ナナシは名前ではありません
「げっ」
路地裏で横たわっていた少女は顔を歪めた。
お腹と背中がくっつきそうになっていた。
うっすらと前世を思い出した少女は、名無しだった。
物心がついたときから孤児で、物乞いをして今の今まで生き延びてきた。
ナナシは薄汚れた自身に溜息をついた。
川へ行き、水浴びをする。擦り切れている服も洗う。その間裸だが、子供なので恥ずかしくはない。
多少は小綺麗になったナナシがやることは、物乞いである。他の物乞いよりは小綺麗であり、石を投げつけられる確率が減った。
丸々とした男性からパンが一個分は買える硬貨を受け取り、ナナシはにっこりと笑った。
「ありがとうございます。閣下」
丸々とした男性は鼻を鳴らす。
「小綺麗にしているんだな。少しはまともだ」
「閣下。少しはお役に立ちたいと思います。何かお悩みはございませんか?」
「貴様ごとき何が分かる? だが、興味が湧いた。では商人を呼び込むにはどうすればいいか、答えてみろ」
「はい。商人にとって商品は命です。なので安全と移動のしやすさを求めます。なので街道の整備を行い、安全な交易路を確立させます。またその際に宿場の設立は必要でしょう。それから経済的なメリットを作り、関税の撤廃など自由貿易にして商人を呼び込みます」
うっすらとした前世の知識で答えると、丸々とした男性は聞き入れていた。
「貴様は何処でそんな知識を得たんだ?」
「閣下。少しはお役に立てましたか?」
「喜べ。貴様を庇護してやろう」
「ありがとうございます。閣下」
「私は男爵だ。閣下ではなく、アンリュー様と呼べ」
お金持ちだと思っていたが、貴族だったようだ。
ナナシははい、と答えるのだった。
エドワード・アンリュー男爵はナナシを引き取り、ご飯とドレスを与え、ナナシが持っている知識を求めた。
すっかり綺麗になったナナシはもう孤児の物乞いには見えない。
アンリューもナナシの知識で問題がなくなり、ストレスが減ったからか、随分と痩せてスマートになった。
アンリューは紅茶を飲みながら、向かいに座るナナシに尋ねる。
「ナナシのおかげで随分と問題が片付いた。褒美を与えよう。喜べ」
「ではアンリュー様の愛妾にして下さい」
アンリューは紅茶を吹いて咳き込む。
「何故愛妾なのだ?」
「だって、平民で孤児だから正妻は無理なのでは?」
「私は男爵だ。平民を妻にしても許される立場だ。だがナナシは確か十四歳だったな。成人まで後二年待たないといない」
「待っててくれますか?」
「まあ、待ったとしても、私のことはロリコンだと言われるだろうが、しょうがあるまい」
「四十歳でしたか?」
「三十九だ」
間髪を容れずアンリューは答えた。
「失礼しました」
「ナナシを引き取ったのはまだハ歳だったか? 六年も経ったのか」
「お慕い申しております」
「知っている」
六年経っても、アンリューの貴族らしい傲慢は消えない。
「今まで言えなかったことがあるんですが、聞いてもらえますか?」
「聞こう」
それでも使用人にナナシの好きなお菓子を用意させるのが、六年間一緒にいた変化だった。
「ナナシは名前ではありません」
六年後しの告白に、アンリューは目を白黒させるのだった。




