第37話 下関戦争・破
山口県下関に位置する神社、赤間神宮。
壇ノ浦の戦いにて入水した安徳天皇を祀るこの神社は、平家一門を祀る塚があることでも有名である。前身の阿弥陀寺から数えて千年以上の歴史を持つ由緒正しきこの場所だが、今はその清廉さに見合わぬならず者たちが迷い込んでいるようだった。
「この辺で良くね? ほら、スプレー貸せ」
「ちょ、マジでやんのかよお前〜!」
赤間神宮の顔とも言える水天門の下に群がるのは、四人の男たち。
外見からわかるガラの悪さや挙動の不審さから、彼らが歴史的建造物を前に良からぬことを考えているのは明白であった。カラースプレーを用いて卑猥な言葉を描いていく彼らに、通りかかった他の観光客たちは眉を顰めるが、注意しようとする者は誰一人としていない。関係者がなんとかするだろうと誰もが思い流し、その場を通り過ぎていく。
そんな中、彼らに近づいたのは。
「なぁなぁ、そこのお兄さん方ー」
絶賛落書き中の男たちに声をかけたのは、九つのリボンで髪を結んだいわば「ナインテール」ともいうべき奇抜な髪型をした少女だった。顔立ちは整っているものの糸目がちであり、一見害のなさそうな容姿をしている。
「あぁ? 何あんた、係の人?」
「変な髪型してんなぁ。なんでもいいからどっか行けよ、チビ」
男たちにあしらわれそうになる彼女だったが、その表情はにこやかなまま変わらない。
その代わりに自慢の九又の髪を手足のごとく器用に操り、空中に奇妙な図形を描いてみせた。突然目の前に現れた丸みを帯びたシルエットに男たちが困惑する中、満を持して少女が言い放つ。
「やかん!!」
「は?」
「いや、どーやってんのそれ……」
目の前で起きた超常現象に、男たちはただ当惑する。
対する少女は「ウケが悪いな」とでも言いたげに首を捻り、今度は髪を前後左右に大きく展開させた。髪を翼と砲身のごとく見立て、彼女はまたしても自信満々に言い放った。
「——ハイマットフルバースト!!」
「ぷっ、いやあんたSEED世代じゃねぇだろ!」
「ぶはははははははは!! 芸の振り幅えぐいて!!」
わかる人にはわかるネタに男三人が笑い転げ、一瞬だけ場の空気が弛緩する。少女はようやくそこで満足げに微笑み、九本の髪を鎌のごとく鋭利に変化させ——
「はい、スマイル0円」
何の断りもなく、男らの首を掻き斬った。
「……は?」
首から血飛沫をあげ、三人の体が崩れ落ちる。
突然転がってきた男の頭部に周囲の観光客たちが悲鳴をあげて逃げ惑う中、半グレグループの中でただ一人笑わなかった青年はその場で尻餅をついていた。
「なっ……え……?」
「——俺っちさぁ、お金もってねーんですよ」
言葉を失った男に向けて、少女は語りかける。
その顔はまだ、うっすらと笑っていた。
「お金の稼ぎ方も使い方もよくわかんなくて、なんでお金がないと生きていけないのかも正直わかんないんすよ。——でも、どっかのハンバーガー屋も言ってるみたいに、人のスマイルは0円。スマイルは無料なんすよ」
「な、何を言って……」
「まあ要するに、あんたらみたいなカス人間も、俺っちからすればスマイルを絞り出すだけの価値はあるってことっす。カスなんで笑わせたらもう用済みっすけど」
少女は歩み寄り、九本の髪束のうち二本を男の口端に鉤爪のごとく引っ掛けた。戦慄する男の意志は無視して、その口端は無理やりに吊り上げられていく。
「はい、スマイルっすよスマイル。笑って笑って〜」
「は……ああ"あッ!?」
男の口端から血が流れる。
彼は恐怖のまま引き攣った笑みを浮かべ、泣きながら命乞いの言葉を述べようとした——が、その努力は虚しく。
「はーい、よくできました♡」
「ああ"ッ——!!?」
響き渡った短い断末魔。憂さ晴らしを済ませた少女がその場を離れた後に残ったのは、無惨にも顔面を引き裂かれた死体のみであった。
「はーやく来ないっすかねー、公安のワンちゃん♪」
笑顔の【中毒者】、九尾笑狐。
彼女はただ、〈ANTIDOTE〉との対面を待ち望んでいた。
◇◇◇
他方、JR下関駅に到着した水無月と天喰。
新幹線での長旅を終えロータリーで警察車両に乗り込んだ彼女らは、今後の計画について考えを巡らせていた。
「——で、あんた方はどこへ向かうつもりなんだ?」
顔に傷のある運転手の男が、正面を向いたまま訊ねる。
水無月はしばらく考え込むように宙空を見つめ、おもむろに口を開いた。
「一口に『下関』と言っても、奴らの手で秘匿されたアジトを見つけ出すには少し範囲が広すぎる。毒嶌先生のくれた情報をもとにしらみ潰しでやっていくしかない」
「……要するに、ノープランってことか?」
「平たく言えばそうだね。でも、やりようはある。私たちは操神君たちの手がかりを探すためだけに、はるばるここまで来たんだ。たとえ何も得られないのだとしても……ここでかけた時間を無駄だと言い張るのは、すべてが終わった後でも遅くない」
「そうだろう?」と水無月はルームミラー越しに天喰夜宵の顔を見やる。その右目は黒の眼帯で覆われていたが、残された左目には並々ならぬ決意が滲んでいた。
「はい。少しでも可能性があるっていうなら、私もじっとしているわけにはいきません。本当に口先だけの厨二病女に成り下がるのは……絶対に嫌だ」
彼女の言葉に水無月が頷くなか、運転手を任された刑事の男はその気迫に気圧されたように冷や汗を流した。山口県警のいち刑事である彼に夜宵たちの事情を深く窺い知ることはできないが、彼女らが尋常でない覚悟をもってここへ来ていることだけは確実に伝わっていた。
「はぁ……わかったよ。とりあえず行き先だけ教えてくれ。俺は職務上、『足』としてしか動けねぇからな」
「助かるよ、伊瀬さん。じゃあ最初は——」
下関駅から車を走らせること、約15分。
関門海峡方面に向かっていた水無月たちだったが、長い渋滞が行く手を阻むように続いていた。運転手である伊瀬は交通整理を行なっていた誘導員のもとまで近づくと、それとなくその事情を訊ねた。
「関門橋の方で何かトラブルが起きて、通行止めになっているみたいなんですよ」
小太りの誘導員はそう答えた。
その濁したような言い方に引っかかりを覚えた伊瀬は、車の窓を開けたまま質問を重ねる。
「トラブル? 事故でも起きたのか?」
「いえ……どうもそれが、車両同士の事故でもないみたいで。こっちにも現場の詳しい情報が回ってこないので、よくわからないんですよ」
伊瀬は首を回し、水無月と顔を見合わせた。
「少しきな臭いが、お前さんはどう思う?」
「……嫌な予感がする。現場で何が起きてるか知っておきたい」
「そうか、なら降りて行ってこい。お嬢ちゃんも行くだろ?」
「はい!」
水無月と夜宵はすぐさま黒の警察車両を降り、橋の方へと走り出した。何台もの車が停滞した渋滞の先——「トラブル」の現場に、胸騒ぎとただならぬ予感を覚えた水無月たちは急行する。
果たして、その予感は当たっていた。
「あっれぇ! もしかして、公安のワンちゃんたちっすかぁ!?」
関門橋の入り口を塞いでいたのは、下関観光を終えた笑顔の【中毒者】、九尾笑狐。彼女は暇つぶしにと切り刻んだ車の残骸に囲まれながら、満面の笑みで水無月たちを出迎えた。
「これは、ビンゴ……ってとこかな」
夜宵を庇うように水無月は前に出ると、愛用の傘を構えた。
九尾は糸目がちな両目で弓形に弧を描き、妖しく微笑んでみせる。
「スマイル0円、斬り捨て御免。
——さ、あんたらの笑顔も晒け出してもらうっすよ!」




