魔女は木べらを持って鍋を追う
――アップルパイとは何だ?
長く魔女と暮らすうちに、感情も意思ももつ鍋になっていた。毎日きれいに磨いてくれるロッティのために作ってやりたいが、歴代の魔女が作ったことはない。せいぜいリンゴを砂糖と一緒に煮詰めたジャムくらいだ。
どこかの厨房に行って、何でもいいから美味しいものを作ってもらおう。王宮はだめだ。魔女鍋とばれたら壊れるまで働かされる。人の多く住む街はどうだろう。やはりだめだ。魔力があるかどうかもわからない者に木べらを突っ込まれるのは不愉快だ。それに低級の魔法使いの不味い魔力など考えただけで吐き気がする。その点ロッティの魔力は甘く、コクがある。今ではロッティの魔力が底にたまり、少しだが調理以外の魔法も使えるようになった。
そういえばロッティが妙な事を言っていた。魔法学院には食堂があって、美味しいデザートが出るらしい。『妹が侍女に話しているのを聞いてしまったの。何が出るのかな』鍋が聞いたこともない名を連ねていた。
「イチゴのショートケーキ、プリン、タルト、チーズケーキ、モンブラン。イチジクのケーキもいいな。シャルロットケーキとミルフィーユは外せない。考えただけでお腹がなっちゃう。全部食べたいよぉ」
呪文のようだと笑った覚えがある。鍋が笑うとなぜか、ポーと音が出る。それを聞いたロッティが鍋を『ポー』と呼ぶようになった。
魔法学院にしよう。低級の魔法使いはいないだろうし、そのアップルパイだって作られるだろう。ロッティの持っていた案内書に地図が載っていたはず。少し骨が折れたがどうにか外まで案内書を呼び寄せ、ページをめくる。地図を見つけるとポーは鍋底を光らせ、吸い込まれるように消えた。
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「ポー、ただいま。リンゴは全部小鳥に食べられてたよぉ。お腹空いたからなんか作ってー」
あれ、井戸の横にあるベンチに置いたはずなのに、ポーがいない。
まさか井戸に落ちた? そんなはずはない。木蓋で閉じてあるし、つるべだって動かされた形跡はない。それよりも上るのだって難しいだろう。
台所にもいない。どこを探してもいない。散歩? まさか誘拐? 困った。どうしよう。日が暮れても帰ってくる様子がない。ふらりとベッドに倒れ込んだ。
「お腹空いたな。うん?」
小さな文机にきちんと積み重ねていたはずの本が傾いている。そういえば庭に魔法学院の案内書が落ちていたのを思い出した。継母が追い出す気満々で城の私室に置いていったやつだ。気が動転していたのだろう。おかしいとも思わず素通りしてしまった。
井戸に戻るとまだ案内書はあった。手をかざすと、ほんのり自分の魔力が使われた気配がする。使った覚えはない。まさかのまさか。ポーかもしれない。
台所に座ってじっくりと調べてみた。
「地図のページに濃く残ってるわね。たぶんここにいる。鍋なら素知らぬふりして厨房に入り込めるかもしれないけど、人は無理よね」
ページをパラパラめくる。
「どうして魔法学院に行ったのかしら。ここが嫌になったのかな。それでも帰ってきて欲しい。ポーがいないとご飯も食べられないし、話す事もできない。そんなの寂しすぎる。絶対に見つけ出すわ」
最初のページに戻る。
「入学案内…。途中からでも入れるのね。試験は実技と筆記。えっ!! どちらかひとつでも高得点とれば授業料と寮費免除!? ただでご飯やデザートが食べれるの!? やった!! 制服まで支給って至れり尽くせりね。王城よりは快適そうだわ。どうして今まできちんと読まなかったのかしら。用意するものは杖か」
杖はない。なくても魔法がかけられる。ポーにお願いする時に木べらに魔法を流すのはなんとなく。味の決め手は愛情♡みたいなもの。そもそも最初の杖は親から与えられるはずだがその親がいない。もらう年齢に達する前に母は亡くなってしまった。
何か代わりになるもの。見回すと木べらと目があった。
「そうよ。私にはベラ様がいた!!」
知らぬ者が見たらどこにでもあるただの使い古された木べら。知る人が見れば腰を抜かすだろう。杖としては幻の最高級材料のひとつで、老いて木と化した竜、竜木の枝。ロッティも初めて見たときはとんでもないお宝だと思った。なぜ木べら? 無造作に台所に吊されていたがすぐにわかった。何というか品がある。持つと手にしっくりと馴染む。長年使い込んだ感がまたいい。それから敬意を込めて『ベラ様』と呼んでいる。売れば一生美味しいものが食べられるけど、そうそう価値のわかる人はいないだろうし、手放したくもない。ロッティの魔力を吸って最近また艶が出てきたが、木べらとしか使っていない。
「ではベラ様、鞄の中へどうぞ。下着と一緒でごめんね」
庵に残されていた鞄に洗面用具や本を詰め込む。大きくもない鞄だが、服だけではスカスカなのが悲しい。ピンクブロンドは目立ちすぎるから変装魔法をかけた。
指をまっすぐに地図の上に突き立てる。『魔法学院へ!』 心の中で唱えればロッティの体は瞬く間に消えた。