第48話 班長命令
「──ん、誰か来る」
歩みを止めて早くも5分。
毒裁社のアジトの一室に潜んでいたのは第一班の女性陣3人。
水無月の覚えた違和感がために進むことをせず停滞していたのだが、ピット器官を働かせる錦が、何者かの接近を感知する。
「誰かはわかる?」
「そこまではわからない……」
「そうか。じゃあ、いつでも戦えるように準備しとかないと」
「──2人に言いたいことがある」
2人が、臨戦態勢をとろうと動き出そうとしたとき、傘を抱きながら気分が悪そうな──どこか喪失感を漂わせる水無月が口を開く。
「班長、安心してください。稀代の天才幻想魔術師であるこの我がいれば何の心配もない!」
「無理しないでね。わたしたちが頑張る」
「君達のことは十分信頼してる。話したいのは、戦闘じゃなくて私の〈AUS〉のことで──」
「来るッ!」
水無月が大事な話をしようとした時でさえ、敵は待ってくれない。
錦の言葉と同時、3人が隠れる部屋の扉のドアノブが下がり──
「めっちゃ失礼しまーす。って、誰か発見!」
「あ、傘!傘持ってる!私とお揃いですね!」
「傘……」
そこに現れたのは2人の男女。
室内なのにレインコートに身を包む海のように青い色をした髪を持つ男性と、室内なのに傘を差している空のような天色の髪を持つ女性の2人。年齢は、2人とも大学生くらいに映った。
「まさかの傘被り?めっちゃすげー!めっちゃ運命感じねぇか?」
レインコートを羽織る男性が、女性の持つ傘と水無月の抱く傘を交互に指さしてその偶然に喜びを感じている。が、それは偶然ではなく必然であることを傘を持つ女性自身の口から発せられる。
「違いますよ、運命じゃないです。アナタが傘を持っているのは、アナタが私の前身──要するに、私の先代の傘の【中毒者】なんでしょう?」
「え」
「どういうことですか、班長?」
その女性の言葉に驚きが隠せない錦と夜宵。夜宵の顔が驚きに染まり、錦がその女性と水無月の顔を交互に見ながら不安そうな顔をしている中で、水無月はやれやれと言わんばかりに、自分の頭頂に触れる。
「そういうことかー、おかしいと思ったんだよなぁ。だって私が私以外の誰かに正規の方法で傘の【中毒者】の『入れ替わり』を起こされるわけがないんだもん。安心したよ、毒裁社の仕業で」
この状況を理解できているのは、現・傘の【中毒者】である少女と、元・傘の【中毒者】の水無月の2人だけ。
「それで、君達は一体どれだけ人の感情を踏み躙れば満足するんだ?」
水無月の態度は一変して、その少女を睨みつける。
今、水無月はなんの能力も持たない一般人だ。傘の【中毒者】という称号を目の前の少女に奪われているから、水無月には〈AUS〉の一欠片だって残っていない。
それなのに、水無月はその場からゆっくりと立ち上がりその双眸でしっかりとその少女を捉えた。
水無月は、傘の石突をその少女に向けて言葉を紡ぐ。
「警視庁公安部公安第五課〈ANTIDOTE〉第一班班長、水無月怜。君達の名前は?」
「アナタに代わって傘の【中毒者】になった〈コドクモリ〉の菅笠霧奈」
「同じく〈コドクモリ〉の雨の【中毒者】、空蝉時雨」
傘を持つ女性は菅笠霧奈と、レインコートを着る男性は空蝉時雨と名乗る。
水無月は、その悪辣な簒奪者の名前を聞いて傘を握る力を強める。
「班長、〈AUS〉はないんですよね?それなら離れてて──」
「いや、私も勝負に参加する。これは、私の戦いだ」
この戦いは〈ANTIDOTE〉第一班の班長として、そして何より傘の【中毒者】だった者としての矜持のためにも、水無月は銃後にいるべきではない。
だが、現在無能力者に陥っている水無月が立つには危険すぎる場所で危険すぎる選択だ。
その危険さが夜宵はわかっているから、相手が初心者であっても、相手が初心者であるがこそ、忠告した。だが、水無月はそれを聞き入れるほど大人しい性格ではない。
彼女は怒っている。傘の【中毒者】を奪われ踏み躙れたのを見て、怒っている。
「──夜宵ちゃんは先に進んで。私と錦ちゃんの2人は、目の前の2人と応戦する」
「班長!?」
夜宵は、水無月のあまりに無謀すぎる判断に驚きが隠せない。
「残るのなら錦ちゃんじゃなくてせめて私!私なら、魔法を使って──」
「夜宵ちゃん。先に進んでくれ。私は夜宵ちゃんも、錦ちゃんもどっちも強いことを知ってる。その上での判断だ」
「「──」」
「それとも、2人は私のことを信じてくれないかな?」
笑えない状況に立たされている水無月が、無理をして笑う。
もう笑顔の【中毒者】は下関で倒した。ここに笑顔が好きな人はいない。
──が、その笑顔は夜宵の心に深く突き刺さる。
夜宵だってわかってているのだ。こうして水無月が笑うことの難しい状況に立たされていることをわかっているのだ。
それでいて、自分たちのために無理をしてくれているのだから夜宵達はそれに応えなければならない。
この笑顔は、班長命令だ。
「──そんなこと言われたら、何も言い返せないじゃないですか」
夜宵は、そう口にすると走り出す。
「逃がすわけないっしょ」
そう口にして動くのは、雨の【中毒者】空蝉時雨。そのレインコートを大きく翻しながら夜宵の動きを止めようとするが──
「じゃま、しないで」
「──ヘビ!?」
錦は、自らの腕を蛇に変貌させてそのまま空蝉の鼻をガブリと噛む。
「めっちゃ痛ぇ!」
そう口にして、空蝉は数歩後ろに下がる。
「ちょっと、1人取り逃しちゃったじゃないですか!」
そう口にすると、傘の持ち手の部分で空蝉の頭を軽く叩く霧奈。
「めっちゃ仕方ねぇだろ、急に蛇が出たらめっちゃビックリするって」
「それはそうだけど……」
敵2人がそんな言い合いをしている間に、錦は水無月の方へと移動する。そんな錦のことを、霧奈は目で追い、最終的には再度水無月の方へと視線が吸い込まれていく。
「一匹逃がしちゃったなら、二匹殺せば問題ない。北斗様は人質はもう2人いるからこれ以上必要ないって言ってたし、私の傘の【中毒者】としての立場の確立のために死んでもらいましょう」
「あぁ、めっちゃそうだな。めっちゃミスした分、めっちゃ殺してめっちゃ取り返す!」
「班長、じゅんびはできてる」
「──こちら、アマガサヘビ。〈ANTIDOTE〉を執行する」
水無月の、どこにも繋がっていない無線機への報告と同時、新旧傘の【中毒者】達の戦いが開始する。
勝利を掴むのはどちらの愛か──。
***
富士山頂で行われている〈ANTIDOTE〉による毒裁社のアジト侵攻。
毒裁社が予想していたよりも、〈ANTIDOTE〉によるアジト侵攻の決行が早かったため、集められた【中毒者】は10人だけ。
無能力者である雑兵は常駐させている数十人に追加で30人ほど連れて来ていたが、【中毒者】に関してはたったの10人だけなのだ。
そして、現在明らかになっている【中毒者】は9人。
三大幹部である2人──七星北斗に鬼灯酒樂。そして、ゴーガツ強襲からの続投である七刃と廻神絢聖。水無月怜の一点を対策するために用意された〈コドクモリ〉の空蝉時雨と菅笠霧奈。また、皇律対策のために用意された女米兵アンノボン・サンダルフォンと、辛木対策のために用意された本名が明かされていないガソリンの【中毒者】。そして、既に百鬼全一郎に殺害された十返舎八九の9人だ。
では、最後の1人はどこにいるのか。
ヘッドホンの【中毒者】である丁耳奏太は一体全体どこにいるのかと言うと──
「~~♪」
頭に付けたヘッドホンで音楽を流しながら、アジトの中を散策していた。
自分が戦力であること忘れて、アジトの中をぶらり1人旅。
戦闘のことなど考えず、好きな音楽を爆音で流しながら流れるように生きていた彼だが──
「──あ」
彼の視界の中に入ってきたのは、2人の男女。
1人は、背中から大量に人間の手を生やした奇形の男性であり、もう1人はその男の無数の手に抱かれるようにしている小柄な少女であった。
「発ー見。僕の獲物、見ーつけた」
ヘッドホンの中から流れてくるミュージックに合わせて、そんなことを口にする丁耳奏太。
そして、ポケットからスマホを取り出して、流れている曲のセットリストを変更する。
『──最高の再考と催行の再構築。退行の代行と大公の対抗馬。陰謀の辛抱と緊張のインポート。近郊の均衡と侵攻の進行度』
ヘッドホンから垂れ流されるBPMの200を超える曲。
BPMに合わせるように、丁耳奏太のスピードは速くなり──
ひとっ飛び。
丁耳奏太の瞳に、2人の男女──扉音三十三と華夢寧々の驚く表情が貼り付けられる中で、勝負は開始する。
「──ね!む!れぇぇぇ~~~~!!!!!」
咄嗟、精一杯に両手を伸ばし、叫んで丁耳奏太に睡眠欲を譲渡する華夢寧々。
ヘッドホンをしているため丁耳奏太にその絶叫は聞こえない。
──が、華夢寧々の絶叫はあくまで銃のトリガーのようなものだ。
叫び声がトリガーで、睡眠欲が銃弾。
たとえ、トリガーを引かれる瞬間を見ていなくとも銃弾が迫ってくることは変わりない。
だからこそ、華夢寧々の睡眠欲が丁耳奏太に移り、そのまま丁耳奏太は眠りにつく──
──と、思われたが。
「お前、今何をした?」
「──ッ!」
その言葉と同時、ヘッドホンから流れる音量に比例するように、強力になった膝蹴りが扉音三十三を襲う。ザムザは、無数にある手の数本でその膝蹴りをなんとか受け止めたけれども、その威力は大きく数歩後ろに下がっていく。
「はぁ……はぁ……私の睡眠欲が効いてない?」
「〈AUS〉を無効──いや、違うな。問題はあのヘッドホンだろうよ。爆音で効いてちゃ、眠れねぇ」
「──私は寝れる」
「お前だけだ」
──華夢寧々の〈AUS〉が通用しない今、ザムザと丁耳奏太の一騎打ちが確定する。
三十路2人。全盛期を終えた2人が、全身全霊で殴り合う。
***
──場所は変わって、富士山頂アジト外。
入口から最も遠い戦場は、ヘリコプターの残骸から数メートル離れたところだった。
「美味いか?人を危険な目に合わせて飲むガソリンは」
「人の幸せを願って飲むガソリンがあると思うんですか?」
そこにいるのは、敵同士の男女2人。
燃える炎のような赤髪を持つ、既にボロボロになりかけている男性──後輩には過去にその場のノリで『炎天の猛獣』などと呼ばれ、その二つ名も悪くないなどと思ってしまった26歳の壮年、辛木烈火と、その数メートル前に立っている、ヘリコプターのガソリンタンクから直でガソリンを飲んでいる黒髪の女──自称:ガソ鈴子。
ガソ鈴子などというものが本名な訳がないし、これは芸名・ペンネームのようなものである。
ヘリコプターの中からは確認できなかったが、ガソ鈴子を自称するその女性は、白衣を身にまとっていた。
ヘリコプターにしがみついたためにボサボサになった黒髪を乱雑に首を振り後ろに持っていきながら、ガソリンを飲んでは軽口を叩く。
「思うんですよ。やっぱ、コーラとかオレンジジュースとかって飲めば美味しいじゃないですか。私だって普通の味覚だから美味しいと思いますよ。美味しいんですよ、美味しくないって人は炭酸が苦手な人か柑橘類が苦手な人なんですよ。まぁ、ある程度大衆は好きなんですよ。でも、それって頽廃的なんですよね。アイデンティティにならないんですよね。いや、これ先に説明しておくんですけど。私にとってガソリンを飲む行為って広義的な意味でアートなんですよ。彫刻家が木や石を掘って、画家が絵具で白いキャンパスを引き裂いて、小説家が思いと血反吐を練り混ぜて言葉にすると同じように、私もガソリンを飲むことで私にとってのアートを表現してるんですよ。そして、ガソリンを飲むということで私のアイデンティティを確立しているんですよ。いないでしょう?ネットのどこを探してもガソリンを飲む人なんて。メントスコーラは嫌と言うほどいるけど、メントスコーラを口の中でやる人もいるけど、コーラを一気飲みする人もいるけど、ガソリンを飲む人はいないですよ。同じ液体なのにガソリンを飲もうとする人はいないんですよ。それっておかしいと思いませんか?やっぱ、囚われているんですよ。固定概念に。ガソリンは飲むものじゃなくて車を動かすものだ、って。コーラは車を動かすものじゃなくて飲むものだって。あ、ONE PIECEにでてくるサウザンドサニー号は別ですよ?あれは漫画の中であってフィクションなんで。漫画という創作物の中で、創作・表現を円滑に行うために必要な舞台装置なので。少し話がズレちゃったんで話を戻しますけど、ネットのどこを探してもガソリンを飲む人はいないんです。探してみても、歌詞の中に『クレイジーな人』みたいな例でしか出てこないんですよ。音楽家も、ガソリン=飲み物ではないという方程式に囚われちゃってるんですよ。だから、ちょっと嫌な気持ちなんですよね。別に私はお前ら音楽家と同じ程度のクレイジーだってのに。お前ら小説家と同じ程度のクレイジーだってのに。私はガソリンを飲んで、己の唯一性を、アイデンティティを表現すると同時に、その突飛な行為によって己の表現したい芸術を表しているんですよね。絵で言えば絵柄みたいな感じの自己性を、この世で私1人しかやっていないガソリンを飲むという行為で、強制的に引き出してることになっているんです。だから、美味しい美味しくないという二元論は大きな問題じゃないんですよ。あ、味としては美味しいですよ。クソまずかったら飲み込めませんし、口に含むの躊躇っちゃいますし。でも、その味ってのは大切じゃなくて、私が表現する内容が大切なんですよ。世界で唯一、私だけが行っているガソリンを飲むという方法で、私と私の思想を表現している、その内容が大切なんですよ。わかりましたか?ですから、私のガソリンを飲む意義ってのをしっかりと理解してください──ってのを表現するための一飲み」
長々と語った後に、喉を潤そうと言わんばかりにガソリンを飲むガソ鈴子。
その発言量は、軽口ではなく小論文に達していたが、全ては「ガソリンを飲む」という行為で表現されている。
「あ、読み飛ばしてるのバレてますからね。画面の前のお前」
「こっちだってお前の思想を聴きたいわけじゃねぇんだわ。息継ぎもほとんどせずにだらだら喋りやがって」
そう口にする辛木だが、彼だって最後までその話を遮ることはしなかった。
話が長いやつの話を途中で遮ると怒られる──というのは、昔からの経験則だから、つい警戒してしまったのだ。
「──まぁ、いい。そっちが自分勝手にガソリンを飲むってのがアートってんなら、俺も俺にとってのアートがある」
「ほう、それは?」
「こうやって、炎を吐いて毒裁社を潰すことだよッ!」
「──〈AUS〉利用による自己性の表現と同時に、炎の色や形による己の表現!素晴らしいアート!私も応戦しなければ!」
その言葉と同時、辛木の吐く炎にぶつかるのは、ガソ鈴子の吐く炎。
炎と炎がぶつかり、波のように大きく跳ね上がるのを見て、辛木は喫驚する。
「お前も炎を吐けたのかよッ!」
「炎を吐けたのか──って驚くも何も、私の〈AUS〉は炎を吐くことですけど」
「──厄介な相手を用意してくれやがったな、あのクソガキ!」
炎vs炎。
タバスコvsガソリン。
辛木の前に立ち塞がるのは、自分よりも強い炎を吐くことができるガソリンの使い手──ガソ鈴子であった。
──と、2人の白熱する戦闘を、墜落したヘリコプターの裏に隠れながらこっそりと見物していたのは、公安の非戦闘員、乗富であった。
ヘリコプターが墜落してしまい、安全圏である上空に逃げることができなくなった彼は、こうして隠れ事態が収拾するのを見ていることしかできない。
──と、そんな彼に声をかける影が1人。
「爺さん、1人で大丈夫か?」
その聞き馴染みのない声を聴いて、乗富はその声のする方を振り返る。すると──
「──熱ッ!」
乗富の額を焼くのは、1本のタバコ。乗富は逃げるように大きく尻もちをついて倒れる。彼の視線の先に立っていたのは──
「──残念だったな、爺さん。僕がここに来ちゃったってことはもうお前は助からない」
──そこに立っていたのは、タバコを持つに相応しくない年齢の子供。
「弱い者いじめは得意科目だぜ」
そう口にして、公安にいる大人達の誰よりも下衆な笑みを浮かべる彼こそが、毒裁社の三大幹部の1人──七星北斗であった。




