第35話 毒を喰らわば皿まで 後編
「あんたらは幸運だぜ。政府より先に、俺に見つかったんだからな」
パン一の素寒貧、賭賭博博徒という男は私らにそう言った。さすがにパン一の男が街中を闊歩していたら通報されるということで彼の「アジト」に移動させれていた私と更級だったが、その時点ではまだ話の核心を掴むことはできず、混乱の方が勝っていた。
「話が見えないね。私らがその【中毒者】だとして、国に見つかっちゃまずいことでもあるのかい?」
「そ、そうですよ! 私なんてただ、仕事以外に好きなものも取り柄もない独身ワーカホリック野郎ですよ!?」
自己肯定感の終わっている更級が反論する。
すると男の代わりに、アジトにいた赤髪の女が答えた。
「私たちはいわば特殊能力者よ。政府からすれば重大な脅威でもあり、都合のいい実験対象でもある。捕まれば最悪人生ジ・エンドってところね。お分かり? 新入りさん」
その女は、名を七星焔といった。
顔だけはそこらのアイドル顔負けに整っていて黙ってりゃ別嬪だったが、放火殺人を100件以上起こしたとんでもない放火魔女であることが後に判明する。が、これはまた別の話だ。
「焔の言う通り、この国は【中毒者】を保護するって名目で捕まえて、非人道的な実験に使っている。俺達の仲間も何人かまだ捕まったままだ。俺は勝負師として、ここで負けたままじゃいられない」
パン一にトレンチコートを羽織った賭賭博が言う。
歳は30かそこらに見えたが、その表情には並みの若者にはない覚悟や野心のようなものが滲んでいた。こいつは何か、とんでもないことを成し遂げる気だ——当時の私は、直感的にそう思った。
「……その仲間とやらを助け出そうってのが、あんたらの目的ってわけかい?」
「いや、違う。それはあくまでも計画の一部だ」
賭賭博は両手を固く組み、大真面目に言った。
「——俺は世界を変える。俺たち【中毒者】が自由に、虐げられることなく生きられる世界を作ってやる。まあこんなの、現実的に考えれば馬鹿げた博打かもしれねぇが……俺は俺たちの持つ可能性に賭けてみたいんだ」
彼の表情は一ミリもふざけてはいなかった。
そこで私は半笑いになりながらも、確信した。
こいつは紛れもなく、本気で世界を変える気だと。
「だからあんたらも、よかったら俺たちと」
「——わかった。賭けるよ」
私はほぼ反射的に答えた。
そして何より——それまでの退屈で、平凡で、鬱屈とした酒しか救いのない人生にうんざりしていた私は、彼の考えに対してこう思っていたのだ。
「私らも頭数に入れな。
賭けてやるよ、あんたの言う可能性とやらにね」
——こいつは面白い、と。
こうして私鬼灯酒樂は、賭賭博の始めたレジスタンスに加わることになった。そして意外だったのが、最初は乗り気じゃなかった更級が参謀として組織に加わったことだ。
「資金管理に人材募集、それから作戦立案……ああ、こんなに沢山の『仕事』を振られる私はなんて幸せ者なんでしょう! こんなの作業効率爆上がりですよ!! あっははははははははは!!」
「課せられた仕事の量が多いほど脳の処理速度と作業効率が上がる」という更級の〈AUS〉は、この手の役目にもってこいのようだった。「仕事」という名目ならなんでもこなせるその才能にも驚いたものだが。
私たちはそれからしばらくして、小説の【中毒者】だという文月水花なる少女も仲間として迎えることになった。中性的で掴みどころがなく小説みたいな話し方をする変な女の子だったが、〈AUS〉が便利ということで賭賭博により組織の中枢に据えられた。
毒裁社、という組織名が決まったのもこの辺りだった。
毒をもってこの歪んだ世界を裁く。毒を喰らわば皿まで。そんな風に私たちは自分の中に巣食う【中毒】を武器にして、【中毒者】の権利を主張するために動き出すことになった。
そして、来たる2002年2月21日。
私たちはついに計画を実行に移した。
計画の第一段階、当時【中毒者】人体実験を主導していた科学者——中田秀顕の殺害。
第二段階、彼の設立した研究所の武力による制圧、および第三段階の犯行声明。
第三段階、中田研究所から技術供与を受けていた製薬会社、ライト製薬本社ビルの爆破——。
以上の計画を滞りなく完遂させ、私たち〈毒裁社〉は研究所職員たちを人質に政府との交渉の機会を要求した。後にこの件はある理由から更級事件や2.21テロと呼ばれ、歴史の教科書にも小さく載ることになるのだが——そんなことはどうだっていい。
政府は条件付きで私たちとの交渉に応じることになり、この計画は一旦は成功したように見えた。ついにやってやった、と歓喜していた私たちの期待は、いとも容易く裏切られることになったのだ。
◇◇◇
そこまで話し終え、鬼灯は酒を口にした。
その間に俺は彼女の提示した情報と自分の知識とを照らし合わせて、とある一つの事実にたどり着いていた。
「待ってください……2.21テロの首謀者って確か」
鬼灯が口にした「更級夏帆」という名前に感じていた違和感——いや、デジャヴの正体が、点と点とをつなぐことで今浮かび上がった。この名前は、日本人なら誰しも一度は聞いたことがあると言っても過言ではないのだ。
「ああ。更級は、2.21テロの首謀者にさせられた」
全てが腑に落ちた気がした。
更級夏帆。日本中を恐怖に陥れたテロの首謀者。今や歴史の教科書にも載るくらいの大犯罪者だ。他にも逮捕者が出たことは知っていたが、まさかあのテロの背景に【中毒者】の組織が関わっていたなんて思いもしなかった。
「あー、だから俺でも聞いたことあったのか。……ってか、首謀者にさせられたってどういう意味だ? 自分から自首したってわけじゃないんだろ?」
それまで黙って聞いていた沢田が、もっともな問いを投げかける。鬼灯はジョッキから口を離し、昔を懐かしむように目を細めながら言った。
「ここまで大規模なテロが起きた以上、日本の警察はその信頼性を保つためにどんな形であれ事件を『収束』させなければいけない。でも事件現場で〈AUS〉を使って暴れていた私たちを犯人として捕まえれば、政府は【中毒者】という特殊能力者の存在を認めざるを得なくなる。そこで事件収束のシンボルとして掲げられたのが、当時現場にいなかった作戦指揮役『首謀者・更級夏帆』ってわけさ。首謀者を捕まえたってことにすれば、政府も交渉に応じると言っていたからね」
更級夏帆に課せられた量刑は、確か無期懲役。
仲間一人の人生を犠牲にして鬼灯たちは交渉の機会を得た——というのが今のところの結末だろう。犯罪組織の話とはいえ、聞いているとあんまりだと思ってしまう内容だった。
「まああの子は、そこまでは織り込み済みだと言ってたよ。政府から“生け贄”を要求されるのを想定した上で、あの子は一人現場に赴かず通信での全体指揮役を買って出た。私らが交渉にこぎつけられたのは、あの子の立てた作戦と犠牲があってこそってわけだ」
「……それで、交渉の結果は?」
「ハッ、そんなもん、この現実を見ればわかるだろう?」
皮肉っぽく鬼灯が笑った。
俺がその意味を取り損ねていると、彼女はうんざりしたようにまた話し出す。
「私たちが要求したのは三つだ。一つは【中毒者】を用いた実験の恒久的な禁止。二つ目は【中毒者】の基本的人権と自由な活動の保障。そして最後に、政府による【中毒者】の存在の公表だ」
彼女の言わんとすることは、それで半分ほどわかった。
最後の【中毒者】の公表というのは、この現実を見れば達成されていないのは明らかだろう。俺も自分が【中毒者】と知らされるまで、その存在すら耳にしたことはなかった。「グロの【中毒者】」を自称していた皮黒稜貴の例も考慮すれば、都市伝説程度には世間にもその情報は広まっていることにはなるが。
しかし一つ目の実験の禁止というのは、俺の知る限りでは達成されているように思える。二つ目の【中毒者】の権利保障も同様だろう。
「私らが【中毒者】を用いた人体実験の証拠を掴み中田秀顕を殺したことで、さすがの政府も実験を停止した。一つ目の要求は通ったってことさ。だが残りの二つに関しては、一年半交渉しても政府は要求を呑まなかった」
「……残り二つ?」
思わず鸚鵡返しをしていた。
それが意味するのはつまり、彼女は二つ目の要求も失敗に終わったと考えているということだ。【中毒者】の基本的人権と自由な活動の保障——それは今、ある程度の範囲で行われているのではないか?
「存在の公表はともかく……俺たち【中毒者】の権利は、ある程度保障されてるんじゃないですか? 現に、俺たちは今——」
「——ちょっと待ちな。あんたそれ、本気で言ってんじゃないだろうね?」
「……?」
なぜか呆れたような表情を浮かべた鬼灯は、俺と沢田の顔を交互に見たあとで続けた。
「はぁ……怖いもんだね。当事者の無知ってのは」
「どういう意味です?」
「そうだそうだ! 俺にもわかるように教えやがれ!!」
沢田にまで反論され、鬼灯はジョッキを置いた。
そして俺たちに向けて真っ直ぐに、教え諭すような口調で話し始める。
「いいかい、よく聞きな。私たちが求めた【中毒者】の自由に対して、政府が言ったのはこうだ。——『全国の【中毒者】たちを保護・管理する機関を設立し、国の監視下においたその一部を、秘密裏に警察組織の協力者として動員する』」
「警察組織って……まさか、それ!!」
「ああ。あんたらの所属してる公安部公安第五課、〈ANTIDOTEのことさ」
沢田の反応に首肯し、鬼灯は言い放った。
彼女が主張しようとしているのは要するに、現在の警視庁公安部と国の【中毒者】の扱いに対する批判。——いや、突き詰めればそれは、国に支配されている俺たちへの批判とも言える。
……だが、なぜ。
「要するにあなたは、俺たちが人としての権利を剥奪されているとでも言いたいんですか?」
「ああそうさ。その通りだよ」
「——っ、んなわけねーだろ!! かーちゃん達ん所へ戻れねぇのは確かに寂しいけどよ、俺は〈ANTIDOTE〉に入ってからの生活もそこそこ気に入ってんだ! 仕事は多少危なっかしくても、操神たちと出会えたことだって、俺は——!」
「あんたの感想なんざ誰も聞いちゃいないよ。私は体制の話をしてるんだ」
沢田の反論を跳ね除け、鬼灯は酒を口に含んだ。
「あんたらは屁とも思ってないだろうがね、『【中毒者】だから連行、国のために公安で労働、暴走すれば〈JAIL〉として収監』……なんて、人権侵害そのものじゃあないか。あんたらがどれだけ恵まれていると思っていようが、今の国の仕組みが腐っていることに変わりはないんだよ!」
「……だから、その仕組みを正すために戦っていると?」
「いいや。私らはもう、政府に期待なんざしちゃいない」
「? それじゃあ……」
「今の私らの目的は——【中毒者】による、【中毒者】のための統治機構の樹立だ」
「「——!?」」
沢田もさすがにその突拍子のなさに驚いたのか、俺と反応をシンクロさせた。
統治機構の樹立——つまり、【中毒者】による「建国」。そんな馬鹿げたことができるはずがない、という俺たちの意見に答えるように、鬼灯は近くにあったモニターの電源を入れた。
「言っておくが私らは本気だ。これを見な」
そうしてモニターに映し出されたのは、とあるニュース番組だった。
中東の壊れた街並みの中をどこかの軍隊が進み、見えない「何か」と交戦している様子が報道されている。彼らの戦う「何か」の全貌はよくわからないが、国の軍隊と互角以上に渡り合えるだけの実力を持っていることは窺える。一見すればなんてことのない、中東での紛争を報道したニュース番組だ。
「中東で蜂起し、一部地域の自治権を主張している武装組織——『トゥグヤン』。神に対する反逆を名に冠した彼らは、いわば私らの目指す理想みたいなもんだ」
「理想って……じゃあ、こいつらの正体は……」
鬼灯は無言で頷き、モニターに目を向けた。
「テレビは報道規制を敷いているが——トゥグヤンは、れっきとした【中毒者】たちによる武装組織だ。【中毒者】たちの世界への反逆は、もう始まってるんだよ」
俺は言葉を失った。
鬼灯も、〈毒裁社〉もやる気なのだ。これと同じことを。
——世界への反逆を。
「遠くないうちに、これは日本でも起こるだろうね。ただ、それを起こすのは私ら〈毒裁社〉かもしれないし、また別の誰かかもしれない」
鬼灯の目が、俺たちを見る。
彼女はただ一人の大人として、俺たちにこう忠告した。
「あんたらも今のうちに決めておきな。もし日本で【中毒者】たちの反乱が起きたとき、どっちの味方につくか」




