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第55話 感情的演戯


 俺は合理的な人間だ。

 少なくとも今までは、そう思って生きてきた。


 父と同じ医者になるために、ひたすら効率的な生き方を選び取ってきた。交友や恋愛は程々に制限し、自分の人生にとって利益になるものだけと付き合ってきた。小さい頃から好きだったジャグリングも、「所詮はただの趣味だ」と割り切ろうとした。そういう生き方が一番性に合うような気がした。


 打算的で功利的で合理的な人間。

 今まではそうやって、自分を定義づけてきた。


 しかし今となっては——その評価はいくらか間違っているのではないか、と思うようになった。そのきっかけとなったのは、紛れもなくあの日の出来事だ。



『——どけ、皮黒!!』



 あの日どうして、皮黒稜貴を助けたのか。

 

 どのみち次に死ぬのは俺だったから、とあの日の俺は結論づけた。皮黒個人に対してはなんの感情もなかったし——それどころか嫌ってもいたが——それが俺の人間的な感情の表れだとは全くもって思わなかった。


 だが、今思えばあのときの俺はやはり合理的ではなかった。

 皮黒を見捨てて先生達を呼べばよかったものを、丸腰で乾の前に躍り出るような無謀な真似をした。それからしばらくその行動を起こした理由を自分に問い続けるくらいには、不可解な現象だった。


 そんな疑問を抱えながら、俺はこの激動の半月を過ごし——ある一つの「仮説」を立てた。「俺はただ、合理的なだけの人間ではないのではないか」という、一見回りくどい仮説だ。


 乾遥の加入に対し異議を唱えたこと。夜宵を傷つけられた怒りで、廻神を殺そうとしたこと。マーヴェラスの仇を討とうとして、無謀にも鬼灯に立ち向かったこと。使えるかどうかもわからない夜宵の魔術を、唯一の切り札として信じ続けたこと……。


 合理的ではない選択を、俺は度々繰り返してきた。

 沢田のことを散々バカだと罵っていた俺自身も、そこそこにバカだった。



『——少年は優しいのだな』


 

 いつか、水無月さんに言われたことを思い出す。

 水無月さんはきっと、一目で俺の本質を見抜いていたのだ。上辺では合理的な選択を心がけていながらも、その実人間的な情や優しさを捨てきれていない。俺という人間の根幹は、いつだって感情的だったのだ。


 俺は確かに、合理的な人間だ。

 だが、()()()()ではない。


 

 現に今も、目の前で失われた命に心を動かされている。



「ナナヨ……」


 壁に倒れこんだ少女の名を呼ぶ。

 いや正確には、この呼び名は少女の本名ではない。名前も愛情も十分に与えられなかった少女の死を、死の間際に立ちながら俺は悼み——そして。


「——ぶっ壊してやる。懇切丁寧にぶっ殺してやる。だから安心してかかってこいよぉおおおお、あーやーがーみぃいいいいいいいいいいいいい!!!」


 ナナヨを殺したあの狂人に、俺は今自分でも驚くほどの憎しみを感じている。現実的に考えれば、この怒りが俺の動きを良くしてくれるとは到底思えない——が、今はこれでいい。このままでいい。


「うるせぇな。デケェ声出さなくても聞こえてんだよ」


 俺は大事な場面で合理的になりきれない。

 だけど、それが俺という人間だ。

 俺はもう、この直感を、激情を否定しない。


 そして——だからこそ、俺は。



「絶対死なす。クソ道化(ピエロ)が」



 この激情のおかげで、本気になって戦える。


 まずはナイフ四本を展開し、基本のカスケード——いや、いきなりナンバーズ。俺が演戯(パフォーマンス)をスタートさせると同時に廻神もヨーヨーで斬りつけてくるが、降ってくる瓦礫と共にそれはかわしていく。暗闇の中だと黒のヨーヨーは視認しづらいが、今の俺ならば問題はない。


 今の俺には、全てが()えている。

 指に挟んだナイフも、迫り来るヨーヨーのディスクと鉄製のワイヤーも、頭上や足元に降ってくる瓦礫ひとつひとつの形も、全部。狂気に呑まれた廻神の吊り上がった口角や予備動作だって、ジャグリング中の俺にはお見通しだ。


(そういえば、久々だな……)


 思えば俺はアジトに監禁されている間、ジャグリングを半ば禁じられていた。武器を取り上げられたことはもちろん、ジャグリングができるだけの物を与えられなかった。だから最近ずっと、なんとなくジャグリングに飢えていた。軽く禁断症状が出始めるくらいには。


 だから今、十分に存分にパフォーマンスができるこの状況が最高に嬉しい。込み上げる怒りとは裏腹に身体中が喜びに打ち震えている。俺はやはり、なるべくしてジャグリングの【中毒者(ホリッカー)】になった人間なのだ。


「ははッ」


 小さな笑みがこぼれる。

 右手のナイフを投げ上げ、代わりに抜いたマチェットでヨーヨーを弾く。それから背面左手で落ちてくるナイフをキャッチしてワイヤーに切り付け、ひとまず切れ味をチェックする。すると予想通り、今の刃ではワイヤーは切れなかった。武器を新調したことで〈AUS〉による強化もリセットされているようだ。


 でも、まあいい。

 この舞台(ステージ)を利用して、俺もこの刃を研げばいいだけだ。


「死んどけェエエエエエエエエエッ!!」


 三つ同時に来たヨーヨーの横薙ぎを、バク宙でかわす。次に壁に沿うように来た縦のディスクは、壁を蹴り飛ばして回避した。マーヴェラスに叩き込まれたアクロバット技術が、今になって活きている。手先だけでなく全身を自由に操れるようになっったことで、俺のジャグリングは格段にその自由さを増していた。


(……ありがとう、マーヴェラス)


 ヨーヨーが右頬を掠める。

 しかし怯まず、そのストリングに刃を立てる。まだストリングは断ち切れない。が、ワイヤーの硬度は前回と同じだ。このままあと五分も戦えば、全部の刃がストリングに通るようになるだろう。


 残された壁を盾にしながら、常に二、三本のナイフを展開しつつ前進する。射程の上では奴の方が圧倒的に有利だ、早いとこ接近戦に持ち込まなければ俺一人ではジリ貧になるだろう。短期決戦に持ち込むべく崩れゆくアジトの中を疾走しながら、降ってきた瓦礫をキックアップで宙空に浮かべ——そのまま蹴り飛ばした。


「——ッ!?」


 虚をついた攻撃に一瞬怯んだのか、奴のヨーヨーの狙いがズレる。

 俺のすぐ横の壁に刃のついたディスクは突き刺さり、鉄のストリングが目の前に張られた。そして俺は咄嗟のアイデアでその鉄線にマチェットナイフを引っ掛け——片手で強く引いた。



「——()け」



 手を放すと同時、矢の如く飛翔する刃。

 即席の弓矢として飛んでいったマチェットは、その勢いのまま途中のストリングを引き裂き、廻神の肩に突き刺さった。廻神は声にもならない叫びをあげるが、すぐさまその淀んだ目でこちらを睨めつけ、


()に乗んなぁあああ、ゴミ野郎ぉおおおッ!!」


 縦横無尽に、ヨーヨーのストリングが張り巡らされる。常時6個以上飛び交うヨーヨーのディスクとストリング、そして俺自身の投げるナイフとマチェット。戦場の情報量は膨大だが、この集中が途切れない限りは俺にも勝算はある。


 今はただ、手を止めるな。

 俺は演戯(えんぎ)する。あの宿敵に打ち勝つために。


 

 これは、狂気的で感情的な俺だけの演戯だ。


 

「何、笑ってんだ……俺を笑うなぁあああああッッ!!!」


 錯乱する廻神のヨーヨーをかわしながら、俺は一気に距離を詰めた。肩に刺さったマチェットナイフが相当効いているのか、奴の動きにもキレがない。懐に飛び込むなら今のうちだ。


「……悪いな、廻神絢聖」

 

 俺は今、多分笑っている。

 ナナヨの死への怒りは闘志に変わり、今やジャグリングへの熱狂となった。俺はどこまでいっても、おそらくどうしようもないほどに【中毒者(ホリッカー)】なのだろう。


 天井に投げ上げ、突き刺さっていたナイフをジャンプしつつ回収しそのまま振り下ろす。その刹那——目の前のストリングが、真っ二つに断ち切られた。



「——俺は今、最高に悦楽(たの)しいんだ」



 目と鼻の先に、廻神がいる。

 ナイフたちの性能もジャグリングによって上がり、こちらの間合いにも持ち込んだことで勝ちを確信した——その瞬間だった。怯みかけていた廻神は瞬時に口端を持ち上げ、乾いた(わら)い声をあげる。


「かかったな、馬鹿が!!」

 

「——!?」


 廻神が手を引くと同時、ストリングが俺の周囲を取り囲んだ。四方八方を鉄線に囲まれ抜け出せなくなったことで、俺は実質的に行動を制限された。このまま廻神に斬りかかっても、どのみち手足の自由を奪われて相討ちにすら持っていけない。


 詰んだ——と一瞬思った。

 しかし空いた左手が不意に腰のベルトに触れた時、そのアイデアは電撃のように脳内に浮かんできた。そして不意に、やはりピンチはチャンスなのだと実感する。


「馬鹿はそっちだろ」


 抜き取ったのは、腰の両側に装着したバトン型スタンガン。

 周囲に張り巡らされているのは、鉄製のワイヤー。


 そこまで条件が揃ってしまえば、もう勝利はこちらのものだった。

 

 

「食らいやがれ」


 

 ナイフが宙に舞う中、二本のスタンガンのスイッチを入れ鉄線に押し当てる。そうして流れた100万Vの電流は絡み合った鉄線全体にまで広がり、最終的にはその先——()()()()()()()()()()()()()()


「——がっ……ああ"あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」


 響き渡る廻神の絶叫。

 奴がヨーヨーの操作を放棄した隙を見計らって、俺は周囲に張り巡らされたストリングを片っ端から切り刻んでいく。刃を振り切るだけのスペースはなかったが、ワイヤーを斬ってはナイフを投げ、持ち替えてキャッチしてまた斬る——の動作を繰り返し、素早く包囲網を突破した。


 だが、まだ終わりじゃない。

 感電して麻痺している廻神の左手にナイフを突き刺し、壁に押し付けて無力化する。すると右手が反射的に掴みかかってきたが、こちらもキャッチしたナイフで壁に縫い付けた。


「が……ッ」


 壁に(はりつけ)になった廻神に、今一度刃を向ける。

 ここまで反撃の手段を削ぎ落とせば、いくらこいつでももう暴れることはできないだろう。俺がトドメを刺さずともこのまま放置すればどの道死ぬだろうとも思ったが、半開きの廻神の両目は静かにこちらを睨んでいた。


「……ンだよ。その目」


 俺の手は確かに、廻神の喉元にナイフを向けている。

 しかし廻神は俺の様子から何かを感じ取ったのか、嘲笑うように口角を吊り上げた。


「さてはテメェ、人殺しは初めてか?」

 

「……当たり前だろ」

 

「ハッ! テメェはとことん……アマちゃんだなァ!! 気に入らねぇヤツの一人や二人、自分のエゴでぶっ殺してこそ【中毒者(ホリッカー)】ってもんだろうが!! 良い子ちゃんぶってんじゃねぇよ!!」


 やはりこいつの言うことには、何一つ共感できない。

 俺とこいつでは、育ってきた環境も好みの対象も何もかもが違う。それでわかり合う方が無理のような気もするが、対話すらまともに成り立たないこいつの境遇にはいささか憐れみすら覚えた。


「廻神……お前は、『好き』の使い方を間違えてる」


 諭すように、俺は廻神に言う。

 最後まで共感はできなかったが、こいつの考えにはほんの少しでも理解を示してやりたい気持ちもあった。


「お前のヨーヨーへの愛は多分本物だ。でもその愛が誰かを殺すために向けられるのは、絶対に間違ってるんだよ。俺たちの『好き』は誰かを否定するための道具じゃない。俺はこの力で、本気で誰かを殺そうなんて思わねぇよ」


 しばしの沈黙が流れる。

 アジトの崩壊が進む中、一応の決着もついたところで退却しようかと考えたその刹那——頭上から轟音とともに瓦礫が落下してきた。するとそこで、反応の遅れた俺の腹に蹴りを入れたのは、廻神の脚だった。


 不意に蹴り飛ばされ気が動転する。

 最後に見た廻神の顔は、まだ俺を笑っていた。


「……アマちゃんがよ」


 直後、天井が崩れ廻神の姿は見えなる。

 

 俺はしばらくただ呆然と呼吸だけを繰り返していたが、警報音を聞きふと我に返って立ち上がった。沢田やザムザたちとも、もうかなりの間はぐれてしまっている。それに俺が無事に帰らなければ、この作戦に参加した皆の尽力が無駄になってしまうだろう。


「帰ら、ないと……」


 帰る。帰るんだ。

 皆のところへ。俺の居場所へ。


「——幻想法典・第六章四節!」




「——【神なる右手の新秩序デウス・インテグレーション】!!」




 聞こえたのは、聞き慣れた少女の声だった。

 瓦礫の雨に打たれていた俺を庇うように出現したのは、紫紺の粒子で構成された巨大な右手。俺が彼女の到着を確信すると同時、二人分の背中が窮地に陥った俺の前に並び立つ。


「平気ですか!? 操神君!」

 

「助けに来たよ、遊翼!」


 同じ〈ANTIDOTE〉第一班の夜宵と、さっきまで鬼灯と戦闘中だった百鬼先輩。心強い二人の登場により、俺は本格的に助かる希望を見出していた。百鬼先輩の肩を借りつつ、俺も脱出に向けて動き出す。


「とにかく、君が無事でよかった。急いで出口を目指しましょう」


「はい……でも、どうして急にアジトが崩れ始めたんですか? それに、この横揺れは——」


「……富士山の噴火です」


 百鬼先輩は真顔でそう言ってのけた。

 この切迫した状況で彼のような人が冗談を言うわけがないだろうとは思いつつ、頭を打ちつけるような衝撃から少し間を置いて訊ね返す。


「噴火って……じゃあ、奴らは最初から……」

 

「それはまだわかりません。今は俺の〈AUS〉でなんとか噴火を遅らせてはいますが、多分そう長くは()たないでしょう。なんとしてでも早く、全員でここから脱出しないと……」


 苦し紛れに言う百鬼先輩は、能力の使いすぎからか鼻血を流していた。正直、彼の力を持ってしてもかなり危うい状況なのは変わりはないのだろう。


「っ……この先、道が——!」


 夜宵の魔術に守られながら進んだ先は、瓦礫の山で通路が塞がれていた。しかし降りかかる絶望を振り払うように、夜宵は一人前に出て魔法の杖らしきものをかざしてみせる。


「案ずるな。瓦礫だろうと炎だろうと闇だろうと……我らの歩みを阻むものは、すべて我が魔術によって振り払ってみせる!」

 

 そこにあったのは、今や誰よりも頼もしいチームメイトの背中。

 ゴーガツの時のスランプなど一切感じさせない、正真正銘「稀代の天才幻想魔術師」となった夜宵は今、俺たちの行く先を照らす一筋の光となっている。


「だから……絶対帰るぞ、遊翼」


 そう言って、夜宵は魔術の詠唱を始めた。

 俺も落ちてくる瓦礫をナイフで斬り飛ばしながら、夜宵と背を合わせる。


「ああ、必ずだ」

 

 行く手を阻む敵はもういない。

 今はその代わりに、俺の帰りを待つ仲間がいる。


 仲間のもとへ無事に帰るという最後にして最大のミッションに、俺は今一度試されていた。

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