが堪えたようで、カナンから見てもその軸はブレてしまったように感じられた。
それを当人が一番理解していたのだろう。
母親は、娘ふたりを守るために夫を殺そうとした。クーデター派に乗せられ、彼らの付け入る隙を作って、死んだ。
母親を殺されたことでカナンの心は動かなかった。むしろそれがきっかけで更に力を得られたことに喜んだくらいだった。
ふたりを殺したものたちの正体に近付くにつれて、復讐心から産まれた恍惚がカナンを狂わせる。
やっと世界に復讐ができるのだ。
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カナンは自分の会社の名前を「テーセウス」と名付けた。
業務は主に、義体の研究、実験から量産、そして手術までだった。
その中でも実験の分野は元々母の持っていた会社だったものから派生したものだった。
そこでは、下層から雇ってきたものたちを実験台に義体の調整を行なっていた。母はそこから下層との繋がりを得たのだろう。
レーテとケノンに与えられた身体は、彼らの犠牲のもとに作られたものだ。
そこであの少年が言っていた事が繋がる。皮肉なものだ。わたしたちを奇形にしたからこの産業は始まった。
彼らは悪意で、誰かの脚を引っ張ることのみで動いたのだ。わたしたちは一度も彼らに悪意を向けたことはなかった、ただ無関心に未来のために使ったのだ。大きな力は犠牲を産みそれ以上の進歩を得る。その指針を歪めて彼らは轢かれたのだ。歪めなくとも他のものたちが轢かれていただけだが。
ああ、だからわたしは悪意から産まれたものとしてはじめてあなたたちに悪意を返そう。
この都市から汚れたスラムを消してしまおう。
持つものは拡大再生産を繰り返し、持たぬものは余らせた力を憎しみに振るう。
立場の差から産まれた嫉妬を正当化した、持たぬものの娯楽。敵を作り正義を成す、無力感を忘れさせる道徳演劇の中でわたしは産まれたのだ。
ひと匙の毒から始まった屍の山。その世界の象徴であるわたしが、その責任を。
カナンはそれが一番良いと思った。世界が綺麗になる。
そのときまでは。
下層は陽の光が届かない。空に続く柱のようなコンピュータ、その隙間を縫う連絡通路とコードの束によって空が隠されている。
有毒な廃液や生き物の死骸が放置されて、緑色の街灯に照らされた風景には悪臭が漂っている。
カナンは自分たちのルーツを知るためにその奥へと潜った。彼女の顔を知るものは、あの少年と同じような顔をしていた。
ねえ、教えて。どうしてわたしたちを殺したの?
どうしてわたしたちを産んだの?
カナンは誰かにそれを尋ねることはしなかった。ただ、自分と同じような不完全なからだで産まれてきたものの死体を見るたびに、その言葉を空に投げかけようとした。
暗闇だった。星空もない蓋の様な暗闇に閉じ込められている。
いつのまにか彼女は、最初に毒を混ぜることを考えたものだけを殺せば良いと考える様になっていた。
「おい」
見知らぬ男に話しかけられた。
「如何しました?」
「帰れ。ここはあんたみたいな人間が来るべき場所じゃない」
「なぜです」
「ここの連中は気が立ってる。もうすぐテックジェネティックスが潰れるって」
「それはどなたが仰ったのかしら?」
「外の奴らだ。よく分からんが俺たちと上の奴らの対立を昔から煽っている。そいつらが現れてから......20年くらいだが目に見えてここもテックジェネティックスも変わったよ。とにかくあんたにはここは危ない」
「それをわたしに話しても良いのかしら? わたしの顔を知らないという様子でもないようだけれど」
男は純粋な意見を、王の側近がする様に言う。
「あんたはこの都市の次の主に最も近いし......なんというか目的を見失っているというか、感情のぶつけ先に困って敵を作ろうとしている感じがするからな。弱くて明日が怖い俺たちは、お上の矛先を逸らしたい一心で生きているんだ。あんたに何かあったら、また何かいちゃもん付けて来るだろう?」
それはカナンが下層の人間たちに持っていた印象そのままだった。自分の中の怨みや憎しみが、突然支えを失った。
カナンが下層の視察をしている間に、世界が動いた。
テックジェネティックスは非人道的な行為および正当な政治を行えていないという通報が世界に通ったのだ。
メディアの中でその話をするものたちは、かつて母親の部下としてカナンも見かけたらこともある人間であり、その肩書きは別の統治企業のものだった。
誰かの掌の上を歩いた事があるだろうか?
巨人の意思ひとつで人生を歪められてしまうそんな世界。
こんな馬鹿げた質問を言う事ができる、自分の脚で世界に立っている人間が一体何人この世界に存在するのだろうか。
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テーセウスは急成長した。
カナンはいつか社交界の場で話したような理想を、企業理念として掲げていた。
義体によってからだの不自由なものたちに普通の生活を遅れるようサポートし健常者との壁をなくす。
それによって労働力を増やし、本来スラムがあった下層を工場化した。そして居住区画を空の見える上層のみに制限するよう、テックジェネティックスにかけあった。
また、無料で利用できる労働者の学校とも言えるサービスを作り、社会保障に似たビジネスモデルによって社会成長を促した。
最初は利用可能性のある資源を有効活用しようとしただけだった。既得権益の輪から外れたものを使うのが一番効率的な増力だと思ったのだ。
だが、それを繰り返すうちにカナンは悟った。元から持っていた力も立場も、元は彼らによって与えられたものだったことを。
同じ人間でも社会的な力のあるものとないものがいる。それは力のないものが力のあるものにそれを献上しているからだ。だからこそ、借り物の力を与えられた者は、彼らが望むものを返さなければならない。手段や目的だけは選べた、いや、その手段や目的にこそ彼らを共感させなければならないのだ。
外の世界にいる見えない敵は、わたしたちの自滅を望んでいる。
カナンはこの都市を守る事が、この流れに抗うことなのだと理解していた。
メディアの中で、テックジェネティックスの社長がテーセウスの社長について尋ねられた。
「親? あれに体を与えたという意味で私は親なのだろうが。あれのやることについて私は関与しない。私は義務を果たしただけだ」
「しかし、奥様亡き今、支えてくれる家族が必要とは思いませんか?」
「あれが代わりになるものか。アイツの代わりが出来るような優秀な人間はいないんだ」
「では娘さんは優秀でないと?」
「誰がそんな事を言ったんだ。お前たちは理屈に囚われてつまらない言葉尻ばかりをあげる。だからつまらない記事を書いて、社会がつまらなくなる。
あれは最初から私の役には立たん。立たんがそれだけだ。私よりはお前たちの役には立つだろう。それだけだ」
カナンはそれを眺めて、誰かに向けて笑った。
「やっぱりお父様は口を開かない方が良いわよね」
2025/04/05。
TRPGのキャラシのメモ。
お嬢様、ノブレスオブリージュ。
懐が広すぎるGMのお陰で無事ギャグ堕ちしました。
(煙草吸ったりガンプラ持ち込む仲間たちの横で敵を買収する)
メモ小説では長らくこの子が最長記録でしたが、最近22000という馬鹿を書いたので相対的にマシになりました。




