背光
我々は様々な横顔の面影に、首筋を伝う汗の雫とほのかに浮かび上がった青白い血管の内側に、夜空のように澄んだ瞳の、そして濁った藍色の瞳の奥底に、ひとつの記憶を呼び覚まそうとする。それが自己であったり、他者であったりといった何らかの統一された人格である訳だが、では果たしてその記憶は一体どこから来たのだろうか。
何物かの背後にひとつの記憶を求めようとする運動。これが真理である。だから当然真理はひとつでなければならない。前述の統一された人格はこの名残なのだ。いわば忠実な鋳型である。しかし余りにも忠実であるが故に真理とはかけ離れてしまっている。
真理とは虚構なのだ。控えめに言って真理とは誤りそのものなのだ。このとてつもなく広い宇宙から誤りを一つ残らず丁寧にかき集めて一点に凝縮したものなのだ。
真理とはひとつであってひとつでない。どんななぞなぞよりも簡単で、どんな形よりも複雑だ。それは大人しく私の隣の椅子に腰掛けてくれることはほとんどないだろう。それよりかは私の手をおずおずと引いて背後の小さな扉に案内してくれるだろう。
ここで真理について語った内容は、間違っている。隅から隅まで余すことなくだ。しかし、その間違っていることが何よりの証なのだ。だから、私に出来ることと言えば、羊の群れをぼんやりと眺めていることだけ。ただそれだけだ。