第39話 打開策
「なぁ、俺たちは何を信じればいいんだ?」
沢田が独り言のように吐き捨てる。
俺は沢田と背中合わせに座ったまま、鎖の繋がれた足首に目を落とした。鬼灯からの話が終わった以上、向こうも生半可な拘束をする必要が無くなったのだろう。少なくとも、俺たちが本気で仲間に加わったと認められない限りはこのままだ。
「あのババアの話が本当なら……俺たちは〈ANTIDOTE〉のことも信じ切っちゃいけないってことだろ? 確かに、【中毒者】になってから人生変わっちまったって思うこともけどさ……俺、班長たちが完全に悪い人だなんて思えねぇよ……」
あのコドクモリという場所から、俺たちはまた別のアジトに移動させられた。鬼灯が言っていた通りなら、嘘がバレた俺と七星との衝突を避けるためだ。立て続けに監禁場所が変わったことで、こちらからの現在地の特定もかなり困難になっている。
「なあ操神、お前はどう思う? 俺たちはどうすればいいんだ?」
鬼灯の姿が見えない以上、あの時のように軽く野放しにされることはもうないと考えていいだろう。この狭い檻の中で何とか打開策を見つけて脱出するしかない。公安の助けを待つのもありだが、生きているかすらもわからない仲間を無闇に探し回るのは公安側からしてもリスクが大きすぎる。このまま見捨てられる可能性も考慮に入れておくべきだ。
「おい、答えろよ——」
部屋につけられた防犯カメラは一つ。
見張りはあの七刃という少女一人。
あまり大きな動きを見せれば確実に怪しまれる。そんな中での脱出を目指すためには、やはり何らかの手段で外部との連絡を取るしか——
「聞こえてんだろ!? なぁ、なんとか言えよ操神!!」
沢田に胸ぐらを掴まれ、思考が打ち切られた。
彼の目は案の定、強い不安と迷いに呑まれている。今こいつに冷静になれなどと言っても無駄だろう。長期の監禁でこいつのメンタルがやられることも考えておくべきだった。が、もう遅いか。
「うるせぇな。今考え事してたんだよ」
「っ——んなことより俺の質問に答えろ!! 俺たちはこれからどうしたらいいんだよ!? 誰を信じて生きてけばいいんだよ!!」
「そんなの、俺一人で結論を出せる問題じゃない。明確な答えがある問題じゃないんだよ。考えるだけ無駄だ」
鬼灯の話を聞いて、俺も思うところがなかったわけじゃない。
この国の【中毒者】の扱いに限れば、鬼灯たちの考え方は至極真っ当だ。【中毒者】になっただけで自由に生きる権利を奪われるという仕組み自体、現代社会において重大な欠陥といえる。感染拡大を防ぐために感染症患者を強制隔離するのと同じだ。俺だって水無月さんたちと出会った時期が一つずれていれば、公安についていくことを拒んでいたかもしれない。
しかし、【中毒者】の存在を公にできない政府の思惑も理解できる。
俺たち【中毒者】はいわば特殊能力者だ。「あるものに中毒になるほどのめり込めば、人は特殊能力を得られる」などという事実を政府が認めてしまえば、それは即ち自分たちよりも優れた人間の存在と、その発生を実質的に認めることにもなる。政府によって権利を認められた【中毒者】たちが、自分たちよりも劣る人間たちが運営する世界へ不満を持たないという確証はないだろう。
「鬼灯の言っていたことはもっともだ。この国の仕組みは腐ってる。……けど、これは一部の人が動いたところで解決できる問題じゃない。誰が正しいとか、何が正義とか、そんな単純な話じゃないんだよ」
「そんな……じゃあ、俺は」
「俺たちは、自分の信じるべきと思ったものを『正義』と信じるしかない。公安につこうが毒裁社につこうが、それはどの道正しくて……どの道間違ってる。そういうことなんだと思う」
沢田は腕に込めた力を弱め、俺の服から手を離す。
こいつの気持ちは今、俺よりも強く揺らいでいる。だがそれも無理はない。こいつは俺よりも前から〈ANTIDOTE〉にいて、俺よりもずっと公安のことを信じ切っていたのだから。
「正義の反対はまた別の正義、ってやつか……?」
「言い方を変えればそうだ。鬼灯たちのやろうとしてることも、見方を変えれば間違ってない。だからこの問題は複雑で面倒なんだよ」
長い鎖を引きずりながら、俺は傍にあった簡素なベッドに腰掛ける。
これ以上、答えのない問題について迷っている時間はない。俺と沢田は早いところ、自分たちの取るべき選択肢を決めなければいけない。
「その上で……沢田、俺からも一つ質問させてくれ」
沢田が顔を上げる。
それは、俺たちに唯一残された切り札だった。
「もし俺が、一つだけ外部との連絡が取れる手段を持っていると言ったら……お前はどうする?」
◇◇◇
同刻、山口県下関市。
関門橋付近での戦闘は終結し、駆けつけた県警たちが慌ただしく後始末に追われていた。そんな中で、今回の事態を引き起こした張本人である笑顔の【中毒者】——九尾笑狐は未だ薄く笑みを浮かべ、
「あーあ……こんな髪短くしたの、久々っすよ」
手錠を用いて柱に拘束された九尾は、夜宵の炎で焼き切られた金髪を見て嘆きの言葉を漏らす。形勢逆転による敗北を噛み締めつつも、その表情には未だ奇妙なほどの余裕が見えていた。
「ショートヘアも似合ってるよ。ナインテールさん」
そんな九尾を、水無月は冷徹に見下ろす。水無月の持つ傘は先の戦闘で破損してはいたが、彼女自身の負った傷は目立つほどではなかった。黒のスーツについた汚れを手で払いつつ、彼女は高圧的な態度で九尾に詰め寄る。
「それはそうとして……操神君たちの誘拐の件、君はどこまで知ってるのかな?」
「操神ぃ? はは、誰っすかそれ」
その瞬間、九尾の顔をヒールが掠めた。
水無月は柱に片足をつけたまま、冷たい目で九尾を見つめる。無言の圧に九尾が冷や汗を流す中、水無月はひとつ声のトーンを落として訊ねた。
「君の冗談はもう聞き飽きたな。私たちには時間がないんだ——捕虜として捕まっている少年二人について、知っていることを洗いざらい吐け。さもなくば、私も穏便に尋問できる保証はない」
問い詰められた九尾は、しばらくの間無言を決め込んだ。そして綱を渡るかのごとく慎重に、言葉を捻り出す。
「……本当に知らないっすよ。俺っちはここで暴れて、あんたら公安の気を引けと命令されたまでっす。それ以上のことは本当に何も——」
「ふむ……そうか。まあ君の口を割らせるだけなら、その手のプロに任せておく方が合理的だな。たとえ君が何も知らなかったとしても、君自身の身柄は捕虜交換の材料にもなる。せいぜい自分のしたことの重みを噛み締めておけ」
「……ッ」
水無月は九尾の身柄の移送を指示し、いくらか威勢の削げ落ちたその背中を見送った。夏の湿気を帯びた潮風を身に浴びながら、水無月は沿岸の歩道を進んでいく。
その先にいたのは、魔術師としての力を取り戻した神童——天喰夜宵だった。
「薄々予想はしていたけど、彼女は囮役だと考えた方が良さそうだ。おそらくここには何もない。一旦本部と連絡を取って、計画を練り直そう」
真っ直ぐ海を見つめたままの天喰に、水無月は言った。
しかし彼女は振り向きもせず、ただ無言で金色の長い髪を潮風に靡かせている。魔術師としての勘が戻った今の天喰には、水無月もただならぬものを感じざるを得なかった。
「……夜宵ちゃん?」
水無月の呼びかけに、天喰が口を開く。
「水無月さん」
天喰はようやく振り向き、深紅の左目で水無月を見る。
その表情は、いつになく晴れやかで自信に満ち溢れていた。
「——遊翼たちの居場所、わかるかもしれません」




