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シュレディンガーのハロウィーン

作者:
掲載日:2025/10/13

「生きている猫と死んでいる猫が重なり合っている」――量子力学の思考実験「シュレディンガーの猫」の奇妙な現象が、ハロウィンの夜に現実となる……?

「『シュレディンガーの猫』ってあるじゃない?」


 リョウコが突然、そんな事を言い出したのは、ハロウィンを明日に控えた木曜の夕方だった。オレンジ色に染まったショッピングモールのフードコートで、僕の前に座った彼女はパンプキン味のアイスクリームを、ちょっと気だるそうな視線で見つめていた。


「あるね。内容はよく知らないけど。なにかの思考実験じゃなかった?」

「そ。文系のくせに、よく知ってるね」

「いや、詳しい内容までは覚えてないんだけどね。確か、えーっと、箱の中で猫が死んでるか生きてるか、あれ? なんだっけ……」

「まあ、文系だし、その程度か」


 高校で理転して理学部に入学したリョウコは、同じ大学の文学部に入学した僕を馬鹿にしているフシがある。まあ、実際に馬鹿なので反論はしない。


「で、そのシュレディンガーがどうしたの?」


 リョウコはプラスチックのスプーンでアイスをすくい上げると、最短距離で口に運んでパクリと食べた。あまり色気のない動作だったが、これも平常運転だ。


「シュレディンガーの猫、ね。アンタにも分かるように簡単に説明すると、一時間のうちに五十パーセントの確率で毒ガスが出る装置と猫を箱の中に閉じ込めて、きっちり一時間後に箱の中の猫がどうなっているか。それは、箱を開けてみるまでは、生きている猫と死んでいる猫がそれぞれ五十パーセントの割合で重なり合っている、という量子力学の思考実験よ」

「……は?」

「これだから文系は……」


 言われて、もう一度想像してみる。生きている猫と死んでいる猫が重なり合っている? 四つの脚で立っているのと、口から泡を吐いて転がっているのと、2つの半透明の猫が脳内に浮かぶ。


「なんというか……動物虐待は良くない」

「……アンタを箱に閉じ込めるわよ?」


 はあっとため息をついてからテーブルに突っ伏し、それからさらにアイスをすくって食べる。行儀は悪いが、そんなリョウコもとてもかわいい。ただ、その言葉には猫を殺せるくらいの毒が含まれていた。あいにく、僕は人間なので致死量にはまだ届かない。


「正直に言おう。半透明の猫が重なってるビジュアルしか思いつかない」

「まあ、一般的な人の想像力ならそんなもんなのかしら。問題はそこじゃなくって、箱を開けるまで猫の状態は定まらない、誰かが箱を開けた瞬間に猫の状態はどちらか一方に収束する、という話よ」

「そんなの、箱を開けなくても、箱を揺すれば分かりそうなもんだけど」

「あー……それも観測ね。言い直すわ。誰かが箱の中を観測する(ヽヽヽヽ)まで、よ」

「要するに、その目で見るまでは信用するな、的な?」

「まったく要されてないわ。やっぱり馬鹿には難しい話だったのかしら」

「そうだねえ。ごめんね馬鹿で。で? なんで今、その話なの?」

「いやー、明日はハロウィンじゃない? 『トリック・オア・トリート』って、言われた相手がどちらかを選ぶまでは量子的に重なり合ってるのかなって」


 そう言って、リョウコは残っていたアイスをコーンごと口の中に放り込んだ。堅焼きのコーンが、バリバリと音を立てて咀嚼されていく。

 頭良すぎてこじらせてる感じがする。理屈倒れとはこういうことか、と思った。

 うん。馬鹿はお前だ。


   ◆


 翌日、ハロウィン当日。午後一の講義を睡眠時間としていた僕は、不可解な夢を見た。

 目の前に半透明の黒猫がいた。見た瞬間、猫は半透明から不透明に変わった。なるほど、こいつがシュレディンガーか、と思った。


『にゃにを言ってるんにゃ。シュレディンガーは動物虐待思考を持った人間にゃ。猫の(にゃ)前じゃにゃいにゃ』


 あ、しゃべるんだこの猫。


『まったく失礼にゃ話にゃ。勝手に半分殺すにゃ、と言いたいにゃ』


 そうだね、なんで猫で思考実験しようと思ったんだろうね。そのシュレディンガーって人は犬派だったのかな、と一応同意しておく。


『同意しておく、まで聞こえてるにゃ。お前も失礼にゃ』


 ありゃ。こりゃどうもすみません。そう言って、気まずさから少し視線を外す。すると、視界の外にいるはずの猫がまた半透明になったのが分かった。視界の外なのに、なぜ分かるんだろう。夢だからか?


『こ()! 目()()()()にゃ()にゃ! 話()()()()(にゃ)()()にゃ!』


 おおう、重ね重ねすみません。入力が大変そうなのでやめておきます、と、視界を再度猫に向ける。猫は不透明になった。


『それでいいのにゃ。ただし、しれっとメタ発言するのはやめるのにゃ』


 で、シュレディンガーの猫さんが、本日はどのようなご用件で? まさか、ハロウィンにお菓子を求めていらしたとか?


『カリカリもちゅーるもいらんにゃ。どっちかというとイタズラのほうにゃ』


 えー、なにか僕にイタズラする気?


『そうにゃ。昨日お前とカノジョが(はにゃ)していたことを覚えているかにゃ?』


 現在進行形で思い出してるよ。トリック(イタズラ)トリート(お菓子)が重なり合ってる、というヤツでしょ? あと、僕は彼女にカノジョになって欲しいと思ってるけど、それを伝えてはいないのでまだ(ヽヽ)カノジョじゃない。


『そうかにゃ、そいつは失礼したにゃ。ともかく、その(はにゃし)を聞いて面白いことを思いついたにゃ』


 他人の話を盗み聞きするのはどうかと思うけど、面白いことってのはどんなことで? できればあまり害のないイタズラなら助かるんだけど。近年はどうもシャレで済まないイタズラで人生を念入りに棒に振る人が多くてね……見てる分にはいいけど、自分がそうなるのはできれば御免被りたい。


『にゃあに、大したことじゃにゃいにゃ。ハロウィーン(ヽヽヽヽヽヽ)である今日一日、お前を不確定性原理の世界にご招待にゃ』


 不確定性原理の世界? それはどんな異世界なんだ? 僕は転生しちゃうのか? あとどうでもいいけど「ハロウィン」の発音が無駄に良いな。


『世界というのは比喩にゃ。文字通りに受け取るのはやめるにゃ。お前は今夜日付が変わるまで、量子的に不確定にゃ事柄がダブって見えるようにしてやるにゃ』


 不確定な事柄がダブって見える?


『お前昨日、生きているオレ様と死んでいるオレ様が半透明で重にゃってるイメージを想像したにゃ? それを現実でも見えるようにしてやるにゃ』


 なにそれ、どういうこと?


『体験すれば嫌でも分かるにゃ。例によって君もしくは君のメンバーが捕らえられ、あるいは社会的に殺されたとしても当猫は一切関知しにゃいのでそのつもりでにゃ』


 えらく懐かしい台詞きたな。なんで知ってるんだこの猫。あと、さりげなく「社会的に」って挟んだぞ?


『にゃお、このテープ(ヽヽヽ)は自動的に消滅するにゃ』


 しかもテレビ版(大作戦)のほうだったか。

 次の瞬間、目の前の猫が煙になって消えていった。


   ◆


 目を覚ますと、視界に強烈な違和感を覚えた。ありとあらゆる物が二重にダブって見える。おおよそ確定している物は身の回りに存在していない、とばかりに。

 めまいのような感覚に思わず目を閉じて、再び机に突っ伏した。すごく気持ちが悪い。

 少しの間そうしていて、恐る恐る目を開くと、ダブって見える現象は軽減していた。どうやら感度を調整してくれたらしかった。

 授業は眠っている間に終わっていて、教室には僕と数人の女子しかい残っていなかった。女子たちは後ろの方の席でなにかを談笑しているようだ。

 そのうちの一人の姿を見て、僕はギョッとした。着ているワンピースの表面がうっすら透けているように見える。そして、2種類の下着がダブって見えた。

 一方は普通っぽい無難な感じなのだが、もう一方は、そっち方面の知見が少ない僕でも分かるような、なんというか、気合が入った、透け感と小さめの布面積が「勝負下着」という言葉を連想させるようなデザインだった。

 僕が一人でドギマギして、視線を向けたり逸らしたりしていると、チート能力で下着を覗かれているとは知らないであろうその子が、見ていたスマホを机の上に置いて、


「だめだ、彼、今晩バイトだって……」


 と寂しげに呟いたのが聞こえた。その瞬間、彼女のダブっていた下着が、無難なデザインの方に収束して、そして透けていた服もスッと不透明になった。

 なるほど、体験すれば分かると言った猫の言葉は正しかった。不確定性がなくなればそもそも見えなくなるという親切設計らしい。

 そんな事を考えていると、ワンピースの彼女と目が合った。僕はややぎこちない笑顔を返して、その流れで立ち上がって教室をあとにした。


   ◆


 キャンパスの中で一番人通りが多い、通称「学問の路」のベンチに座って、行き交う人を眺めていた。おおよそ10人に1人といった割合で、どこかしらがダブって見える人がいる。ハロウィンということもあり、中には奇抜な仮装をした人がいたが、その衣装がダブっていないということのほうに僕は狂気を感じた。大学内は一種の治外法権とはいえ、その格好で授業を受けていたのか……。

 そんな中に、ハーフコートの下に着た服がダブっている女の子を見つけた。というか、リョウコだった。


「おーい、リョウコ、いま帰り?」


 と大きめの声で呼びかけると、リョウコは小走りで僕の方にやってきた。


「やあ、文系。ヒマそうだね」


 と話しかけてきたリョウコは、よく見ればハーフコートの下はほぼ全身がダブっていて、二つの衣装が重なり合っていた。

 ひとつは素っ気ないウォームグレーのタートルネックとスキニーのジーンズ。つまりいつもの格好だ。

 問題は、重なり合ったもうひとつの格好だ。どう考えても本人が望んで着るとは思えない、黒いバニーガールの衣装だった。てか、こんな衣装持ってたのか? リョウコが? ウソだろ……。

 よく見ると、セーターだけでなくジーンズも透けている。ということは、普段の服の下にバニースーツを着込んでるってことなのか。


「どうしたの、ひとの服をマジマジと見て……どこか、変なところある?」


 自分の服をキョロキョロと見回しながら、リョウコの顔にやや赤みが差す。

 ここで気づいた。ふたつの状態が重なり合っている、ということは、まだ観測されていないってことだ。僕の返答次第で、リョウコの服装が収束してしまうって可能性もある……のか……な?

 そして、もしバニーガールに収束したとして、そんな格好でリョウコはなにをするつもりなんだ……?

 これ、なんて答えるのが正解なんだ?


「ええと……べつになにも……」


 と、できるだけ平静を装って答えた。


「ふーん。まあ、私は気にしないけど、あんまり女子の服を凝視しないほうがいいと思うよ。通報されるから」

「つ、通報ですか……」


 ふと、教室で見かけたワンピースの子の姿が脳裏に浮かぶ。いや、あれは不可抗力だ……。

 そんな僕を尻目に、リョウコは校門側のバス乗り場の方へ歩き出す。僕もベンチから立ち上がって、一歩遅れてついていく。


「あれ? 今日はバスなんだ。どこかに出かけるの?」


 リョウコの部屋も僕の部屋も、大学からは徒歩圏内だ。駅まで向かうバスに乗るということは、どこかに出かけるということになる。


「うーん……学科の友達に、渋谷のハロウィン見に行かないかって誘われてるんだよね」

「渋谷のハロウィン!? あんな魔窟に……」

「魔窟って……まあ、実際危ないって話も聞くし、性格的に私には向いてない気もするんだよね」

「ならどうして?」


 僕は、リョウコのほうを見ないようにしながら尋ねた。というか、直視するには若干刺激が強すぎる……なんだよこの破壊力。


「うーん……怖いもの見たさ、かなあ。誘ってもらって、断るのもちょっと気が引けるし、それに……」

「それに?」

「うーん、まあ、有り体に言ってヒマだから?」

「それだけ!?」


 反射的にリョウコのほうを振り返った。できるだけボディを見ないように、顔を正面から覗き込むように努めたのだが、思いっきり目が合った。顔が近い。

 その瞬間、リョウコの顔がダブって見えた。しまった、なにかやっちゃったか、と唾を飲み込んだ。

 リョウコの顔は、僕によく見せる、「文系」と馬鹿にしているときの表情と、今まで見たことがない、やや上目遣いに覗き込んでくるような、少し困った笑顔が重なり合っている。

 鈍感系を自負する僕でも、流石にコレは分かる。収束させるためには……。


「んじゃあ、渋谷の様子はテレビででも観測すればいいよ。よかったら、だけど、これからうちに来ない?」


 言ってしまった……と思っていると、リョウコはため息を付いた。


「これだから文系は……」


 そう言葉にするリョウコの顔は、いつもの馬鹿にした表情に収束していた。そして、服装の方も普段着に……なっていない。普段着が消えてバニースーツが不透明になり、そしてスッと消えて再び普段着の下に隠れたのが見えた。あれ? 不正解………?

 いや待て。教室のあの子は「彼氏がバイト」と知って状態が収束した。順当に考えれば、彼氏に見せたくて勝負下着を着てたってことだよな。では、僕の回答でバニーに収束したリョウコは……どうなんだ? さっきの回答でバニー側へ収束したのだとしたら、いっそバニーを指摘したら普段着側に収束したのか?

 いやいや待て待て。そもそもバニーガールを指摘したとして、僕はどうやってそれを知ったのか、という話にならないか? シュレディンガーの猫の夢を見て、一夜限りの能力を身につけた、こんな話、誰が信じるんだ。リョウコに頭がおかしいと思われてしまう。下手すれば本当に通報案件だ。

 ダメだ、理論的な思考をしようとすると頭が痛くなりそうだ。


「で? テレビ見るだけってんじゃないでしょうね。なにか面白いネタはないの?」


 馬鹿にした表情に、さらにちょっとニヤついた笑顔が付加されていたけれど、ダブっているわけではなさそうだった。器用なことをする。

 しかし、面白そうなネタか……なにかあったかな……と考えたところで、ふと思い当たった。


「ないではない。シュレディンガーの猫が、実は黒猫だったという話はどうだろう?」

「なにそれ。昨日の思考実験の話? 猫に種類とかあるの? 確かにネタとしては面白いけど、ちゃんとオチはあるんでしょうね?」

「さあ、どうだろ……そんなに長い時間話したわけでもないんだよなあ……」


 どうやら、掴みだけは成功したようだった。あとはこれをどう展開させていくのか、なのだが……正直自信はないけれど、文系の面目躍如だ。

 僕らはバス停を背にして並んで歩き始める。


「ふーん。まあいいわ。実は私も……」


 と言い、リョウコはダボッとしたタートルネックを引っ張って中を覗き込んだ。

 そして、ショルダーバックからはみ出しそうになっていた黒いネコ耳の(ヽヽヽヽヽヽ)ついたカチューシャ(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)をぞんざいに押し込みながら、


面白ネタ(ヽヽヽヽ)がないわけではないから」

<了>

ショートショートはSFの華!

そう思って書き始めてはみたものの、短くまとめるって本当に大変です……orz

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