第41話 フロッピー
失敗作。
そんな非情な烙印を押された幼い少女が、俺と沢田の後ろで泣きじゃくっている。服装は薄汚れた白のワンピース一枚、年齢は10歳かそれ以下に見えた。鬼灯の話を信じるなら、この子はあの〈コドクモリ〉における失敗作の一人であるとみて間違いないように思える。
だが、まだ信用するには早い。
なによりこの子からは、わずかに血の匂いがする。
(外見だけで騙すのは簡単だ……この子だって鬼灯の部下って可能性も——)
俺が慎重に少女の様子を見ていたその時。
沢田は無言でその子のもとに歩み寄り、優しく頭を撫でた。
「なあ、大丈夫か? そんなに泣いてどうしたんだ?」
「——っ、よせ沢田! 鬼灯の刺客かもしれないだろ!」
「けどよ……そんなふうには見えねぇだろ?」
たしかに、その少女からは敵意のようなものも一切感じなかった。服の構造からしても、俺たちを殺すための武器を隠し持っているとは考えづらい。しかし、鬼灯が彼女をここに連れてきたこと自体なんらかの意図があるはずだ。
疑ってかかっていた矢先、少女がようやくその口を開く。
「もう……あそこには戻りたくない……」
「あそこって、コドクモリのことか?」
「うん……あんな場所、わたしもう嫌なの……」
沢田が顔を上げ、視線で訴えてくる。
話くらいは聞いてやってもいいだろ、というふうに。あまり敵方の人物に肩入れしないほうがいいとは思いつつも、俺は黙って沢田に対話を続けさせた。
「落ち着いてからでいいから、お兄さんたちにコドクモリであったことを話してくれねぇか? えっと……そうだ、君、名前はなんていうんだ?」
「名前……? 番号のこと?」
「——番号?」
思わず俺も口を挟んでいた。
反応した少女が涙目のまま、こちらを見上げる。
「うん。あそこではみんな、番号で呼ばれてたから……。名前を名乗れるのは、【中毒者】になってあそこを出られた人だけ……」
まるで刑務所のような管理実態に、少しばかり悍ましさを感じた。
けれど見方を変えれば、そのシステムは【中毒者】を目指すためのモチベーションを子供たちに維持させるものとも言えるだろう。妙に合理的で気味が悪い。
「なるほどな……。ところで、君は何番だったんだ? ああ、嫌だったら別に言わなくても」
「74番。HoK-74。……それが、私の最後の番号」
「74、か……。それなら、ナナシ——いや、“ナナヨちゃん”って呼んでもいいか!?」
「おい、沢田……」
「いいだろ別に。せっかくこうして外に出られたんだから、名前があってもいいはずだ。な!」
沢田の人懐こい笑みに、少女も少し頬を緩めて小さく頷いた。なんだか奴らの思惑通りにことが進んでいる気もするが、俺もここから彼女を邪険に扱うのはかなり躊躇われる。このままコドクモリの内部事情を探る方向にシフトしたほうが良いかもしれない。
「じゃあナナヨちゃん。わかることだけで良いから、お兄さんたちに教えてくれ。ナナヨちゃんはコドクモリでは、なんの【中毒者】を目指してたんだ?」
「いろんなところで『訓練』してたから、全部は言えない……。けど、最後は……」
そこで一度躊躇うように言葉を区切り、ナナヨは言った。
「——殺しの、【中毒者】」
俺と沢田の反応がシンクロする。
こんなに無害そうな彼女の口から、そんな物騒な言葉が出るとは思っていなかった。しかしそこから辿れば、彼女のコドクモリへの拒否反応の理由も大方推測できるように思えた。
(Holic of Kill……管理番号はその略語か)
「で、でも違うの……! わたしはそこでの成績も全然だめで……それどころか、動物たちを殺すことも全然好きじゃなくって……っ!」
「動物たちを、って……そんな訓練があったのか?」
「うん……犬も猫も、鳥も豚も魚も虫も……出されたものは全部殺さないとご飯がもらえなかった。わたしはそれが本当に嫌で……もう何も殺したくなくって、ずっと……逃げたいって、思ってたの……!」
涙ながらに語られたその経験を聞いて、俺は戦慄した。
いくら世界の変革のためとはいえ——毒裁社はこんな仕打ちを年端もいかない子供たちに強制しているというのか。この子のような存在が生まれることを、奴らは革命のための必要経費とでも考えているというのか。
「腐ってる……」
情に流されるなんて俺らしくもないが、ただ純粋に、奴らのやっていることの異常性を再認識した。国の仕組みが腐っているなどとほざいている毒裁社だって、やっていることは大概じゃないか。
「沢田。その子を連れてここから逃げるぞ」
拳を握りしめ、決意を固めた。
協力なんてもってのほかだ。
こんな腐った組織、俺は信用するわけにはいかない。
◇◇◇
天喰と操神の交信から十七時間後
警視庁本部庁舎B3階 公安第五課作戦本部
『遅くなってすまない。集まっているな、諸君』
合成音声のような低い声が、スピーカー越しに響き渡った。
操神と沢田を除いた公安部公安第五課〈ANTIDOTE〉のメンバーたちを前に、彼らの指揮官である秘匿の【中毒者】は重々しく語り始める。
『つい先程、調査班による報告が届いた。天喰君……ひいては操神遊翼の提供した情報の通り、富士山の山頂付近で毒裁社とみられる団体の活動が確認されたそうだ。我々はここを操神遊翼・沢田泡音両名の拘束場所とみて、奪還作戦にあたることとする』
「マジで富士山にあったんだ、アジト……」
ポッキーを口に運んでいた乾遥は、ただ純粋に驚きを口にする。他のメンバーもその報告に安堵や決意の表情を浮かべつつ、モニターに映る男の話に静かに耳を傾けていた。
『今回の強襲作戦には、諸君らと〈JAIL〉所属の5名を含めた計13名であたってもらう。作戦概要については後ほどそれぞれの端末に送信する予定だ』
「JAILから5人か……まあ、百鬼が加わるっつーなら不安はないわな」
『諸君らにはそれぞれ、〈JAIL〉のメンバーが道を踏み外すような事態が起こらないよう留意してほしい。今回の作戦は、一度道を誤った失敗作たちが日の目を見ることのできる数少ない機会なのだからな』
「……ケッ」
辛木が一人、男の皮肉に対して悪態をつく。
皇律もまたその発言に眉を顰めていたが、反応はその程度に留めていた。各々が来たる奪還作戦に覚悟を固める中、男はその場を引き締めるように語気を強めて言った。
『出立は六時間後だ。それまでに各々、作戦準備を整えておいてほしい。それでは諸君——健闘を祈る』
通信が途切れ、数秒の静寂が降りる。そして彼らは六時間後に迫った作戦開始に向けて、慌ただしく動き始めるのだった。
・・・
それからまた二時間後。
作戦室の喧騒から逃れるように喫煙スペースに足を踏み入れたのは、修繕した黒傘を手にした水無月だった。彼女は咥えた煙草に火を点けると、溜め込んだ疲労を洗い流すように煙を吐いた。
「久々に激務だなぁ、これは……」
物憂げに独りごちつつ、水無月は目を閉じる。
すると、そんな彼女のもとにくたびれた足音が近づいてきた。白衣を羽織ったその男は、喫煙スペースにいた水無月を見て意外そうに目を見開く。
「……おう。久しぶりだな」
毒嶌淳一朗。
廻神絢聖ら毒裁社による襲撃の現場にも居合わせていた研究者を前に、水無月は特に驚きもなく振り向いた。
「ああ、生きてたんですね」
「勝手に殺すな」
水無月の冗談に淡々とそう返して、毒嶌も煙草に点火した。気まずい沈黙が流れ始めるなか、水無月は彼の表情を垣間見つつ口を開く。
「……毒裁社の襲撃を受けて子供たちが危険な目に遭った上に攫われて、その現場から一人逃げおおせた自分のことが若干後ろめたく感じる——って顔してますね」
「わかってるなら言わんでくれ。あんまりおっさんを虐めるもんじゃない」
「ははっ、図星でしたか」
薄い笑みを浮かべ、揶揄うように水無月は言う。
それから指で煙草の灰を落とすと、改まった口調で続けた。
「別に私も忘れたわけじゃないですよ。公安におけるあなたの〈AUS〉の有用性も、あなた自身の致命的なフィジカルの弱さも。今回あなたが狙われなかったのは、むしろ奇跡といえるくらいです」
「ああ……そうだな。俺も今、どうして自分が生きてるのか不思議でならない。真っ先に俺をぶっ殺さないとは、むこうの指揮官は揃いも揃って無能らしいな」
毒嶌は忌々しそうに、ため息と共に煙を吐いた。
一服を終えた水無月は無言で彼の前を通り過ぎ、喫煙所をあとにしようとする。が、その去り際に毒嶌は彼女の名を口にして呼び止めた。
「今から言うことは、単なる格好悪い中年の独り言として流してほしいんだが」
そう前置いて、毒嶌は言った。
「死ぬなよ、水無月。これ以上お前らに死なれたら、一人で飲む安酒がますます不味くなる」
毒嶌のその言葉に、振り返った水無月は可笑しそうに笑みをこぼす。
「死ぬほどカッコ悪いですね、その台詞」
そう笑い飛ばした一方で、水無月は黙ってスーツの襟を正した。愛用の黒い傘を握りしめる水無月の瞳に、今静かに決意の炎が灯る。
「言われなくても帰ってきますよ。全員でね」




