閑話 fragment
一区切りなので、今回と次回は閑話になります。
夢を見た。
やけにはっきりとした、明晰夢だ。
いやあるいは、それは走馬灯のようなものだったのかもしれない。死の間際、脳が必死に生き延びようとして瞬間的にこれまでの人生を回顧する——というアレだ。
俺はもうすぐ死ぬのかもしれない。
他人事みたいに思いながら、俺はその回想に沈んでいった。
◇◇◇
「なぁ、聞いてくれよ操神ぃ〜!!」
扉をぶち開けて入ってきたのは、生粋の炭酸バカ沢田泡音。
どうやらここは、合宿訓練の時の宿舎のようだ。時刻は22時——就寝前の勉強に勤しんでいたらしい俺は、参考書を閉じて振り返る。
「うるせぇな……なんだよ」
「いやさぁ、さっき十和が『お花摘みに行ってくる』って言ったから『夜遅いけど頑張れよ』って返したんだよ! そしたらなんか思いっきりビンタされてさぁ!!」
「……それは全面的にお前が悪い」
「はぁ!?」
まあ、日常会話で「お花摘み」なんて急に言われても取り違えるのはわかる。伊織さんらしいと言えばらしいが、殴られた沢田にはお気の毒様と言う他ないだろう。
ちなみにだが、男の場合は「雉撃ち」と言うらしい。
「ていうかそれ、毎晩開いてるけどなんの教科書だ? 理科?」
「なんだっていいだろ。もう電気消すぞ」
「あ〜い」
連日の訓練で疲れきっていた俺は、会話を打ち切って部屋の明かりを消した。暑いからなのか、布団の上に直接寝転がった沢田は頭の後ろで腕を組む。
「あーあ、22時就寝って早すぎだよなー。中学の修学旅行かっつーの!」
「健康的でいいだろ。つべこべ言ってないで寝ろよ」
「んー寝れねぇ!!」
「寝ろ」
毎晩思っていたが、こいつの体力は化け物だ。
毎日訓練で体を酷使しまくっているというのに、疲れたような素振り一つ見せない。まあ、眠る時は突然電池が切れたよようにぱったり静かになるから、それはそれで怖いのだが……。
「なあ操神、」
「あ?」
就寝時間を迎えても、当然こいつは寝ようとしない。
こちらとしてはいい迷惑だが、仕方なしということでいつも話に付き合ってやっている。
「操神はなんでジャグリングが好きなんだ? 好きになったきっかけとかあんのか?」
「また随分と初歩的な質問だな……」
「あ、それともあれか? 『好きになるのに理由なんていらねぇ!』ってやつか?」
「理由くらいあるっての。薄っぺらいラブコメじゃねぇんだから」
じゃあなんだよ、と興味津々に訊いてくる沢田にため息が出つつも、実は内心かなり真面目に考えていた。俺が今、ジャグリングの【中毒者】になるまでにジャグリングを愛している理由について。
勉強より、ジャグリングが好きな理由について。
「俺、父親が外科医でさ。それに影響されてか、小さい頃からずっと勉強一本で頑張ってて……親の期待通りに医者になって喜ばせたいって一心で、必死に食らいついてた。……けど、勉強のモチベーションなんてそんなもんだったんだよ」
「……要するに、楽しくなかったってことか?」
「まあ、そんなとこだ。俺が勉強できて喜ぶのなんて親くらいだったし……勉強が楽しいなんて思ってたら、今頃俺は勉強の【中毒者】になってただろうしな」
「うーん、それはそれで羨ましーけど」
俺だって、勉強を楽しいと思える奴が羨ましかった。俺にとっての勉強なんて、両親を喜ばせるためにする果てのない作業でしかなかったのだから。
「——でもその点、ジャグリングは違う」
口角が上がり、声色が自然と明るくなっていく
俺はどうしようもなくジャグリングが好きなのだと、そのとき改めて実感した。
「俺のジャグリングで喜ぶのは、俺の親だけじゃない。友達や先生、はたまた初対面の人だって、俺のジャグリングを見れば感動して喜んでくれる。それが俺にとって最高に嬉しくて……楽しいんだと思う。だから好きなんだ」
「なるほどなぁ。そりゃあ好きになるわな!」
「……ところで、沢田はなんで炭酸が好きなんだ?」
「えっ、あー……それ訊いちゃう!? うわー、どうしよっかなー!! これ本当は秘密にしときたかったけど、マブの操神にだけは教えちゃおっかなー!!」
「勿体ぶらずに言えよ。うるせぇな……」
俺のそんな一言でひとまず沢田は黙りこみ、「わかったわかった」と何故か仕方なさげに息をつく。そして喋り始めた彼の声色は、どういうわけか意外にも落ち着いていた。
「俺……実は中卒でさ。中学卒業してすぐ、地元の建設会社に就職して働いてたんだ。その仕事やってる中で、現場でもゴリゴリこき使われて肉体労働させられて……めでたく出来上がったのがこの体力バカってわけだな。あはは!!」
「そこからどうやって炭酸に繋がるんだよ?」
「まあ最後まで聞けって。……さっき言ったみたいに現場で肉体労働ばっかさせられてた俺は、仕事の合間の休憩時間、自販機でサイダー買って飲むのが好きだったんだ。その時間に飲むサイダーは、なんつーか特別なカンジがしたんだよ」
「特別?」
「おう! ほら、想像してみろよ。汗かいて喉も渇いてヘットヘトのときに、キンキンに冷えたサイダーを開けて、一気に口ん中に流し込む……。そーすっと、疲れきった体に爽やかな甘さと弾けるような炭酸の泡が行き渡って……なんつーか、『生き返ったー!』みたいな感じになるわけよ!! わかるだろ!?」
だいぶ表現はアバウトだが、なんとなくわかる。
炭酸中毒——なんて聞こえこそ悪いが、沢田の場合、本当に炭酸飲料が生きる上での糧になっていたのだろう。彼のこの清々しいほどに爽やかな性格と真っ直ぐな炭酸愛は、こうして育まれたのかと妙に納得してしまう自分がいた。
「まあ、なんとなくはわかったよ」
「だろ!? やっぱ炭酸は飲み物の中で最強だって、操神ならわかってくれるって信じてたぜー!!」
「いや、俺炭酸苦手だけど」
「なにぃーッ!?!?」
俺のその発言にショックを受けた沢田が、さらに夜通しで炭酸愛を熱弁した——ゴーガツ四日目の夜。なんでこんな何気ない会話を今思い出したのか、自分でも疑問に思ってしまった。
◇◇◇
「夜宵の〈AUS〉って、本当になんでもできるのか?」
唐突に場面は切り替わり、俺は夜宵にそう訊ねていた。
時間は20時ごろ、またしてもゴーガツの宿舎内の共有スペースにて、風呂上がりの俺たちは就寝までの時間を各々自由に過ごしている。コーヒー牛乳を飲んでいた夜宵が、ややあってこちらに振り向いた。
「うーん……まあ、事前に詠唱文考えてある魔術なら、その通りに唱えれば使えるよ。あとはその場のノリでやりたいこと妄想して詠唱も考えることあるし。でも、今みたいに気分が乗らない時は……本当に何やってもダメみたいで」
「ん。やよいの魔術、けっこう繊細」
夜宵の膝に寝そべった錦ちゃんが言う。こうして見ると、まるで二人は姉妹のようだ。
それはさておき、確かに夜宵の能力は、本人の気分に左右されやすいらしい。例の厨二病的な妄想に浸れるほどの余裕がない時は、いつもこうなってしまうのだろうか。だとしたらかなり繊細というかピーキーな気がするが……。
「……でもね! 今、新しい魔術を開発してるんだ! 遠くに離れた仲間とも、通信機なしで意思疎通できるようになるみたいな感じのやつ!!」
「はぁ……テレパシーみたいな?」
「それ!!」
「テレパシー、使えたら便利。やってみて」
「ふはははは! そこまで言われたら仕方がないな!!」
別にそこまで言われてもないとは思うが、夜宵は意気揚々と座ったまま魔術行使のポーズをとった。例のスランプのせいか旗取り合戦の時のような凄みは感じないものの、彼女はスイッチが入ったように詠唱を口ずさむ。
「【我希う、宵闇より出でし幻惑なる魔神よ。ただ今この刻をもって、荘厳なる日輪の剣となり、紺碧なる滄海の盾となり、天翔ける我の純然たる双翼となれ】」
(この部分は全部一緒なんだよな……)
彼女が言うには、この第1フェーズにて魔神との交信を経て自らに力を降ろすのだという。そしてこの次が、降ろした力をどのように発現させるかを決める第2フェーズ。
「【結束せよ、呼応せよ、伝心せよ! 暗雲漂う憂える世界も、万象一切貫く我らが絆をもって——眩き曙光をもたらさん!】」
そして最後に、「幻想法典」からの引用元と技名の明言。
夜宵の完全詠唱は、これにて完成する。
「——幻想法典・第三章五節!」
「——【共振する魂の連鎖】!!」
右手をかざして、夜宵がノリノリで叫ぶ。
しかし、十秒経っても何も起こらない。今考えればそれは当然も当然、夜宵の送信したテレパシーを受信する側がいなければ、双方向の通信は成立しないのだから。
「リンクオブ、レゾナンス……!」
俺が戸惑っていた矢先、錦ちゃんも大真面目に片手を翳して魔術名を復唱する。揃ってポーズを取る二人に視線を向けられ、何やら俺までそれをやる流れになっていた。恥ずかしさもあったが、流れ的にやるしかない。
「リンクオブ、レゾナンス……?」
半信半疑で口に出してみる。
するとその瞬間、ただならぬ予感が全身を襲った。
「——!」
ほんの一瞬、一秒にも満たない時間。
俺と夜宵と錦ちゃんの心が、直接通じ合って——触れ合ったような気がした。
夜宵たちの見ていたものや感じていたこと、自分の魂の輪郭みたいなものが全部、サブリミナル映像のように一瞬だけ、手に取るようにわかった気がしたのだ。
「なん、だ……今の……」
「んー、やっぱりダメかー」
しばらくして、夜宵が脱力したように項垂れる。
どういうわけか彼女本人には、今の感覚は伝わっていないようだ。興味が失せたようにソファに寝転がる錦ちゃんも、おそらくは同様だろう。
(気のせい、だったのか……?)
正直、気味が悪かった。
術者本人が「失敗した」というのに、俺にだけ一瞬、術の効果が発動したような感覚。いやあるいは、俺にだけあの一瞬の出来事を知覚できたというだけかもしれないが。
「あー、早くスランプから抜け出さないとなぁ〜」
「……そう、だな。頼むぜ、魔術師さんよ」
奇妙な感覚に襲われた、ゴーガツ五日目の夜。
だがこの時は俺も、全く予想できていなかった。
この時起きた奇跡が、後に俺たちを助ける切り札になるなんてことは。




