私は愛のない結婚からただ脱出しただけですが
異世界に転生したからといって、前世の記憶を使って無双が出来たり、己に降りかかる不幸を回避したりできるわけではない。
私は今、それを実感している。
一応前世の記憶はあるが、前世の自分は一般的な家庭に産まれ、小中高大とごく普通の学校に通い中小企業の事務員として働いていた。
裕福とはいえないけれど貧乏ではない。何かに一生懸命打ち込んだわけでもなく、夢中になった趣味もない。
要するに無双するほど尖った知識は持っていない。
ブラック企業で働いていたわけでもないし、トラックに突っ込まれたわけでもない。
そうだ! この世界はあの物語の世界だ! なんてこともない。
そもそも前世の私はそれほど多くの物語に触れたりはしてこなかった。
そんなごく普通の人生を歩んだ私が転生したのは王侯貴族が存在するおとぎ話のような世界。
王侯貴族が存在する世界で横行していることといえば政略結婚。
私の両親も政略結婚で、業務のような結婚生活を送っていた。
毎日毎日ルーティーンをこなす事務員時代の私の一日と似たような結婚生活で、あれは楽しいのだろうか? と毎日疑問に思っていた。
しかしまぁ前世の友人は大恋愛の末結婚して、子どもを産んだ直後に泥沼離婚をしていたから……泥沼より業務のほうがましか……?
でも、政略結婚は離婚が難しい。泥沼でも自分の意思で離婚出来るならそっちのほうがいいのだろうか。
と、そんなことを考えている私も政略結婚で嫁に来た身なのである。
私が嫁いできたのは伯爵家。私の実家は子爵家だったため、世間的に見れば悪い結婚ではない。
しかし実際は、ただのお飾りの存在として嫁がされただけだった。
嫁としての仕事などひとつもない。家事は当然使用人がいるし、跡取りは分家から連れて来たという可愛い男の子がいるので子どもも不要。
ただ世間体を気にした伯爵家がとりあえず結婚だけはするか、という話の流れでごくごく平凡な私に白羽の矢が立ったらしい。
質素な結婚式を挙げて、伯爵家にやって来たが、夫となった人からは顧みられず、嫁扱いをされることはない。
最初こそ会話くらいはしたほうがいいのかと思っていたけれど、夫となった人どころか義理の家族となった人たちからも知らん顔をされる始末。
もはや嫁扱いどころか人間扱いされることすらなくなってしまった。それはさながら空気のよう……いや、呼吸として活用される空気のほうがまだ役割がある。
だからといって寂しいという感情が芽生えなかったのは、もしかしたら異世界転生のおかげかもしれない。衣食住は一応提供されているしまぁいいかと思うようにしていたし。
そんなわけで、どちらかというと寂しいという感情よりも暇という気持ちのほうが強かった。本当にあまりにも暇で。
前世だって無趣味だったしこれといって忙しくしていたわけではなかったが、あの日々にはちゃんと仕事があった。やることだけはあったのだ。
そんな暇を持て余した私が出会ったのは、孤児院だった。
あんまりにも暇だったから、そっと伯爵家の屋敷から抜け出して、適当にうろうろと徘徊……いや、散歩をしていたところ、小さなお祭りのような催し物をやっていた。
その催し物というのは、孤児院のバザーだった。売上は孤児院の運営費の足しにするのだとか。
商品は孤児たちが作った物から先生が作った物、それから近所の人が作った物も並んでいた。
近所の人が作った物を売っていいのであれば、私が作った物を売ってもいいんですか? と尋ねたところ、大歓迎だと言われた。
この世界で初めて歓迎された瞬間だった気がする。
その日から、私はこの孤児院に入り浸るようになった。
バザーで売る物を持ってくるだけではない。孤児たちにパンの差し入れを持って来たりお菓子の差し入れを持って来たり、それから孤児たちに遊んでもらったりするために。
私はこの世界で、やっと自分の居場所を見つけたのだ。
「姫勉強見て」
「姫じゃないけどいいよ」
「姫僕もお勉強見て」
「うん、姫じゃないけどいいよ」
なんとなく身分を知られたくなくて名を名乗ることが出来なかった私がいつしかこの孤児院で姫と呼ばれるようになっていた頃、孤児たちと遊ぶだけではなく勉強をするようになっていた。
勉強と言っても文字の読み書きと簡単な計算だけれど。
しかし文字が読めるようになれば本が読めるのだと皆嬉しそうだった。そして文字が書けるようになれば皆で物語を作ることが出来るのだと皆楽しそうだった。
それならば、と私も気合いを入れて文字の読み書きを教え始めたのだ。
「離縁をしてほしい」
そうして孤児院がなんとなく小学校化していってから五年の月日が流れた頃。
私は夫と思われる人から突如離縁を告げられた。長らく顔を見ていなかったので、忘れかけていた。うっかりどちら様ですかと尋ねかけてしまった。
突然だったし離縁の理由は分からないが、なんか慰謝料と家一軒が貰えるらしい。やったー!
というわけで詳しい理由を聞くよりも先に慰謝料と家の権利書的な書類を受け取って、私はさっさとこのお屋敷を出た。
そして向かったのはもちろん孤児院だ。
「先生ちょっとだけどこかの部屋を間借りしても大丈夫?」
「いい大人が孤児院の部屋を間借りしたいって、聞いたことないわね」
「この近所に家を買おうと思って。買ってから屋敷を出れば良かったんだけど離縁って言葉が嬉しすぎて踊るように出て来てしまって」
「離縁!? あなた結婚してたの!?」
私、今の今までどっかのお嬢様だと思われていたらしい。言ってなかったもんな、伯爵夫人だって。バレたくなかったからだけど、結局言う必要もなかったし、そもそも自分が伯爵夫人だという自覚もなかったし。
そんなこんなで孤児院周辺で物件を探していた時のこと。懐かしい顔と再会をした。
「あれ、姫だ。久しぶりー」
「あ、ケニス。姫じゃないけど久しぶり」
この子は一番初めに「勉強見て」と私に声を掛けてくれた子だった。
彼は私が文字を教えたことで本を読むようになって、めきめきと学力を伸ばしてどこぞの貴族が作った私立学園に入学。そして今では王宮で働いているという。
「こんなところで何してるの?」
「一人暮らしするための家を探してるの」
「一人暮らしするの?」
「そ」
「姫が一人暮らし? 大丈夫?」
「まぁ大丈夫じゃない?」
「えぇ、心配だな。あ、俺の家の隣が空いてるからそこに住めば? 向かいにはフラーゼが住んでるし、アイツなら基本的に家で仕事してるし」
フラーゼとは、ケニスの次に「お勉強見て」と声を掛けてくれた子だ。
フラーゼは私が文字を教えたことで物語を作る楽しさに目覚め、今では売れっ子作家としてもりもり作品を生み出している。
「皆いるならそこに住もうかな」
「そうしなよ。孤児院からも近いし」
「じゃあそこにしよう」
ほぼそこに決める気持ちでその家の所有者に会い、内見をしてからその家を買い取った。慰謝料と共に貰った家を売り払ったお金を使って。
ここまで全て、気持ちがいいくらいとんとん拍子に決まってしまった。
「姫、今日は孤児院に泊まったほうがいいよ」
ここに引っ越してきてから数ヵ月が経過し、一人暮らしにも慣れてきた頃のこと。
ケニスが我が家にやってきてそう言い放った。
「え、なんで?」
「ここの領主の、次期伯爵が刺されて亡くなったらしい」
次期伯爵ってことは、あの分家から連れて来たとかいうあの子か。もう顔も覚えてないけれど。しかし刺されたのか。跡継ぎどうするんだろ。ま、私には関係のない話だけれども。
「女たらしだったから多分それ関係の事件だろうけど、犯人はまだ捕まっていないから、一人でいるのは危険だよ」
いつの間にか女性問題で刺されるような歳になっていたのか。当時からいくつだったのか知らなかったけど。
「そっか。じゃあお泊り会だ!」
「楽しそうだね」
呆れた顔をされた気がした。
それでも孤児院で過ごすのは楽しいので、呆れられたって構わない。だってここが私の居場所なんだもの。
「じゃあ俺もフラーゼ誘って泊まりに行こう」
「ケニスだって楽しそうじゃないの」
「楽しくなってきた」
そんなケニスとあれこれ食材を買い込んでプチパーティーをするために孤児院へと乗り込む。
そこにはすでにフラーゼの姿もあった。彼もノリノリでお泊り会に来たようだ。
子どもたちも皆嬉しそうに楽しそうにはしゃぎまわっている。
「あ、丁度いいところに! この子抱いてて! 昨日来たばっかりの子なの!」
孤児院のベテラン先生がバタバタと走って来たと思ったら何かを押し付けられた。
押し付けられたのはまさかの乳児! ちっちゃい! 首も据わってない! 怖い!
「え、ちょっと待っ」
「ごめんなさいね! ちょっとあっちに泥まみれがいて大変なのよ!」
なんだか大変そうだ!
「姫、そんなガチガチにならなくても」
「無理緊張する」
長年孤児院に入り浸っているけれど、私が遊んでもらっていたのは10歳以上の子が多かったから乳児と接する機会はあまりなかったのだ。
だからこの抱きかたが正しいのかも分からない。ただ抱かれた当人が嫌そうな様子を見せておらず「んぷー」と言っているので……今のところは大丈夫そうだ。大丈夫であれ。
そんな時だった。和やかな空気が一変したのは。
一番に気が付いたのはフラーゼだった。
「おや、これはこれは伯爵様。どの面下げて……いえ、この孤児院に何かご用で?」
どの面下げてって言ったな今。そんな気持ちが強すぎて、最初は気が付かなかったが、伯爵様と言えば自分の元夫である。完全に忘れていた。
しかしそれはどうでもいいとして、元孤児のフラーゼが貴族相手に「どの面下げて」なんて言って大丈夫なのかな。
伯爵家は確かこの孤児院にそこそこの寄付をしていたはずだけど。
「フラーゼ、そんなこと言って大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫ではないかもしれませんが、この孤児院はケニスと俺の稼ぎで存続出来るだろうと先日寄付を打ち切られたところでしてね。つい口から本音が零れてしまいました」
「寄付を打ち切った!?」
「んぷー」
「ああ、んぷーだったわねごめんね大きな声を出して。よしよし、よーしよしよし」
まさか孤児院への寄付を打ち切っていたとは。
うちの実家だって孤児院への寄付は義務としてやっていたし、基本的にどこの貴族も孤児院への寄付は当たり前のような世界なのに。
「う、打ち切りはしたが、それは仕方のない話であって……」
伯爵がごにょごにょと言い訳を述べようとしていたけれど、フラーゼはそれを許さなかった。
「いえ、まぁおかげさまでうちの出版社も俺の後輩の作品も売り上げは上々なので、責めるつもりはありませんよ」
フラーゼがにっこりと笑う。
おかげさまで、ってどういうことだろう? とフラーゼの顔を見ながら首を傾げていると、フラーゼがまた口を開く。
「寄付を打ち切る理由も一応は存じ上げていますから」
「打ち切る理由?」
「んぷー?」
私が首を傾げ、乳児がんぷー? と言ったところでフラーゼが笑う。我慢が出来なかったようだ。
「ぷふっ、くく、んんん……当時既婚者だったはずの伯爵様はとある夜会にお一人で出席、そこで社交界の毒薔薇に出会い恋に落ちた。毒薔薇に骨抜きにされた伯爵様は当時の妻を追い出してその毒薔薇と結婚なさったそうで」
あぁはいはいなるほどね。離縁の理由ってそれだったんだ。別にいいけど。
「毒薔薇はその色香で伯爵様を惑わし、正常な判断力と伯爵家の金庫の鍵を奪った。そうして毒薔薇は湯水のように散財し、伯爵家は火の車、それどころか虫の息……だそうですね? うちの出版社がきちんと調べたので、ほぼ合っていると思いますが反論はありますか?」
「そ、それはその」
しどろもどろになっている。しかし否定しないということはフラーゼの言ったことは概ね合っているということなのか。
「まぁいいですけど。それで? 今日は、この孤児院にどのようなご用件で?」
フラーゼの問いに、伯爵の視線がこちらを向いた。
こっち見んな。
まさか私に用があるってことなのかな?
「え……もしかして、離縁した相手にやった慰謝料が惜しくなったとか、そういう感じですか?」
私がそう言うと、一瞬驚いたフラーゼだったが、すぐに虫けらを見るような目で伯爵を見た。昔から聡い子だったので、なんとなく察したのかもしれない。私がこの男の元妻であるということに。
「い、いや、いや違う。金を返せと言いに来たわけではな、ない」
あからさまにしどろもどろだ。さっきよりもしどろもどろだ。やっぱり金返せって言いに来たのかな。
「俺はもう一度、呼び戻しに」
「は?」
一瞬、時が止まった。
伯爵の言葉の意味が分からなかったのだ。私も、おそらくフラーゼも。
「呼び戻す? 何を? 誰を? まさか、自分が追い出した元妻を?」
フラーゼが矢継ぎ早に言葉を飛ばす。
しかし伯爵がそのフラーゼの問いに答える前に、私が口を開いてしまった。
「なるほど! 呼び戻せば金を返せと言わずとも金を持って戻ってくると思ったんですね!」
伯爵が言いたいことを察した瞬間、早押しクイズレベルの速さで思ったことがすべて口から飛び出してしまった。うっかりうっかり。
もうこうなったらうっかりついでに言いたいことを言わせてもらおう。この際だから。
「いやでもさすがにあの場所に戻れと言われても、ちょっと厳しいですね」
「ど、どうしてだ、伯爵夫人に戻れるのに」
「伯爵夫人って言ったってねぇ。今更そんな地位に興味もないですし、そもそも伯爵家の人たちって性格悪いじゃないですか。やっと離れられたのに、もう一度と言われましても」
「せ、せいかくが、わるい」
「ええ? 家族揃って一人の女を無視する人たちの性格がいいとでも?」
「お、あ……いや、そうだな。分かった改善しよう」
「はぁ? 改善ってどういうことですか? 僕たちはもう無視しない! とかそういうことですか? いやいやいや! 今更話しかけられても薄ら寒いだけですし『わぁこの人たち今まで散々無視してたのに金のためならなんでもするんだぁ!』ってなるだけじゃないですか! あっはっはウケる! 脳の成長5歳くらいで止まってんのかよ」
おや、今までなんとか反論しようとしていた様子だったのに、もう黙ってしまった。全部図星だったからかな?
「まぁどちらにせよあの時貰った慰謝料なんかもう残ってませんし貰った家も売り払ったので、もう私に価値はないと思いますよ! あぁそうそう離縁した後、実家にも戻らなかったから縁も切れてるだろうし……私今ほぼ平民なんじゃないですかね!」
そんな私の言葉に、伯爵は唖然としてしまったようだ。
まだ使えると思っていた私に、もうなんの価値もないなんてね。それは驚くでしょうね。
「平民の女を伯爵夫人にするなんて醜聞、伯爵家の人たちは嫌がるのでは? なんたって子爵家の娘が嫁いできたことですら嫌がって無視するような人たちですもの。伯爵家に釣り合う家のご令嬢を探したほうがいいのでは? その毒薔薇さん? とやらに食い潰された伯爵家の金庫を立て直してくれるくらいお金持ちの」
伯爵の顔色が悪くなってきた。このままでは領地から追放されてしまうかもしれない。
でもまぁ、口から滑り落ちてしまった言葉を飲み込むことは出来ない。
「お、俺はどうしたらいいんだ……」
伯爵が頭を抱えている。
しかしそんなことを言われたって私は知らない。
離縁の手続きはきちんと成立しているのだから、私と彼との間にはもう何もない。ただの他人。気分的には知人以下である。助けてあげようという気持ちだって微塵も湧いてこない。残念ながら。
「うーん……、私が提供できるもの……」
私がそう呟くと、伯爵の瞳に少しだけ期待の色が滲んだ。
私が助けてくれると思ったのかな。可哀想に。
「……まぁ、そうですねぇ、私が提供できるのは、悪口のネタくらいですねぇ。どうせ言うでしょ? 私が役に立たないって分かったら『こっちはあの時格下の女と結婚してやったっていうのに恩も返しやしないなんて!』みたいなこと。自分たちがやってきたことなんて全部棚に上げて」
「そんなことは」
「いや言うね。それどころかあなただって思ってるでしょ。そもそものこのこと私のところに来ることができたってことは、今まで私にどんな仕打ちをしてきたかを覚えてないってことでしょう? 私の存在を空気以下にしていたくせに。っていうかなんか偉そうにしてるけどこうなった原因はあなたが女に溺れたからなんでしょう? なんで私がそれの尻ぬぐいしてやんなきゃなんないのよ。人を馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ」
私がそう言うと、伯爵は膝から崩れ落ちた。
どうやら私のブチギレストレートが膝にクリーンヒットしたのかもしれない。
ちなみに「んぷー」は私の怒声をものともせず、すやすやと寝息を立て始めた。将来大物になりそう。
そして、ここまでの一連の流れを見ていたフラーゼが小さくクスりと笑い声を零す。
「素晴らしい題材を頂いたお礼に、僕が少しばかり用立てましょう」
フラーゼのその言葉に、伯爵ははじかれたように顔を上げた。その瞳に宿るのは、純粋な期待だ。
「ただし、これは手切れ金です。これを手にしたら、金輪際彼女にもこの孤児院にも近付かないと約束してください。口約束ではなく、書面できちんと」
「わかった、わかった! なんでもする!」
いっそ清々しいほど情けないな。
本当に金の事しか考えていない。
後日この珍事件がフラーゼの手によってクソギャグ長編小説にされるだなんて、この時の伯爵は露ほども思っていなかったのだから。
それから、月日は流れて三ヵ月後のこと。
結局この三ヵ月の間に伯爵家は没落していた。驚異のスピード没落だった。
伯爵の母親は没落という事実を受け入れられず発狂し、病死したという。
伯爵の妹も同じように発狂したのか、突如大声を出しながら走り出した先で馬車を引いていた馬と衝突。馬に弾き飛ばされた結果別の馬車に轢かれて足を切断したそうだ。
ちなみに伯爵の妹と衝突した馬も、それぞれの馬車に乗っていた人々も無傷だったとか。
そして妻を蔑ろにしたうえで他の女に狂わされた世界一情けない貴族として世間の笑いものになった伯爵だが、どうやら失踪したらしく、没落後にその姿を見た者は誰もいないという。
そんな伯爵家に一瞬巻き込まれかけていた私だが、最初こそあの伯爵の妻だった頃の私を知っていた一部の貴族の皆さんから同情の目で見られることもあったけれど、それ以外は平和なものだった。
クソギャグ長編小説が大当たりして忙しくなったフラーゼの助手として働いてみたり、少し大きくなった「んぷー」の世話をしながら小さい子たちに読み書きや計算を教えてみたりと忙しく賑やかで楽しい、そんな日々を過ごしていて、それを誰にも邪魔されない。本当に平和な日々だ。
しかしこの後王宮で働いていたケニスがどんどん出世して、そこで得た権力でこの孤児院を学校にし、フラーゼも偉大な作家になり、その二人を育てた功労者にされてしまってもっと忙しくなるのだが……まぁおおむね幸せなのでよしとしようかな、なんて。
「あなた、あの伯爵……いえ、元伯爵の妻だった人?」
ある日、見知らぬ女性に声をかけられた。
元伯爵の元妻であるということを知っているなら貴族なのだろうか?
髪はぱさついているし肌もぶつぶつが目立つしで、ちょっと貴族っぽくはないけれど。
「どちら様でしょう?」
「あなたは毒薔薇を恨んでいる?」
「え? はい?」
毒薔薇? っていうと……?
「あなたから夫を奪っていった女を恨んでいるのかって、聞いているのだけれど」
「あぁー。はいはい毒薔薇さん。恨んでませんねぇ。どちらかというと感謝する勢いでしたし」
「……? どうして?」
「夫と言っても結婚生活中に交わした会話は私が『あの』と声をかけた時に『黙れ』と返されただけで以後話すことも目を合わせることもなく、義理の家族は徒党を組んで私を完全無視することでいないものにしていて、そんな家で長く暇な時間を過ごしてたのをその毒薔薇さんとやらが外に出してくれたので」
「え?」
「えぇ?」
あぁ、私をあの家から出してくれて、さらにはあのクソ家族を消してくれたんだからもっと感謝すべきだったかな?
私は今こんなにも幸せなんだし。
「姫ー! んぷーが姫のこと探して泣いてるー!」
「姫じゃないけど今行くー! じゃ、私は行きますね! あ、よかったらこのパン食べてくださいね」
私は手に持っていたパンを2つほど彼女の手に持たせてその場を去った。私の可愛い「んぷー」が泣いているなら急がなければ! と。
「ねぇフラーゼ、そういえば例の毒薔薇って伯爵家を食い潰した後どうなったの?」
「ん? あぁ、伯爵家の首が回らなくなりそうなのを察知したあたりで新興貴族に乗り換えたはず」
「新興貴族」
「そ、新興貴族。金はたんまりあるけど裏で妙なことしてるって噂だし、毒薔薇と言えど一筋縄ではいかないんじゃないかなぁ。最近毒薔薇の目撃情報もないみたいだし」
「へぇ」
「良くも悪くも人のものを奪ってばかりいると、罰が当たるもの。その内痛い目に遭うんだろうなぁ」
「そっかぁ」
私の時間を奪った元伯爵家の人たちにも罰は当たっていたもんな。
私は愛のない結婚からただ脱出しただけで、復讐を考えたわけでもないのに勝手に潰れていっちゃって。
「じゃあ私にも罰が当たるかもしれないな」
「姫に? どうして?」
「姫じゃないけど。だって私、フラーゼにあげようと思って買ってきたクッキー、美味しかったから全部ひとりで食べちゃった」
「えぇ、それは大きな罰が当たっちゃうね」
「えへへ」
「あははは」
んぷーはたぶん姫のことママだと思ってる。
読んでくださってありがとうございました。




