第36話 下関戦争・序
「……と。話せるのはここまでだ。毒裁社に入らないってんならあんたらは捕虜だ。放っておいても嘘に気付いた北斗に殺されかねんから、別の場所に軟禁する。有無は言わせないよ」
毒裁社の創世記を、創設メンバーの1人であり現在も幹部として君臨している女傑──鬼灯酒樂から聴いた俺と沢田の2人を襲うのは吐気と目眩、口から胃が出るような不快感。
「──また、俺達を眠らせる気か」
声を張り上げることもできず、その強い酩酊に、酒の【中毒者】としての〈AUS〉に対して屈することしかできない俺と沢田の2人。
その場に崩れるように跪き、渦巻くような混沌の意識を手放し──
──俺と沢田は、〈コドクモリ〉という【中毒者】の養成施設の上層を、今いる毒裁社のアジトを後にし、また別のアジトへとその姿を消したのだった。
***
『毒裁社のアジトの情報が掴めた』
「本当ですか!?」
──8月3日
これまで一切毒裁社のアジトに関する情報が入ってこなかった公安第五課「対中毒者特措委員会」──通称〈ANTIDOTE〉の作戦本部に舞い込んでくる一通の希望。
低く重い人工で作られた機械的な音声が、残された〈ANTIDOTE〉のメンバーがいる会議室に置かれたスピーカーから流れ出る。
それと同時、モニターには企業の「重鎮」である男性のイメージを具現化したような男性が映し出される。
この男の正体は、その場にいる誰もが知っている──否、その場にいる誰もに正体を知られていない性別不明の警視庁公安部第五課課長を務める人物──秘匿の【中毒者】の使用する化けの皮でありアバターであった。
「──アジトの情報が掴めたってことは、遊翼君と泡音君の場所がわかったってことですか?」
水無月が、数日かけて見つけられた希望をてにして笑顔を浮かべる。のだが──
『いや、それは違う。毒裁社のアジトとされる場所が北は北海道、南は沖縄まで全国601502か所匿名で送られてきた』
「601502か所!?」
「流石に多すぎるだろ!」
その数の多さに、水無月と辛木の2人は驚きが隠せない。
『あぁ……住所を調べてみると富山県庁や靖国神社・道後温泉に加えて、私達が今もいる警視庁本部庁舎などと俄には信じがたい場所も情報の中に多数含まれている。要するに、この情報の多くはフェイクである可能性が高い』
くぐもった声で淡々と告げられるその情報の不確実性。
『……が、その601502か所を一斉に地図上で記したらあることがわかった』
「それは一体?」
『唯一、山口県下関市にのみ一箇所だってアジトがあると言う情報が送られていないことが判明した』
「逆に怪しい……」
日本の市区町村は現在1718あるとされているが、その中で唯一下関市にのみ「アジトがある」という状況は送られてきていないようだった。
それは下関市にアジトがあるという情報の裏付けなのか、それとも本当にそこにアジトはなく〈ANTIDOTE〉のメンバーを引き付けるための罠なのかはわからない。
「──が、送られてきた60万以上の場所を逐一調べるよりも、下関市に行った方が価値はありそうだ。行くよ、私は」
「班長殿、正気ですか!?」
水無月が躊躇いもなく東京から1000km弱離れている下関に行く判断をしたことに、辛木は驚きが隠せない。
「あぁ、私は正気だよ」
「──では、水無月が下関に行くのだというのなら私は水無月の分の業務も担当しよう」
「──皇」
作戦会議室に入ってくるなり、そう宣言したのは〈ANTIDOTE〉第二班の班長である、規律の【中毒者】──皇律であった。
「敵は毒裁社だけではない。全員が一つのことに集中するあまり他が駄目になるようでは本末転倒だ。だから、水無月。行って来い。仕事は全て私に、私達に任せてそっちは毒裁社のアジト探しに没頭してくれ」
「ありがとう。それじゃ、私一人で──」
「待って!私も連れてって!」
水無月が1人、傘だけを持ち下関に歩みを進めることで話がまとまりそうになったその時。
声をあげたのは、これまで沈黙を貫いていた1人の少女──毒裁社襲撃以降、再度不調で〈AUS〉を行使できていない右目を負傷した自称「稀代の天才幻想魔術師」、天喰夜宵であった。
──もっとも、毒裁社に襲撃されて以降は一度も「稀代の天才幻想魔術師」を名乗っていない。
彼女の手から、全てがこぼれ落ちたのだ。バケツを神器と言い張る厨二病だが、穴の空いたバケツを誇れるほど馬鹿ではない。
「だが……」
「お願いします。こっちにいても、どうせ〈AUS〉が使えなくて現地に行っても足手まといになるだけ。だから、私も連れてってください」
「やよい……」
深く頭を下げて、自分も付いていくことを水無月にお願いする夜宵。
〈ANTIDOTE〉の抱える通常業務は、1班と2班の2組で行っても尚猫の手も借りたい程多い。
そんな状況なのに、水無月に加えて夜宵も抜けるとなるとかなりの痛手となるが──
「──行け。足手まといは必要ない」
そんな強い言葉を夜宵にぶつけるのは、東京に残る判断をした皇だった。
彼女の言い方には棘があるが、それは薔薇の副産物。皇のその言葉は、優しさ以外の何でも無かった。
「だってさ、夜宵ちゃん。一緒に行こう」
水無月はそう口にして、頭を下げる夜宵の方へと右手を差し出す。夜宵は、それを力強く握った。
「───んじゃ、俺と錦はこっちに残って事務作業だな。班長殿、任せたぞ」
「あぁ。辛木君が残ってくれるなら私も安心だ。りっちゃん」
「りっちゃんと呼ぶな」
「辛木のことは法律を気にせず何時間だって働かせていいから」
「おい!班長殿!」
「了解した。労働基準法に抵触するギリギリまで働かせることを約束しよう」
『話はまとまったようだね。それじゃ、次の新幹線にでも乗って早速下関に向かって欲しい。チケットはこっちで用意しよう』
モニターに映るアバターがそんなことを口にすると、モニターから消える。
「──夜宵ちゃん、行こうか。絶対に、遊翼君達を私達で見つけ出そう」
「はい!」
「頑張ってこいよ」
「ふたりとも、がんばって」
水無月の言葉に、元気よく返事をする夜宵。そんな2人の背中を押すように、東京に残る辛木と錦は応援を口にする。
──そして、彼女達は下関へ向かうため作戦会議室を後にした。
***
下関市。
羽田空港から出ている飛行機で山口宇部空港まで飛んだ後はJR宇部線を使用して合計3時間ほどで、東京駅から出ている新幹線に乗車すれば、約5時間で到着する本州の最西端にある山口県の都市。
現在、フグの水揚げ高が全国の8割を占める全国シェア1位であり、「下関とふく」などと言われる。
下関では「フグ」のことを「フク」と呼んでいる。
「フグ」だと「不遇」を連想させるために、濁点のつかない「フク」すなわち「福」であるからだ。
そんな地元の人に愛されているフグは毒を持つ危険な生物としても知られている。
【中毒者】とはまた違う、本物の毒を持つフグの一大産地である下関市を選んだのは何かの偶然か、それとも〈ANTIDOTE〉の面々をおちょくるために選ばれた場所かはわからないが、そこで〈ANTIDOTE〉の到着を、言い換えれば嵐のような戦闘の始まりを予測し、待ち望んでいたのは1人の人物。
「はーやく、食いついてきてくれませんかねぇ。俺っち、20分以上待てねぇんすよ」
そこにいたのは、黄色い髪を頭のあちこちで束ねているナインテールの糸目の女であった。
──再度、〈ANTIDOTE〉と毒裁社の双方がぶつかり合う日は近い。




