第34話 毒を喰らわば皿まで 前編
毒裁社の三大幹部の1人である女傑、鬼灯酒樂──私に特殊な能力があることに気が付いたのは、二十七連勤の内の8割を終えた日のことだった。
「──あぁ、クソ。終わらない」
もうすぐ五十路を迎えるオバサンに大量に押し付けるブラック企業に悪態をつきながら、室内なのに浮かんでいる額の汗を拭ったその時、周囲の異変に気がついた。
「──寝てる?」
私が手を止めて鳴り響くはずのタイピングの多重奏。
それが、私の働くブラック企業随一の社畜──更級夏帆(33)のところからしか聴こえない。この職場に、タイピングソロの間奏は無いはずだ。
天使が通ったように沈黙が起こるはずない会社で、多くの人間のタイピング音が止まっているということは、それ即ち眠っているということであった。
確かに、皆二桁連勤は当たり前で、呼吸するように仕事をする社長に弱みを握られてるのかって思うほどの集団で全員サービス残業6時間が強制されている会社で疲れているのはわかるけれど、こんなにも眠っているとは思わなかったから、私は立ち上がり隣の同僚に声をかける。
「おい、起きろ。おい」
「……ひっく」
「──うん?」
眠っている──とは少し違った。
同僚の顔は赤く、まるでお酒を大量に飲んだ後のようだった。
だが、そこには紙パックも缶も瓶も見当たりはしない。
「なんで……」
私が、後輩や課長の状態を確認すると、全員酩酊したような状態で倒れていた。
下戸で、いくら酒豪の私が勧めても呑もうとした後輩さえ酔っ払っているのだから、今置かれている状況は異常だ。
「何が起こってるんだ……?」
私は、何が起こっているのかわからず不安になって、唯一通常業務を続行している社畜の中の社畜、更級夏帆(33)の元へと足を運ぶ。
「更級」
カタカタカタカタ
「更級」
カタカタカタカタカタカタカタカタ
「更級!」
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ
「無視をするな、更級ァァァ!」
「どっしゃーん!」
私が声を張り上げると、漫画のようにビックリしてアニメのように椅子から吹き飛ぶ更級夏帆(33)。
「び、びび、ビックリしてません!鬼灯先輩、ワタシの仕事を邪魔してまでどうしたんですか?」
「皆を見て」
「見んなを見て?矛盾スタンダード?」
「言葉のダブルブッキング。課長とかを見てみてちょうだい。私達以外寝てる」
「本当ですね、お疲れなのでしょう」
起きているのは私と更級の2人だけ。他の皆は全員寝て──
「──あれぇ、仕事は楽しいはずなのに。眠……」
そう口にして、滑り落ちた椅子に戻った更科はそのまま机に突っ伏すように眠ってしまう。
その際に、バックスペースが押されているのか、その業務内容が次第に消えていく。
──が、私にとってはそんなことどうでもよかった。
そんなことより、あの社畜の中の社畜、連続勤務時間1000時間を物ともしない怪物、仕事こそが推し事、死後も仕事を行う社畜生道に転生決定の犬、課金して勤務する本末転倒、仕事中毒、必殺仕事人、職業を病ませる女、過労死殺し、ワクワクwork、労働者階級の女王、働きたい権利、アンチプロレタリア文学と、仕事に取り憑かれている更級夏帆(33)が仕事を前にして眠ったことに驚いた。
「何が……起こっている?」
おかしい。何かがおかしい。
どうして、どうして全員眠ってしまったのか。
どうして、私だけが眠っていない──
「──あ」
私だけが正常なんじゃない。私が異常なんだ。
私が、皆を酩酊させるようなことをしているのだ。
でも、どうして、どうやって。
困惑。当惑。混迷。狼狽。
何もかもが理解できない。ただ、更級夏帆(33)に効果がやってきたということは、今も私は酩酊させてしまうような成分を放っているということだ。
「──なに、これ。確かにお酒は好きだけど、こんなの知らない。こんな時、どうすれば……」
──そうだ。
困ったときは、お酒を呑めばいい。
馬鹿な大学生のように、度数の高いアルコールを体の中に流し込めばいい。
私はコンビニへ行くために街を闊歩して、周囲の人物を酩酊させながら移動し500mm缶を6本購入した。
そしてそれを、身体に流し込む。
「生き返る〜〜!」
コンビニで買う高い安酒だが、さほどアルコール度数の高くない偽物だが、アルコールであることは変わりない。
アルコールを摂取した私の体は天使の迎えが来たかのように軽くなる。
お酒によって翼を授けられた私は地獄こと職場にトボトボと戻ると──
「──って、仕事の【中毒者】に追加で酒の【中毒者】だと?危急存亡の危機でのオール・インでジャックポットとは。最高にツイてるってやつだ」
そこにいるパン一素寒貧の男性は、私の方を見てニヤリと笑ったようだった。
***
「──これ、“世界の在り方”の話じゃなかったんですか?」
「なんだい?文句あるのかい?」
そこら辺にあった椅子に座り、鬼灯酒樂の話を一先ず黙って聴いていた俺達は、鬼灯酒樂が休憩として酒樽のまま飲み始めたことを見て、パン一のおっさんが出てきたところで一幕が終わったことを理解し、話している内容の確認をする。
「いやいや、文句じゃないですけれど。話の趣旨がズレているかも──って思ってしまいまして……」
「たわけ。背景を説明しなけりゃどうせあんたらはギャーピー騒ぐだけで理解しないだろう?私はね、“世界の在り方”ってもんに誇りを持っているんだ。ケチはつけられたくないからね、しっかりと聞いてもらうよ。これを飲み干したら続けるからもうちょっと待ちな」
そう口にして、お酒を口にする鬼灯酒樂。
その飲みっぷりは、見ているこっちが爽快──どころか、不安感と恐怖感を覚えるほどであったが、そんな時に隣で同じく話を聞いていた沢田が俺の横腹を突っついてくる。
「──なんだよ」
「どういうことだ?もう話についていけてねぇ。パン一素寒貧の男性って更級って人か?」
「ブフッッッッ!」
「「うおぉ!」」
コソコソ話の割には、結構大きな声で「パン一素寒貧の男性=更級夏帆」という絶対に有り得ない説をぶっこんできて、それを盗み聴いていた鬼灯酒樂が吹き出し、俺達はそれに二人してビックリする。
「ははははは、ははははははは!最高傑作だな。今度、賭賭博博徒に──そのパン一素寒貧の男性に伝えてやりたい」
破顔一笑、抱腹絶倒。
鬼灯酒樂が、そこまで笑うとは思っていなかったから俺達は驚く。もしかしたら、笑い上戸なのかもしれない。
「全く、ひどい勘違いだなぁ……」
「仕方ないだろ!?俺、二転三転する話は二転するまでしかわからねぇんだよ!映画とかも、先にネタバレ見ていかないと付いていけないの!」
「それは馬鹿すぎないか」と、ツッコミたかったけれど流石にやめた。沢田の馬鹿属性が、最近限界突破しているような気もするが、仲良くなった証拠と捉えることにした。
「あんたは理解しているんだろう?なら、教えてやんな」
俺は、ひとしきり笑い終えた鬼灯酒樂にそう指示されて、解説に入る。
「鬼灯酒樂の酒の【中毒者】が発動して、全員眠ちゃった。名前が出てきたってことは、そのそのパン一素寒貧の男──賭賭博博徒の言う仕事の【中毒者】こそが更級夏帆のことだろ?まぁ、賭賭博博徒も〈AUS〉の効果で2人のことを見つけて仲間に引き込みに来たって感じか?」
「正解だ」
「なるほど、完全に理解できたぜ。まだこの時は毒裁社に入ってなかったってことだろ?」
「よくわかったじゃないか。賢いね」
「賢くねぇよ。俺の馬鹿さを馬鹿にすんな」
「まぁ、いい。理解してもらうためにこれから登場する人の名前を挙げていくよ。既に登場した3人を含めて覚えてほしいのは5人。それが、毒裁社結成当時のメンバーさ」
その言葉を聴いて、俺は固唾を飲む。明かされるのだ、毒裁社の機密情報が。
酒の【中毒者】 鬼灯酒樂
ギャンブルの【中毒者】 賭賭博博徒
仕事の【中毒者】 更級夏帆
小説の【中毒者】 文月水花
放火の【中毒者】 七星焔
「──ッ!七星焔って!」
「そう、あんたらもよく知るあのクソガキ。七星北斗の母親だよ。あのクソガキの話も興味あるかい?」
「あります」
俺は、鬼灯酒樂の言葉に即答する。
「ま、次の機会のお楽しみだね。次があるかは知らないけど。さ、第二幕。始めようじゃないか」
どうやら、七星北斗の話はまだ聴かせてもらえないようだった。そして、第二幕が始まる。
「───私と更級夏帆の2人がパン一素寒貧の男──賭賭博博徒と出会った後で、私の〈AUS〉について聴いたさ。私が【中毒者】として『概念主』になったこと。そして、【中毒者】のほとんどが国の下で軟禁されていることをね」
「国の下で、軟禁……!?」
──鬼灯酒樂の、毒裁社の創世記が語られる第二幕が始まる。
そこで語られるのは、自らの自由のために「毒を喰らわば皿まで」と言わんばかりに国に、公安に、俺達に抵抗し続ける非人道的な彼女らの人間らしい生き様だった。




