魔女は家を出る
魔法4大大国のひとつサウスランドの人里離れた森に住むロッティは、今朝も1人で空の鍋を木べらでかき混ぜる。
「何にしようかな。やっぱり朝はいつものキノコのスープをお願いね。あれは失敗が少ないもの」
鍋はロッティの言葉をしっかりと聞いて、鍋底を光らせる。すると熱々のスープがお椀に一杯分だけ湧き出た。
「ポー、ありがとう。いい香りがする。お味は…。塩入れるの忘れた?」
鍋は知らんふりしていたが、ロッティが木べらで優しく鍋肌をなぜると、くすぐったいのかポーと音を鳴らす。
「塩くらいなくても平気。キノコから味がしみでて美味しいし、火の通し加減は完璧だよ。あとここにベーコンが入っていたら最高なんだけどな」
この魔女鍋は1度作ったことがあるメニューを覚えていて、木べらを通して魔力を注ぐと再現してくれる超便利な魔道具。ただ気まぐれで、洗ったら日なたぼっこをさせ、ピカピカに磨かないと機嫌が悪くなって錆びてしまう。毎日欠かさず手入れをしているのに、実は料理下手。それもひと品作り終わると時間を空けなければふた品目が出てこない。たぶん祖母も曾祖母も料理が苦手だったのだろう。ロッティは鍋に『ポー』と名付け家族として大事にしていた。
祖母と暮らしたことはない。この庵に逃れてきて、鍋の使い方を知ったのは偶然。水と庭になっていたカボチャをザクザク切って鍋に入れてかき混ぜながら、「料理なんて初めてだけど大丈夫かな。カボチャスープって他に何をいれたら良いんだろう」と口に出したら、入れた覚えのない調味料の香りがする。さじですくって口に含むと、とろりと甘い美味しいスープができていた。
それからは試行錯誤。何が作れるのかよくわからない。料理名を適当に言えば、それっぽいものを出してくれる。鍋の知らない料理の時は何も出てこない。というかほとんど知らない。卵料理は何の卵だかわからないのでなんとなく避けている。1度大きさの違うゆで卵が出てきた。たぶん鶏と見たことのない模様の入った大きな何かの卵。
人目につかぬよう暮らしている理由はよくある話。家族に疎外され家を飛び出して来た。
まだ幼い5歳の時に実母が亡くなり、継母とその娘にいびられ続ける生活にそろそろ飽きてきた。それと突然知らない男と結婚させられそうになり、急いで身の回りのものをかき集めてシーツに包み逃げ出した。
祖母が昔使っていたという庵があり、母から渡された鍵を握りしめ念じると瞬時に飛ばされた。家出がバレないように、裁縫部屋にあったトルソーに自分そっくりの魔法をかけ身代わりに置いてきた。返事はしなくても構わないだろう。
「当分はここでゆっくり過ごしましょう」
スープを飲み干しあっという間に食事が終わる。井戸水をくみ上げ、丁寧に洗いながら、「綺麗になったね」「今日は天気いいね」なんて話しかけてしまう。1人でも寂しくないのはポーのおかげ。
******
ロッティが朝身支度をしていると、珍しくメイドが呼びに来た。
「目立たぬよう食堂へお越し下さい」
「……」
「必ずお越し下さい」
扉越しに声をかけられ、部屋の主の返事も聞かず行ってしまった。厄介な話しに決まっている。とうとう追い出す気になったのかしら。とにかく着替え直さなければ。面倒この上ない。
普段は使用人の服を着るが、父に呼ばれる時だけは母の古いドレスに着替えた。サイズが合わず不格好だが、それを見た義母と妹は嬉しそうに笑うだけ。父の前でだけは、亡くなった母親をまだ忘れずに、自分に懐かず寂しいとか、姉らしいことをしないとか愚痴るけど言わせておけばいい。
「では明日、シャルロットに見合いをしてもらうが、ただの顔合わせだ。この婚約はお前から断ることはできない。わかったな」
「……」
「お父様に返事くらいなさい! 深窓の姫君だなんて言われているけれど、ただの引きこもり。死人も同然じゃないの。強情で、愛想のひとつもない。食事の時間にも顔を見せないし、嫁がせてもすぐに出戻るわね。可愛げないのは母親譲りなのかしら」
義母が目をつり上げ、激しく罵る。
(分厚い化粧が剥がれそうですよ。用もないのに部屋から出るなって言ったのはあなたです。食事にだってここ数年呼ばれたことはない。今だって席はないようですけど)
「毎日部屋にこもって何してらっしゃるのかしら。誰とも話さずに薄気味悪いって皆が言ってる。ねー、お相手はどんな方なの? 素敵な方なら私が嫁いでもいいのよ」
「ただの魔道具屋よ。お母様が可愛いマリーにふさわしい素敵な方を探すからお待ちなさい」
(皆って誰よ。今では継母の顔色を窺って誰も寄りつかない。そして私のお母様を悪く言うのは止めて)
「もう少し時間がいるのだろう。あまり気にするな」
父はいつもそう言ってはちらりと見て、すぐに背を向ける。
(娘に会わせる顔なんてないわよね)
母が亡くなったのは、魔力のほとんどない父に代わり、幾度となく大量の魔力を使わされたからだ。乾期が続き、作物が弱り始めると母は国中に雨を降らせた。天候を操るには命を削るほどの魔力が必要だった。亡くなる前に「なるべく魔法は使わないで。困ったことが起きたらお逃げなさい」と絶対になくすなと渡されたのが、祖母の庵の鍵だった。
それにしても。色褪せたドレスに痩せ細った体とかさついた肌。艶のない髪を見て何も思わないのかしら。いい加減に継子いじめに気づけと思うが、こちらから言ってやる気はない。お母様がこの国を救おうと頑張っている間に浮気していたような奴だ。ふたつ年下の妹がいるだなんて。父とも呼んでやらない。
(さて、気晴らしでもしてから部屋に戻りましょうか。―――)
「嫌だ! ネズミがいるわ!」
「きゃーっ、お父様助けて」
「私だって苦手だ。おい誰か!」
「今度は床がつるつるに! 滑るわ」
「歩けない! 怖い!」
「ほら、私に捕まりなさい」
「転ぶ!」
「「「あっーーーっ」」」
(ふん。ネズミくらいで大騒ぎね。城中どこでもいるわよ。床まで掃除してあげたんだから感謝くらいして欲しいわ)
3人仲良く尻餅着いたところで退場。
1人私室へ戻ると母のドレスを脱ぎ、お仕着せに着替える。灰色で生地が薄いワンピース。辞めていったメイドが置いていったものだ。白いエプロンを着け、ピンクブロンドの髪を薄茶に変えれば下級メイドに早変わり。
身の回りの世話をしてくれるお付きの侍女どころかメイドもいない。脱いだものを自分で洗濯場に運び、洗う王女がどこにいるのだろうか。たしか母が亡くなって1年ほどは世話をする者がいたはずだが、いつの間にかいなくなった。その後は母に仕えていたメイドが幼子を哀れんで、仕事中連れ歩いてくれた。そして見様見真似で掃除や洗濯の仕方を覚えた。
継母は決してロッティにものを買い与えない。服は妹の着古したもの。それを受け取ると余計な装飾を外し、一時帰宅するメイド仲間に頼んで、売り払ってもらい生活用品に変えた。服はサイズが変わったときに、誰かと交換して貰う。妹の服とばれないように色や形を変えた。生地は良いので欲しがる者がいたから助かった。妹の服は年々派手になる。誰に見せるのかしら。私は絶対に着たくない。
「洗濯が終わったら引っ越しね。これからは城を出て自由に生きるのよ」
そう。ロッティはこの国の第1王女。わざと地味に目立たず、ひっそりとメイド達に紛れて生活をしていた。おかげで掃除も洗濯もこなせるが、厨房だけは入れてくれなかったから料理はできない。午前中は窓磨きをして、その後は下級使用人用の賄いを日に1度貰う。あとはひたすら図書室から持ち出した本を読んで過ごした。母ゆずりの膨大な魔力のおかげで、難しい魔法も詠唱なしで楽にかけられるようになっていた。
覚えてたての魔法を使って継母達に思い切りやり返したいと思う時はある。でも上級魔法が使えると知られたら、ろくでもないことに利用されるに決まっている。いつでもやり返せるとわかっているから、多少の意地悪なんて気にならない。そう。たまーに、お客様の前で転ばせたり、花瓶を倒してドレスや靴をびしょ濡れにさせるくらいの発散はしている。姿を消す魔法は本当に便利。5分しか消せないけど。
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「やっぱりスープだけじゃ物足りない。この前見つけたリンゴが赤くなる頃かしら。アップルパイが食べたいけど我慢我慢。留守番よろしくね」
井戸の横でのんびり日を浴びるポーに手を振って、ロッティは森に出かけてしまった。
1話をお読みいただき、ありがとうございました。最終話まで毎日更新予定です。2話もよろしくお願いします。