第54話 炎炎
『——敵のヨーヨーの【中毒者】と遭遇した! だが、戦闘の途中で天井が崩れちまって……今は操神が一人で奴と戦ってる!!』
その報告を受けた時、完璧の【中毒者】である百鬼が、操神とヨーヨーの【中毒者】とやらの戦場に駆けつけない理由はどこにもなかった。
操神は、これまでずっと捕らえられていたのだ。
きっと、卑怯で狡猾な毒裁社のメンバーであれば、絶対に食事を生き延びる最低限の量しか与えないはずだ。何事にも完璧を強要する百鬼であれば、そうしている。
空腹して衰弱しているような状態で、敵と一騎打ちになったらまず逃れることはできない。
こうして公安が侵攻している以上、毒裁社側だって操神を生かす余裕がないはずだ。
毒裁社側に多少の痛手があったとしても、確実に操神の命を狙うはずだった。
そうであれば、完璧を目指す百鬼が助けに行かない理由はない。
ザムザの近くにいたのなら、そこに自分も行けばいい。瓦礫が道を阻むなら、その瓦礫を全てどかせばいい。ヨーヨーの【中毒者】が敵として君臨するなら、その【中毒者】を倒してしまえばいい。
何も難しいことはない。完璧の男なら行けるはずだ。
「行かないと」
「ちょ、全ちゃん!?」
崩壊するアジトに再度潜り込もうとする百鬼の奇行を見て、呼び止めるのは1人の少女──軛らら。
「何が、何があったの!?」
状況が理解できていないのは、無線を与えられていない乾遥であった。
今回の任務で無線を持っている人は成人している人だけ。そのため、乾も伊織も情報は知らされていないのだ。
「操神君がヨーヨーの【中毒者】と接敵して孤軍奮闘しているらしい!」
「「「──」」」
その言葉を聴き、危機を察する乾と伊織。口から空気を漏らす足を止めてしまう。
「───僕はそれを止めに行きます。朝令暮改で申し訳ないですし、逃げる道は危険かもしれませんが、中西さん。4人を頼みます!」
「もちろんだ。若いのはワシに任せろ。命に代えても全員守り抜く」
「ありがとうございます。それでは全てが終わった後に、また」
そう口にして動き出す百鬼。
彼の心には、まだ葛藤があった。
『完璧には、不完全が足りていない点で完璧とは言えない』
頭の中で反響するのは、公安を裏切った友達にかけられた言葉だ。
この言葉がきっかけで、百鬼は毒暴走を起こして〈JAIL〉送りになってしまう。
完璧を求める彼だからこそ、伊織の無くなった右腕と、軍門に降った一人の紫髪の少女の存在が気に食わないのだ。
「わかってる、当事者の伊織が許したのだから口を出す問題じゃないってことはわかってるんだ……」
独り、百鬼はそんな言葉を崩壊していくアジトの中に残す。
完璧で、完全で、無欠で、完成された百鬼全一郎と言う男は、完璧が故にいつも孤独であった。
そんな孤独を誤魔化すために、彼は完璧を追い求める。
孤独を誤魔化すために、彼は操神の元へ急行する。
***
「──随分と、炎を溜め込んでんじゃねぇか」
富士山頂。
毒裁社のアジトの外で炎を衝突させて巨大な炎の壁を生み出しているのは、〈ANTIDOTE〉第一班副班長『炎天の猛獣』タバスコの【中毒者】辛木烈火と、毒裁社の自称芸術家、ガソリンの【中毒者】ガソ鈴子であった。
日本最高峰の富士山の頂には、8月に入ったにもかかわらずその雪が残っており、辛木の目には、ガソ鈴子の後方に、万年雪が映っていた。
ここまで戦闘が長続きするとは思わなかったのか、辛木は少し驚いたような表情でガソ鈴子に問う。
「今日の為にたくさん飲んできましたからね。ほら、富士山頂ではガソリンって入手しにくいでしょう?だからたくさん買って飲んできたんですよ。あ、ここで一個お話しすると──」
「必要ねぇ。お前のガソリン事情なんか興味はねぇからよぉ!」
その言葉と同時、目の前に立つ白衣を纏った女性───自称ガソ鈴子に対して炎を吐く辛木。
それを見たガソ鈴子は、口を動かすのをやめてすぐさま炎を吐いた。
その勢いは収まるどころか、火に火に盛んになっているような気もする。
「クッソ、このまま吐かれ続けるとこっちの炎が持たねぇ……」
辛木はそう口にして、息を整える。口の端からは炎が漏れているが、そんなことを気にしている余裕はない。
──幸運だったのは、両者炎は「息を吐く」時にのみ、吐くことが可能という点だろう。
もし、ガソ鈴子が息を吸いながら炎を吐ける──という〈AUS〉であれば、辛木は一瞬で焼死体になっていただろう。
力強く息を吐くことによってお互いに炎を吐き、息を整えている間に会話をして、状況が整ったらまた息を吐いて炎をぶつける──そんな勝負を繰り返し、千日手になっていた。
だが、お互いの炎の残量は無限にあるわけではない。
もちろん、両者溜め込んでいるタバスコかガソリンが底を尽きれば、もう炎を吐くことはできない。
辛木は体に炎を纏うことができるが、それはタバスコの【中毒者】としての〈AUS〉の一部であって、自分の吐いた炎を身に纏っているだけだ。
だから、ガソ鈴子が吐く炎はおろか、マッチの火だって燃え映ってしまえばその身を焦がす危険性がある。
──辛木は、炎を吐いてガソ鈴子の炎に衝突させながらガソ鈴子の討伐方法を考える。
もう、辛木の腹の中にあるタバスコはもう少ない。
後数回吐いたら、燃料が枯渇して空になってしまうだろう。一応、追加のタバスコは数本持ってきてはいるけれども、それを追加しても2回分にしかならないだろう。
本来であればこんなにタバスコを消費しないのに、相手が強い炎を吐き続けてくるから、辛木もそれ相応の炎で答えなければ、食い止めることができないのだ。
一体、どれだけその細身にガソリンを溜め込んできたのかは知らないが、向こうはまだまだ余裕がありそうだった。
お互い、息が吐けなくなり辛木は息を切らしながらもタバスコを摂取する。
「え!?タバスコを直接飲むんですか!?」
「ガソリン飲んでるお前には驚かれたくねぇよ!」
「いや、失礼。タバスコ直飲みしている人なんか初めて見たのでついビックリしてしまって。アナタもタバスコを飲んで真実芸術を表現している方だったとは」
「んや、お前と違って俺はアーティストじゃねぇ。タバスコが好きだからタバスコを飲んでるだけだよ」
「タバスコって調味料なんですから、ピザとかに書けた方がより美味しく食べれませんか?」
「わかってねぇな。そりゃ、もちろんタバスコは調味料だからピザとかパスタとかだったりにかけても美味しいぜ?そりゃわかってんだよ。でも、そのまま飲んだらまた違った味わいを生むんだよ。ちょっと、お前のその無礼な発言で愛が炸裂しちまったから話させてもらうぜ。黙って聞けよ?」
「嫌です。私は芸術家。自分の話は聞いてほしいけど人の話には興味ない。だから私は聴きません!」
そう口にして、炎を吐きかけるガソ鈴子。
それを見た辛木は、空になったタバスコの容器を投げ捨てて、炎をぶつける。
過去最大の炎と炎が衝突し、それが波のように天高く打ち上げられる。空から火の粉が降ってきて、その温度を頭髪に感じる。
互いの肺から空気が無くなり、息を吸うしかなく何度目かの休憩が挟まる。
その間に、辛木は2本のタバスコを取り出して一気に口の中に流し込みながら思考を逡巡し続ける。
──この2本を飲み干したら残るは3本だが、ガソ鈴子から吐き出される炎の量を考えるに、次の1発で胃の中のタバスコは空っぽになる計算だ。
そうなると、ポケットにある3本っぽちじゃ次の次は凌げない。全力で出したら5秒と耐えられず、同じ時間だけ吐けば相手の炎に押し負けて死んでしまう。
では、こうして炎をぶつけ合うばかりでなく先程も頭に浮かんだ接近戦に持ち込む方がいいのかと言うと、それもやっばり不正解だ。
ガソリンをかけられ火を放たれれば、俺は自分の纏う火がガソリンに引火して、そのガソリンで焼死体になってしまう。
妥協も油断もできない相手だから、小手先の姑息な手段が通じるとも思えない。
「あー、クッソ。自分の上位互換に勝つ方法が思いつかねぇ」
自分に合って、ガソ鈴子にないものを必死に探してみる辛木であったけれど、その答えは出てこない。
その間に、向こうも準備が整ったようで、炎を吐いてくる。
「あぁ、クッソ!この一撃で決めるしかねぇなぁ!」
その言葉と同時、辛木は過去最大級の炎を吐き出す。
その紅く巨大な質量は、ガソ鈴子の吐く同じく紅く巨大な質量にぶつかり、巨大な炎の壁を生む。
「まだ、まだぁぁぁぁぁ!」
腹にある全てのガソリンを変えてやる。その意気で、より高濃度の炎をぶつける辛木。
「──ッ!強」
辛木の放つ半ばゴリ押しの強硬策に、ガソ鈴子は驚きが隠せない。
これで炎が尽きたとしても、ガソ鈴子を燃やし尽くしてしまえば、辛木の勝利なのだ。
それだけの火力が今吐き出されている炎には存在しているし、辛木は優勢だった。
富士山に積もっていた雪が融けて、2人の足元にはいつの間にか水溜りができていた。そんな水溜りを、吐く炎で焼き払い、目の前の敵を焦がすことを目指す。
「うおらぁぁぁぁぁぁ!」
喉を震わせ、叫び声を上げながら炎を吐き続ける辛木。
過去にこれまでに強力な炎は吐いたことがないから、喉の奥が焼けるように痛い。
──が、目の前の上位互換に勝つためには一瞬の隙を突くしかないのだ。
辛木の炎が、ガソ鈴子の炎を押し切り、その炎をガソ鈴子を包み込む。
それと同時に、辛木が貯めていた炎が切れてガス欠を起こす。
「──はぁ……はぁ……」
完全に息が切れて、肩で息をする辛木。ガソ鈴子を掴んでいた炎が霧消して、その紅焔の中から一人の影が出てきて──。
「──んなッ!」
「ははは、ははははは!残念でしたね、後一押し!後一押しが足りていませんでした!君の真実芸術は、私の真実芸術を前に後一歩及ばなかった!」
「──おいおい、マジかよッ!」
そこにいたのは、顔半分を顔も当てられないような火傷跡に変えながらも、ニヤニヤと笑みを浮かべているガソ鈴子。
「あぁ、クソッ!まだ足りなかったかよッ!」
辛木は、残る3本のタバスコも一気に、焼けるような痛みに耐えながら喉の奥流し込む。
だが、これは応急処置にもその場しのぎにもならないような量だ。
戦いの中でインフレしすぎた火力を前には、タバスコ3本など気休め程度なのである。
「──負けられねぇ!でも、勝ち目がねぇ!」
辛木は、相手に勝利する方法を頭の中で模索する。もう炎をぶつけてもどこにも勝ち目はないし、接近してもガソリンをかけられ燃やされる可能性がある。
近距離戦も遠距離戦も不可能。ならば、選択肢は──
「あぁぁ、もう!どうにでもなれ!」
そう口にして、辛木はガソ鈴子の方へ走り出す。炎を纏うことはせず、ガソ鈴子の方へと接近する。
「愚策ですね!」
ガソ鈴子がそう言葉を漏らし、辛木にガソリンをかけようとしたその瞬間──。
「戦略的撤退だぁ!」
そう口にして、辛木はガソ鈴子のすぐ横を通り過ぎる。
その想定外の行動を前にして、ガソ鈴子は反応が遅れてガソリンをまくことも炎を吐きかけることもできない。
逃げているのにどこか勇ましいその背中を見て、ガソ鈴子は怒りが湧いてくる。
「──この私が、逃がすわけないでしょう!」
そう口にして、辛木の背中を追いかけるガソ鈴子。
辛木は、万年雪の積もった道でない場所を無理矢理に進む。右手側に広がっているのは断崖絶壁だ。
足を滑らせてしまえば、生きて帰れはしないだろう。ここが富士山頂であることを改めて自覚する。
「──」
恐怖だろうか、慄きだろうか。理由はわからないが、辛木の喉が鳴る。
「残念でしたね、そっちに道はない!いくら逃げても無駄ですよ!」
「無駄かどうかは、まだわかんねぇだろ!」
そう口にして、8月なのに残っている雪に体を埋めながらガソ鈴子の方を振り向いた。
「食らえっ!」
振り向いた辛木は、そのまま口から炎を吐く。
その大きさは、先程の戦闘とは火にならないほどの小ささだ。顔に大きな火傷が残ったガソ鈴子の足を止めることはできない。
「残念でしたね、私はそんな弱っちい炎じゃ死なない──」
「わかってるぜ、そんなの」
辛木のその言葉と同時、ガソ鈴子の上から降り注ぐのは万年雪。
──雪崩だ。
「んなッ!」
ガソ鈴子は、雪崩に足を取られ、降り注ぐ雪と一緒に滑落する。
思えば、簡単な話だ。
下にある雪が溶ければ、上に残っている雪を支えるものがなくなって落下していく。それは当たり前だ。
「さよなら、ガソ鈴子。お前のような芸術家を、俺は忘れることはないだろうよ」
ガソ鈴子と言う芸術家は、自分の名前が死して尚、誰かの思い出や思い入れや思い込みになることに成功し、芸術家として完成したのであった。
勢いよく転げ落ちていくガソ鈴子を見下ろし、自分も落ちないようにゆっくりと毒裁社の方へ移動する。
そして、ここに来るために使用して、ガソ鈴子に墜落させられたヘリコプターに足を運んだ辛木は、一つの違和感を覚える。
「──乗富さん?」
ヘリコプターの運転手であり、非戦闘員の乗富さんが見当たらないのだ。
他の皆と一緒に、建物に連れ込むことが安全だと思われたのか、それとも個人の判断で他の誰かの元へ逃げたのか。それとも──
「久しぶりだな、童貞野郎。探してるのは、このじいさんか?」
ヘリコプターの上から、聴いただけで吐き気を催すような醜悪な怪物の声がした。それと同時に、辛木の後ろにドサリと何かが落とされる音がして──。
辛木は、ヘリコプターの上にいる悪童になど目もくれず、落ちてきたその物体・物質に目を向ける。
そこに落ちていたのは──
「──乗富さん!」
そこに落ちていたのは、体中に火傷跡と裂傷がある乗富さんの亡骸であった。
言われなくてもわかっていた。乗富さんは、ヘリコプターの上部で偉そうにふんぞり帰っているクソガキ──毒裁社の三大幹部の1人である、七星北斗に殺されたのだ。
「いや~、漁夫の利。漁夫の利。ヘリコプターを墜落させてくれたのは鈴子だったのに、僕が手柄を奪っちゃって申し訳ないね~」
「──この、クソガキがッ!」
「もうアジトも壊れるだろうし、僕は逃げるよ。んま、気を付けて」
「逃がすわけないだろうがッ!」
「いやいや、逃げないと死ぬんだって。お前らに殺されるんじゃない、ここのアジトは崩壊すると最終的に、富士山が噴火するんだ。逃げるなら北東をオススメするぜ。"ホクト"だけにな」
百害あって一利なし。
タバコを表すのに相応しいその言葉は、もれなく北斗にも当てはまっていた。
紫煙に身を包み姿を消した北斗がいなくなった戦場に残っていたのは、乗富さんの亡骸を抱えた辛木の虚しい背中であった。
──富士山噴火まで、後15分




