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第51話 逃走劇


 激流が通路を通過した、その少し後。

 俺と沢田、それからコドクモリ出身の少女ナナヨは目を覚ました。すでに夜宵の放った水はアジトの奥の方へ流れていってしまったようで、部屋は水浸し状態になるにとどまっていた。


 外には鬼灯の姿も、百鬼先輩の姿もない。

 向こうの立てている作戦の全貌はわからないが、チャンスは来た。希望が見えてきた。


「見張りの鬼灯がいない……逃げるなら今しかないな」


「けど、この柵はどーすんだよ!? 俺たちだけじゃどのみち出られねーぞ!?」

 

 沢田の言うことは正しい。

 今俺たちの力を合わせたところで、この鉄の柵はどうやっても突破できない。となるとやはり夜宵かその他のメンバーの助けを待つ必要があるが、鬼灯が戻ってくる可能性もある以上そこまでのんびりしていられるだけの時間は——


 

「——おーい! 操神! 沢田ぁ! いるかぁあああ!?」



 どこかで聞いた覚えのある声が、廊下に響き渡った。

 俺がその声の主を思い出すよりも先に、隣にいた沢田が自らの居場所を叫ぶ。すると足音はすぐさまこちらに近づいてきて、ついに、


「おお! よかった、ここにいたか!!」

 

 覗き込んできたのは、無数の腕をもつ大柄な男。

 その姿を目にすると同時に脳裏に浮かんだのは、初任務で潜入した工場でのワンシーンだった。


「——ザムザ!」


 千手観音の【中毒者(ホリッカー)】、扉音(とびらね)三十三(ざむざ)

 公安の正式メンバーではない彼の登場に俺は驚きつつも、そこに確かな安堵を覚えていた。ザムザは面識のある俺の顔を見て、その頬を綻ばせる。


「よう、初任務ぶりだな。操神遊翼!」


 彼との初対面は、ゴーガツ以前の初任務にまで遡る。言ってしまえば期間的にはまだ二週間ほど前なのだが、ここ最近が激動の毎日すぎてかなり昔に感じてしまう。


 ザムザはその多腕で無理やり檻をこじ開け、部屋の中へと入ってきた。ようやく本格的に助かる兆しが見えてきたと言っていいだろう。と、俺の横では沢田が目を輝かせていた。


「——うおおおおお、ゴーリキーだ!!」

 

「……カイリキーだろ、どちらかといえば」


「はっはっは! お前面白いな!」


 腰に手を当て、ザムザは豪快に笑った。

 するとその後ろから小さな手が伸びてきて、彼の頭に軽くチョップを入れる。


「あだっ!?」


「ふざけてる場合じゃないでしょ。時間ないんだから」

 

 ザムザの背中におぶさっていたのは、ゴシック風なドレスを着た少女だった。眠たげな雰囲気の彼女はヘッドホンを外すと、軽やかにザムザの背中から飛び降りる。


「こいつは俺と同じ〈JAIL〉所属の【中毒者(ホリッカー)】、華夢(はなゆめ)寧々(ねね)だ。仲良くしてやってくれ」


「はろはろ〜。で、そっちの子はなに?」


 華夢と呼ばれた彼女は、沢田の後ろを見て言った。

 見知らぬ二人の【中毒者(ホリッカー)】の登場で、ただでさえ人見知りだったナナヨは沢田の背中に隠れて縮こまってしまっている。だがまあ、千手状態のザムザの絵面を考えたら無理もないだろう。


「どうしたお嬢ちゃん。おじさん怖くないぞ〜?」

 

「いや怖いだろ」


「腕しまいなよカイリキー」


「千手観音だッ!!」


 なぜかキレ気味に千手観音モードを解除するザムザ。

 そして隣にいた沢田は、ナナヨを庇うように言った。


「この子、実はコドクモリの出身らしいんすよ……。でも落ちこぼれっていうか、才能がなかったせいで毒裁社にも捨てられたみたいで。なんとかして、公安の方で保護できないっすか!?」

 

「コドクモリ? って、本当にあのコドクモリか?」


「多分、そうだと思う。鬼灯はその失敗作って言ってたな」

 

「……」

 

 ザムザは黙って、華夢さんと顔を見合わせる。それで二人は言外に通じ合ったようで、華夢さんはナナヨの前で座り込むとその頭に優しく手を置いた。


「ごめんね、ちょっと眠ってて」


 華夢さんがそう唱えた次の瞬間、ナナヨは魔法にかけられたように眠りについてしまった。明らかに彼女の持つ〈AUS〉によるものだろうが、倒れたナナヨを見て沢田が声を上げる。


「おい! 何もいきなり眠らせなくたって——」


「この子は、コドクモリの出身なんでしょ?」


「そうだけどよ……この子は別に悪い子なんかじゃないぜ!?」


 沢田の訴えに、ナナヨを抱き上げたザムザは複雑そうな表情で答えた。


「俺たちもそう信じたい。けどな、毒裁社の息がかかっている以上、奴らの仕掛けた罠って可能性もあり得るだろう? だから申し訳ないが、本部に着くまでは眠っていてもらおう」


「……了解っす」


 沢田がしぶしぶ了承する中、ザムザは華夢さんの代わりにナナヨの体を背負い上げる。そのことで華夢さんがぶつくさと文句を垂れたが、ザムザは特に気に留めなかった。代わりに華夢さんは何かを思い出したように、背負ったリュックの中から何かを取り出す。


「あんた、操神遊翼でしょ。これあげる」


「……これは?」

 

 華夢さんから受け取ったそれは、小さなアタッシュケースだった。いいから開けてみろ、と言わんばかり華夢さんの無言の圧力に、俺はひとまずケースの留め具を外し開いてみる。


 中に入っていたのは、久々にみる俺の武器たちだった。


「……!」


「この先、敵が襲ってこないとも限らねぇからな。監禁生活で疲れ切ってるかもしれねーが、お前も備えとけ」


 そう言ってザムザは、鬼灯たちに剥ぎ取られていたジャケットを投げ渡してきた。俺はマチェットナイフやスタンガンをそれに仕舞って羽織り、通路へ出たザムザたちの後に続く。


「っし、行くぞ! みんなが待ってるぜ!」


「「はい!!」」


 ようやく毒裁社の監禁から逃れた俺と沢田。

 命懸けの逃走劇が、いま幕を開けた。




        ◇◇◇




 操神らの逃走開始とほぼ同時刻。

 地下牢から少し離れたアジトの端で、激流に流された鬼灯は朦朧としながらも立ち上がっていた。簪でまとめられていた髪はひどく乱れ、水を吸った着物は重く彼女の体にのしかかっている。


 すると通路の奥から、銃を構えた人影が現れた。


「酔いは()めましたか?」


 衰弱した鬼灯に歩み寄るのは、同じく激流に呑み込まれたはずの百鬼だった。しかし彼自身は〈AUS〉の絶対律により夜宵の魔術の影響を受けないようにしたことで、身体機能への障害は免れていた。


 水を吸ったワイシャツを脱ぎ捨て、百鬼は鬼灯に迫る。

 両陣営の「鬼」は今再び、銃を手に対峙した。


「ああ、醒めちまったよ。興醒めだ」


「それはいい気味ですね」

 

「……クソガキ」


 百鬼の銃撃を寸前でかわし、鬼灯はリボルバーを早撃ちする。

 しかし【百鬼全一郎は自分に向けて撃たれた鬼灯酒樂の銃弾を受けない】という負の絶対律を発動していた百鬼には、彼女の弾は何発撃とうと当たらない。


 それを悟った鬼灯が銃を下ろすと同時、百鬼は訊ねた。


鍵真(けんま)は今、どこにいるんです?」


「鍵真……? ああ、錠野(じょうの)鍵真(けんま)かい? 知らないね。ここには居ないよ」


「白を切るつもりですか」

 

「あのガキは私の部下じゃあないからね。にしてもあんた、本気であいつとケリをつけようってのかい? ハッ、あいつに裏切られた挙句そんな『首輪』まで付けられて、今のあんたも十分いい気味じゃないか!」


 鬼灯の投げナイフを、百鬼は頭を傾けて回避する。

 その直後鬼灯は右肩に銃弾を撃ち込まれ、力無く壁にもたれかかった。血を流して倒れこむ彼女を、百鬼は銃口を向けたまま追い詰める。


「建物内にいる毒裁社側の【中毒者(ホリッカー)】たちは、もうほとんど片付きました。操神君たちもじきに俺の仲間が脱出させるでしょう。鬼灯さん、貴方たちの負けです」


「そうかい。そりゃよかったね、クソガキ」


 嘲笑うようにそう言って、鬼灯は懐から端末を取り出した。それを見た百鬼が発砲するよりも早く、鬼灯は端末の画面を操作してとあるコマンドを実行する。


「ただじゃあ死なないよ」


 その瞬間、アジト全体に大きな揺れが走った。

 ただならぬ予感を覚えた百鬼が冷や汗を流す中、彼の無線機から響いたのは焦ったような水無月の声だった。


 

『——皆、聞こえるか!? アジト上階にて爆発が起きた、建物内に残っている者はすぐに退避するんだ! 操神くんたちの救出は成功した!!』


 

 水無月の報告を聞き、百鬼は小さく舌打ちをして踵を返した。彼の能力をもってすれば崩壊するアジトの中でもある程度行動は可能だが、仲間の安全が確保できない以上それは得策ではない。


 完璧なミッション遂行のため、彼はまた奔走する。

 一人その場に残った鬼灯は、虚ろな目で天井を見上げていた。


「ああ……本当に、くそったれた世界だね。酒にでも酔ってないと、私までおかしくなっちまうよ……」


 彼女のすぐ傍の通路が崩れ始める。

 瓦礫の舞うアジトの中で、鬼灯は視界の隅にあった酒瓶を手繰り寄せた。中身はとうに水で洗い流されてしまっていたが、鬼灯は幻覚でも見るようにその酒瓶に口をつける。わずかに残った酒の匂いが、最後に彼女を酩酊させた。


「賭賭博、七星……更級(さらしな)


 茫然と酒瓶を掲げ、彼女は譫言(うわごと)のように呟いた。

 

 

「悪いね……先に行くよ」


 

 瓶に残った最後の一滴が、鬼灯の舌に滑り落ちる。

 崩壊するアジトの最下層で瓦礫に打ちつけられながら、彼女は最期に微笑んで意識を手放した。

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