第45話 ブーメラン
銃声。それから、爆発音。
こんな地下の牢屋にまで響いてくるそれらの音に、俺と沢田は顔を見合わせた。外では間違いなくただならぬ事態が起きている。そしてここを攻撃してくる輩と言ったら、思い浮かぶのは彼らしかいない。
「なあ操神、これって……」
「ああ……夜宵たちが来てくれたのかもしれない」
確信を持つにはまだ早い。が、希望は見えてきた。
俺たちが渡した数少ない情報から、公安はどうにかしてこのアジトの場所を突き止めたのだろう。いや、最悪公安による救助でなくとも、誰かしらがこの場を掻き乱してくれれば俺たちが脱獄できるチャンスは生まれる。
「俺たちの仲間が来てくれたみたいだぜ、ナナヨちゃん。一緒にここから逃げよう、な?」
怯えたように沢田の腕にしがみつくナナヨを、沢田は持ち前の明るさで元気づける。まだ水無月さんたちが来てくれたとは限らないが、そんなことで口を挟むのは野暮というものだ。
「——! そうだ、夜宵の魔法で……」
居ても立っても居られなくなった俺は、例の魔法のことを思い出した。もし夜宵がここに来ているのなら、俺との交信を試みている筈だ。
今は信じるしかない。自分の仲間たちを。
「「——【共振する魂の連鎖】」」
確かに、触れた。
あのときと同じ、この世のどこかにある夜宵の魂の輪郭に。だがあのときとは違ってその感覚は鮮明で、互いの距離はさらに近く感じられた。
*遊翼! 聞こえる!? 聞こえてるなら返事しろ、我が盟友!!*
夜宵の澄んだ声音がはっきりと聞こえる。
というか、厨二病状態かそうじゃないのかはっきりしてくれ。
*聞こえてるよ。夜宵、お前今どこにいるんだ?*
*遊翼のくれた情報から辿り着いた富士山のアジトの近くだよ。でも今ちょっとヘリが墜落しちゃって、班長たちと一緒に徒歩でアジトに向かってる*
*墜落って……夜宵、そっちは無事なのか!?*
*うん、大丈夫。敵の【中毒者】の相手は辛木さんに任せて、私たちは全速力でそっちに向かってる。今すぐ助けに行くから、待ってて!*
力強い夜宵の言葉に、確かな希望が見えてくる。
これでようやく命懸けの監禁生活から解放されると思うと、胸の奥から込み上げてくるものがあった。しかしまだ、喜ぶにも涙を流すにも早すぎる。夜宵たちとうまく合流して、そのあとは——
「——どうやら、お迎えが来ちまったみたいだね」
その声が聞こえた途端、掴みかけていた希望が途絶えた。
脈拍が速まり、俺は無意識にそちらに顔を向けていた。
*遊翼、どうしたの? ねぇ、そっちの声が——*
ノイズがかかったように夜宵の声が途切れ、彼女の輪郭すらもわからなくなる。おそらくは俺が心の余裕を失ったせいだろうが、今は致し方ない。
死神がまた、俺たちの前に現れたのだから。
「公安の奴らがヘリで強襲を仕掛けてきやがった。まったく、つくづく命知らずな連中だよ。たかがあんたたち二人のためにここまでするとはね」
「ったりめーだろ! 皇さんたちは、俺らのことを見捨てたりしねぇ!!」
「はッ、そいつはまた面倒な絆だ」
鬼灯は忌々しそうに沢田にそう答え、すぐそばにあったスツールに腰を下ろした。片手に握られた日本酒の瓶から俺が嫌な予感を覚えていた矢先、鬼灯は口を開く。
「まあいいさ。私はここで——あんたらの『子守り』をしてやる。誰かがあんたらを連れ去ろうとするもんなら、そいつには私の酔いと鉛の弾をセットでプレゼントしてやるまでだ」
そんな予感はしていたが、やはり鬼灯はここで一人最後の砦として俺たちを見張るつもりなのだろう。戦力の分散の観点からしても、彼女の判断は正しい。俺が向こうの指揮官だったとしても多分そうしている。
鬼灯の〈AUS〉は厄介だ。
それに能力を使わずとも、彼女は公安メンバーの大半を十分相手取れるくらいの戦闘能力を備えている。俺が考える限りでの話だが、〈ANTIDOTE〉のメンバーだけで鬼灯をなんとかできるとは思えない。
(でも……信じるしかない)
望みが薄くとも、俺たちにできるのはそれだけだ。
今はただ、仲間達の力を信じる他ない——。
◇◇◇
「こちらコールサイン33、敵のアジトに突入した! 現在敵構成員と交戦中!!」
無線越しにそう告げるのは、〈JAIL〉所属の千手観音の【中毒者】、 扉音三十三。大柄な彼は文字通り千本近くの「手」を出現させ、迫りくる非【中毒者】の構成員たちを手数だけで薙ぎ倒していった。
が、そんな快進撃も長くは続かず。
「——うおッ!?」
通路の曲がり角を曲がった矢先、彼の頬や腕を銃弾が掠める。
眠ったままの華夢を背負ったザムザは引き返して壁に身を隠し、銃弾の放たれた方を窺った。ザムザを待ち構えるように通路を塞いでいたのは、機関銃を持った三人の黒服。通路の長さとザムザ自身の的としての大きさを考えれば、強行突破は賢明でないという状況だった。
「流石に一筋縄ではいかねぇわな……」
無駄な消耗を避けるべく彼は逡巡し、そして、
「おい寧々、出番だ! あの銃持ち三人を眠らせてくれ!」
ヘッドホンで音楽を聴きつつ仮眠をとっていた華夢は揺すり起こされ、不機嫌そうに目を擦る。しかし彼女も〈JAIL〉としての任務という名目上、働かないわけにもいかない。
「んん……わかったよ。しょうがないなぁ」
「よし、じゃあ合図で飛び出す。弾は俺がなんとかするからその間に頼む! 行くぞ——いち、にの、さんッ!!」
合図とともに、華夢を抱えたザムザは通路へ踊り出た。
迫りくる銃弾を彼の腕が弾いていくなか、眠りから一時的に覚醒した華夢は正面にいる三人の黒服の姿を捉え、念を送るように両手を伸ばした。
「すぅ……」
そして大きく深呼吸を挟み、
「——ね! む! れ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
精一杯に叫びながら、華夢は自身の持つ眠気——もとい“睡眠欲”を男たちに飛ばした。すると銃を構えていた男たちは強烈な睡魔に襲われ、銃を手放して膝から崩れ落ちていく。深い眠りについたのか、しばらく経っても彼らが目を覚ますことはなかった。
これが睡眠の【中毒者】である華夢寧々のもつ〈AUS〉——「自分の眠気を相手に移す能力」である。
「おっし、ナイスだ寧々!」
「づ、づがれだ……」
「……いつも思うけど、お前のAUSってなんか半分くらい力技じゃねぇか?」
「う……うるざい……早く行って……」
謎の息切れを起こす華夢だったが、悠長に彼女の回復を待っている暇はない。ザムザは銃撃のなくなった通路を真っ直ぐに進み、操神たちの待つ方へ急行した。
◇◇◇
6時34分。
アジトの入り口付近にて、攻防は続いていた。
「……っ、おかしいやろ! なんで当たらんねん!?」
絶叫するのは、アジト外の防衛を担当していたブーメランの【中毒者】、十返舎八九。自らのブーメラン操術を示さんと作戦に参加していた彼だったが、その自信はいつしか戦慄に変わっていた。
八九の投擲するブーメランは、無駄のない軌道を描いて正確に百鬼全一郎へと向かっていく。——が、彼の体に当たる直前、それは不自然な曲がり方をして八九のもとへ戻っていった。そこにまるで、人智を超えた絶対的な力が働いているかのように。
「無駄ですよ。何回投げても俺には当たりません」
愛用のP90で絶えず銃撃を加えながら、百鬼はじわじわと八九を追い詰めていく。その左目は澄んだ青に色を変えており、ヘリ搭乗時と同じく十字の模様が刻まれていた。
「あなたの投げるそのブーメランは、『絶対に』俺には当たらない。これは俺と世界の間で定められたルールですから」
仁王立ちでブーメランを弾き返しながら、百鬼は言った。
——絶対律操作。
それこそが、完璧の【中毒者】百鬼全一郎の持つ〈AUS〉にして、彼の完璧な任務遂行を支えているピースの一つである。その能力は簡潔に言えば、彼自身の言う通り「世界と自分の間で絶対に破られない一つのルールを設ける」というものだ。
さらに具体化して言えば、彼は「〇〇は絶対に△△する」という正の絶対律と、「〇〇は絶対に△△しない」という負の絶対律をそれぞれ発動・切替を繰り返しながら戦闘しているのである。今現在を例に挙げれば、「十返舎八九の投げるブーメランは絶対に百鬼全一郎に当たらない」という負の絶対律が発動しているといえよう。
「俺の決めたルールは完璧かつ絶対なので、世界のどんな現象にも因果にも左右されないんです。まあ俗っぽく言えば、『因果律の捻じ曲げ』ってところでしょうか」
「何が捻じ曲げやクソボケぇ……とりあえずその癪に障る喋り方やめろや!!」
「あなたこそ、そのエセ関西弁やめたらどうですか?」
「エセちゃうわ! 純名古屋人や!!」
「名古屋は関西じゃないでしょ……」
百鬼は悠々とリロードしながら、能力によってブーメランの軌道を書き換え八九のもとへ送り返していく。しかし八九も、そんな不毛は繰り返しをよしとするほど無能ではない。
「チッ……しゃあない、出し惜しみはできへん——」
物陰に身を隠しつつ、八九は懐からもう一つのブーメランを取り出して百鬼に向け投擲した。百鬼の目はもちろんそれを見逃すことはなかったが、能力による軌道の捻じ曲げの代わりに、抜き去ったサバイバルナイフで弾き返す。
その動作一つで、八九は確信した。
「ハッ、やっぱりや!! お前の能力、俺のブーメラン一個にしか発動してへんな!!」
彼の言葉に、百鬼は反応しない。
が、その読みは当たっていた。
百鬼の絶対律には、とある制約がある。
絶対律の「主語」にあたる部分にとれるのは、人間ならば一度彼が触れたことのある者、物体ならば一度彼が十秒以上視界に収めたことのある物に限られる——という制約だ。現在で言えば、八九の投げた二つ目のブーメランは百鬼に着弾するまでに十秒以上経っていなかったがために、「八九の投げたブーメラン」という主語の対象にはとられなかったということになる。
新たなブーメランが絶対律の対象に取り直されるまでに生まれる、百鬼全一郎のわずかな隙。それを見抜いた八九はコートを広げ、その中に仕込んだブーメランを次々に投擲していった。
そして出し惜しみすることなく、彼はついに〈AUS〉の発動を解禁する。
「さあさあさあ! 全部避けてみせろや、完璧超人!!」
四方八方から、無数のブーメランが襲いくる。
百鬼は冷静にそのいくつかを撃ち落としていくが、ブーメランの【中毒者】である八九が〈AUS〉を用いて引いた変則的な軌道は、もはや彼にも予測できなかった。
「自分で投げたブーメランに後付けで軌道を引く!! それが俺のAUSや!!」
前進を諦め、十秒以上経ったブーメランたちを絶対律の対象として脳内で処理しながら、百鬼は被弾を避けるべく弾幕を張る。しかしこのまま劣勢に立たされれば、いくら完全勝利を目指す彼でも被弾および負傷は避けられない。これ以上の時間を稼がれるのは悪手を判断した百鬼は、同じく〈AUS〉のもう片方を解禁した。
【正の絶対律・「百鬼全一郎は絶対に十返舎八九に触れる」】
百鬼の赤い右目に、十字が刻まれる。
それと同時、彼はブーメランを引きつけながら八九のもとへと突貫した。彼が八九に触れるという「結果」は絶対律にて確定したが、そこに至るまでの最低限の原因は確立されていなければならない。オートとマニュアル両方でブーメランを弾き返し続け、百鬼は八九の目前まで迫った。
「——!? なんのつもりや、お前……ッ!?」
八九は咄嗟に、手にしたブーメランを投げつける。
しかし次の瞬間には、その後ガラ空きになった彼の右手に百鬼がハイタッチの要領で触れていた。
「——終わりです」
それは短くも冷酷な、死の宣告。
百鬼の勝ちはその時点で確定していた。
【正の絶対律・「十返舎八九は絶対に自分が投げたすべてのブーメランに対して自分の頭に突き刺さるよう軌道を引き直す」】
八九の〈AUS〉が百鬼の絶対律によって強制的に発動し、彼は死を直感した。百鬼は彼の能力の強力さを逆手に取り、逆に止めの一撃として利用してみせたのだ。
「ま、待て……待てやぁああああああああああああああッ!?」
一斉に軌道を変え、一直線に自らの頭部へ突き刺さらんと向かってくるブーメランたち。いくらブーメラン操術を極めた彼でもその全てを二本の腕だけで受け止められるはずもなく、迫り来るそれらに蜂の巣にされ、呆気なく絶命した。
それはある意味では、ブーメラン好きの彼に相応しい最期だった。




