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第49話 傘と激流


 6時52分、富士山頂のアジト一室。

 

 夜宵が操神たちの救出に急行し、部屋に残されたのは三人の【中毒者(ホリッカー)】と一人の無能力者。傘の【中毒者(ホリッカー)】としての能力を喪失した水無月は、部下である錦とともにコドクモリの誇る【中毒者(ホリッカー)】二人と対峙していた。


 公安部の刑事として長年勤めてきたとはいえ、水無月でも〈AUS〉無しでは二人の【中毒者(ホリッカー)】相手に勝算があるとは言い難い。加えて隣にいる錦は、〈ANTIDOTE〉最年少ゆえに本来なら率先して彼女が守るべき大切な部下だ。無茶をさせられないどころか、最悪の場合自分が彼女の足手纏いにもなる。


 しかし、それでも。

 公安第五課〈ANTIDOTE〉第一班班長としての矜持を持つ彼女は、ここで引け腰にはならない。傘一本を手に、【中毒者(ホリッカー)】相手にも果敢に立ち向かうだけである。


「当然だけど彼らのデータはない……錦ちゃん、気をつけて——」


「——あれ、攻めてこない感じ!? じゃあ俺が先攻ってことでめっちゃ合意でいいよな!!」


 そう威勢よく言い放ったのは、雨の【中毒者(ホリッカー)空蝉時雨(うつせみしぐれ)

 彼は身に纏ったレインコートをばさりと広げると、周囲に微小な水滴を出現させた。その水滴——否、雨粒は彼の狙い撃つような動作に呼応して、水無月たちに降り注ぐ。



「くらえッ——(レイン)(バレット)!!」



 水無月は反射的に、傘を広げ錦を庇った。

 雨粒にしては硬質かつ高威力なそれは弾丸のごとく降り注ぎ、水無月の腿や足首を掠める。痛みで水無月は短く呻いた——が、傘で防御された他の箇所や錦には、雨粒は着弾していないようだった。繰り返しになるが、今の水無月には〈AUS〉による傘の絶対防御は使えない。


 訝しむ水無月の視線の先では、現・雨の【中毒者(ホリッカー)】である菅笠(すげがさ)霧奈(きりな)が同様に傘をさしていた。


「もう……危ないじゃないですか。〈AUS〉を使うときはきちんと合図してとあれほど……」

 

「いいじゃん別に。今の方がめっちゃ不意打ちでめっちゃ効果あるだろ〜?」


 軽口を叩き合う雨傘コンビの二人。

 地面には、先ほど降り注いだ雨粒により弾痕のような痕ができている。その一方で傘をさした自分や菅笠やレインコートを着た空蝉には、これといってダメージが入っていない。


「錦ちゃん、今の避けられそう?」


「ん、余裕」


「わかった」


 水無月は敵の能力を推測しつつ、錦に先行して傘を手に疾駆した。錦もそれに続いて蛇に変身しつつ敵陣へ突っ込む。彼女らの一転攻勢に、空蝉は身構えた。


「おい、めっちゃ攻めてきたぞ!」


「言ってないで撃ってください!! バカなんですか!?」


 菅笠の忠告に、空蝉は慌てて第二射を放つ。

 だがそれも、今の彼女らの前ではただの雨粒に過ぎない。水無月は傘を広げることで弾き飛ばし、錦は蛇特有の柔軟な動きを駆使してその間を縫うように進み続ける。


 瞬時に傘を閉じた水無月は、槍のような石突で空蝉の喉を狙う——が。


「させませんよ」


 その瞬間、割って入ったのはもう一本の傘だった。

 菅笠は自前の傘で水無月の傘を弾き返し、それから同じく攻撃を仕掛けようとしていた錦に対して傘を広げた。そして、



「アメちゃん、《防壁(シールド)》お願い」

 

 

 傘の表面に張られたのは、水による膜。

 それは奇しくも——否、()()()()水無月が扱っていた〈AUS〉と酷似していた。錦の攻撃が完全に無効化される中、水無月はその悪趣味さに頬を歪ませる。


「その〈AUS〉は、私の……」


「ええ、そうです。新しい【中毒者(ホリッカー)】の発現する〈AUS〉は、必ずしも先代のものと同じになるわけではない——ですが、私の場合は違います」


 広げた傘をくるりと回転させ、菅笠は微笑する。



「私はあの地獄で、ずーーーーーっとアナタの戦い方だけを見てきましたから。アナタの〈AUS〉や一つ一つの所作、細かな癖や呼吸の仕方まで……私という【中毒者(ホリッカー)】は、アナタを親として育った娘も同然です。アナタの完璧な上位互換になるために、私はここまで頑張ってきたようなものなんですから……! あはははははははは!!」


 

 口角を吊り上げ、狂ったように笑い続ける菅笠。

 なりたての状態ながらも既に〈毒暴走(アポトーシス)〉寸前の彼女に、水無月は焦りを覚えつつも傘を握りしめる。かつての自分と同じ〈AUS〉の使い手。そんな相手を前に、水無月はほぼ丸腰で立ち向かわなければならない。


「やれやれ、よく喋るな……君、少しでも面白いと感じたことはなんでも口に出してしまうタイプかい?」


「そうですが何か? 尊敬していたアナタ相手に今好き放題マウントを取れることが正直死ぬほど嬉しくてたまらないだけですがそれが何か?」


「おいおい菅笠、そんなめっちゃ喋ってないで早く殺っちまそうぜ?」


「あー、それもそうですね。お披露目もマウントも済みましたし、あとは私の【中毒者(ホリッカー)】としての地位確立タイムといきましょうか」


 菅笠が再び、傘を構える。

 対峙する二人の傘使いの構えは、奇しくも鏡合わせだった。


「というわけでまあ、とっとと死んでください」


 スタートは、同時。

 傘を手にした二人は素早く距離を詰めて切り結び、電光石火の如き剣戟を演じる。両者とも傘を得物とする相手は初見だが、菅笠が水無月の模倣をしていたが故に実力はほぼ互角だった。水無月が石突で相手の頬を掠めた次の瞬間には、同じく菅笠が石突で相手の手の甲を掠めている。


 繰り広げられる壮絶な剣戟。その裏では空蝉が雨の銃弾を放ち、錦がトリッキーにその合間を縫って相手の急所をついていく。


「チッ……俺の弾を避けるかよ! やっぱめっちゃ動けるなこの子蛇ちゃん!!」

 

「班長は、やらせない……!」


 変身解除からの低姿勢での足払い、前蹴り上げ。そして再度蛇になってから空蝉の股下をくぐりつつ、腕の蛇による脇腹への噛みつき。まるで絡みつくような錦の体術に空蝉は翻弄されるが、腐っても彼も【中毒者(ホリッカー)】、当然終始劣勢では終わらない。


「くっ……めっちゃもったいねぇけど、解禁(バラ)しちまうか!」


 錦のハイキックを躱し、空蝉はレインコートを広げる。

 そしてさらに多くの雨粒を出現させ、叫んだ。



(レイン)(バレット)——『集中豪雨(バラージュ)』!!」



 降り注ぐのは、先ほどよりも弾速と弾数の増した雨の弾。技名通り一段階上の集中豪雨と化したそれは容赦なく錦をつけ狙い、回避する暇も与えない。被弾の少ない蛇形態となった錦の体にも、それは着実にダメージを与えていった。


「っ、よけきれない……!」

 

「錦ちゃん!!」

 

 降り注ぐ豪雨から庇うように、水無月が手持ちの傘を広げる。

 そうして二人は空蝉の攻撃を防ぎきることはできたものの、そこで生まれた隙を菅笠は見逃さなかった。傘をレイピアのごとく構え、石突で傘に隠れた水無月を狙う。


「いくよ、アメちゃん」


 菅笠の傘が水滴を収束させ、「槍」を形作る。



「——《水槍(ランス)》!!」



 炸薬で射出された石突に伴う、一本の水の槍。

 その技もまた、言うまでもなく水無月の〈AUS〉の模倣であった。高い貫通力を持ったそれは水無月の広げた傘を突き破り、彼女の脇腹を抉りながら穿ち抜く。


「がっ……?!」


 水無月の脇腹に空いた風穴。

 彼女はそれを押さえ止血を試みながら、その場に跪く。錦が不安げに駆け寄ったが、水無月は安堵させるように曖昧な笑みで返した。


(にしても、自分の技を食らうのは初めてだな……)


 その存外の強力さに、水無月は苦悶しながら笑みを引き攣らせる。彼女視線の先では、菅笠がしてやったりと言わんばかりに得意げな顔をしていた。


「さて、もういいでしょう。アナタより私の方が、この身に巣食う〈毒〉をうまく飼い慣らせる……そういう結論で間違いないはずです」


 菅笠はひたすらに、水無月が【中毒者(ホリッカー)】として積み重ねてきた経験と尊厳を踏みにじる。長年傘を愛しながらも、コドクモリにおいては脇役でしかなかったその雪辱を今、精一杯果たすように。


 しかし水無月はその意図を汲み取った上で、まだ笑みを崩さなかった。


「ははっ……いいよね、傘は」


 菅笠が片眉を上げる。

 水無月は怪我もお構いなしに続けた。


「……昔、仕事で忙しくて構ってくれなかった母に反抗したくて、一日家出したことがあった。泊まる宛ても食う宛もない、本当の“子供の家出”さ。けどすぐに歩き回るのにも飽きて、公園のブランコで長いこと雨に打たれたんだ」


「なんの話ですか? いまさら私にマウントを取ろうったって、もう遅——」


「——そんな時、母が私を見つけて傘をさしてくれたんだ。仕事も放り出して、自分もずぶ濡れになりながら……私を捜してくれたんだよ。その時はじめて、私は母の愛情ってものを知ったんだと思う」


 水無月は虚空を見上げ、浅い呼吸とともに言った。


「誰かに傘をさすという行為は、私という人間にとって一番の愛情表現なんだ。それが本当はただの親切心でも、はたまた薄汚い打算でも……誰かのために差し出された傘には、少なからずその人の愛がこもっている。私も今は、誰かのために傘をさせる人でありたいと思うんだ」


「……っ、本当の本当になんの話なんですか!? もういいです、アナタはもう——」

 

 傘を手に飛び込もうとする菅笠。

 すると水無月はそれを止めるようにガンホルダーから一丁の拳銃を取り出し、彼女に向けた。



「——だから私は、傘が好きなんだよ」



 公安の“刑事”として水無月が発砲し、菅笠は咄嗟に傘を開く。

 反射的ながらも展開された菅笠のシールドは銃弾を弾いた——が、その水の膜は少しずつ厚みを失っていく。水無月はそれを見逃さなかった。


「そんなものっ……何発撃とうが無駄です!」


「本当にそうかな? 君、傘に十分雨粒を吸わせてないだろう?」


 一発、二発。水無月は迷わず傘に向けて発砲する。

 その間にも菅笠の傘は貯蓄した雨粒を消費していき、水の膜は質を下げ続けていく。そして、水無月が撃った三発目——


「君は、自分の〈AUS〉についての理解が足りていない」


 放たれた一発の弾丸。

 それは菅笠の構えた傘の表面を突き破り、彼女の右目を貫通した。菅笠の傘は既に、防御壁を維持するための水分を失っていたのである。


「……え?」


 菅笠は驚きのあまり、情けなくその一言を呟くことしかできなかった。


「お、おい……菅笠——!」


「君は自分の〈毒〉を十分に飼い慣らせなかった。よってこの勝負、君の負けだ——菅笠(すげがさ)霧奈(きりな)

 

 正確無比に放たれた四発目。

 それはまたしても菅笠の傘を突き破り、今度は彼女の額を貫通した。脳を貫かれ絶命する菅笠の隣で放心していた空蝉だったが、すぐに我に返りレインコートを広げ、


「お前、よくもぉおおおおおおおお!!」


 技名もなしに降り注ぐ集中豪雨。

 しかし、今の水無月の前ではそんな小技は通用しない。水無月は傘を広げたまま突進して雨粒を防ぎきると、傘を閉じて石突を空蝉の胸に向けた。

 

「くそッ……なんなんだよお前らはああああああ!?」

 

 死を目前にして、空蝉時雨は叫ぶ。

 水無月はそれに対し、微笑して答えた。



 

「——ANTIDOTE(アンチドート)。己を蝕む毒を飼い慣らし、行使する——それが私達〈ANTIDOTE(アンチドート)〉だ」



 

 水無月の構える黒傘が、再び水の膜を纏う。そしてその雨水は射出された石突とともに一本の〈水の槍〉となり、空蝉の胸をレインコートもろとも穿ち抜いた。傘の【中毒者(ホリッカー)】としての力は、すでに持つべき者の手に戻っていたのだ。


 空蝉が力なく倒れ、水無月は傘の血を振り払う。

 雨弾を食らい負傷していた錦は、彼女の後ろ姿を見てゆっくりと口を開いた。


「おかえり、班長」


 同じく負傷していた水無月が振り返る。

 脇腹の痛みすら振り払うように、彼女は微笑んだ。


「ああ、ただいま」


 菅笠は死に、水無月は再び傘の【中毒者(ホリッカー)】となった。

 そして今、錦が見つめる先にあるのは、傘の【中毒者(ホリッカー)】としても公安の刑事としても〈ANTIDOTE〉第一班の班長としても相応しい、堂々たる立ち姿であった。




          ◇◇◇




 柵の向こうで繰り広げられる銃撃戦。

 それを俺は、指を咥えて見ていることしかできなかった。


「おい……あれって確か、〈JAIL〉の百鬼(なきり)先輩じゃねーか?」


 柵にしがみついた沢田が言う。

 彼が言っているのは、おそらく今鬼灯と短機関銃で銃撃戦を演じているあの白髪の男のことだろう。戦い方を見る限りは相当の手練れのようだが、俺は面識がない。


「沢田……お前、知り合いなのか?」


「おう……たしか俺より前に、第二班に所属してた先輩だ。十和と同期だって聞いてっけど……」


 沢田より前のメンバーにして、伊織さんと同期。

 古株中の古株ということならあの実力にも納得がいくが、どういうわけか鬼灯の〈AUS〉が効いていないようにも見える。こっちは少し吐き気を催すくらいには酩酊しているというのに。


「手加減してんじゃないよクソガキ。もっと本気で来な」

 

「本気出したらまた暴走しかねないんですよ、こっちは。これで我慢してください」


 そんな軽口を叩き合いながら、二人は中距離で撃ち合いつつサバイバルナイフと短刀を交える。

 接戦ながら二人ともどこか様子見というか、時間稼ぎをしているような雰囲気すら見受けられた。鬼灯の方は俺たちに人を近づけさせないことが目的だからまだわかるが、百鬼先輩は何を待っているのだろうか。


「——沢田くん!!」


 と、そんなことを考えていた矢先、百鬼先輩が沢田の名前を呼んだ。沢田が肩を跳ね上げると同時に、彼は無線機らしきもので片手間に誰かと連絡を取る。


「君の〈AUS〉を使って、操神くんと……それからその女の子を守ってあげてください! できますか!?」


「え、あ……はい!! できます!!」

 

「それじゃあ頼みます!」


 百鬼先輩の指示を汲み取り、沢田が炭酸の泡を用いたバリアを張る。俺も沢田も彼が何をやろうとしているのかわからなかったが、数秒後、そんな疑問は文字通り水に流されることになった。


「——幻想法典・第三章二節!!」


 遠くから聞こえたのは、聞き慣れた少女の声。

 そしてすかさず、その魔術は発動された。



 

「——【大いなる海神の激流(マグナ・トーレンス)】!!」



 

 直後、百鬼先輩の背後から現れたのは大量の水。

 まるでダムの放流のごとく解き放たれたその大波は、通路を埋め尽くしながらこちらに向かってきた。百鬼先輩が棒立ちでその波に呑み込まれる中、鬼灯は珍しく焦ったように舌打ちをする。


「誰の能力だか知らないが、やりやがったね……!!」


 酒に酔っていた鬼灯はなす術なく、その大波に押し戻される。

 当然俺たちのいる檻にも波は流れ込んできたが、沢田の張った球状のバリアにより溺れることはなかった。大波の中を転がりながら、俺は微かに希望の光を見出し始める。


 荒ぶる激流の中、牢屋前の戦況はリセットされた。

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