第29話 幕切れ、そして
7月31日 14時37分
警視庁本部庁舎B3階 公安第五課作戦本部
「——水無月さん、夜宵ちゃんの容態は?」
落ち着かない様子でソファに腰掛けていた伊織が、立ち上がって訊ねた。旧式のエレベーターで降りてきた水無月は神妙な表情のまま、買ってきた缶コーヒーをデスクに置いて言う。
「右目の失明は免れないけど、命に関わるような怪我じゃないってさ。ただ……意識が戻ってすぐに〈AUS〉を使った影響からか、今はまだ眠ってる。いきなりアクセル全開にしたのが響いたんだろうね」
「……確かにあの子、合宿の終盤はスランプで魔術も使えてませんでしたから、もしかするとそれで……」
「やよい、大丈夫? 治る?」
「治るよ、錦ちゃん。夜宵ちゃんはああ見えてタフな子だ。早ければ明日には病院から戻ってくるだろうさ」
不安げな錦の頭を撫で、水無月はどこか憔悴したような目で言った。作戦本部には水無月たち第一班の他に、皇を筆頭とする第二班の面々も集結していた。
しかしそこに、操神と沢田の姿はない。
「……してやられたね。今回は」
水無月が悔しげに顔を伏せる。
それに同調するように、自分のデスクに座っていた皇は片手で頭を抱えた。
「全くだ。まさか奴らが、こちらの襲撃を逆手に取ってくるとは……」
「これってやっぱり、あいつらに情報が漏れていたってことなんですか?」
「いや、おそらくはあちら側にいた【中毒者】の能力だろう。占いの【中毒者】……彼女の残した予言はやはり、あの七星という少年に利用されていたんだ」
「チッ……そんな能力者がいるんなら、もっと早く対処しておくべきだったんじゃないんすか? そいつが予言さえ残してなければ、こんなことには……」
「たらればの話は止せ、辛木。今我々がすべきは——」
「——あの」
議論が混沌としかける中、遮るように声があがる。
一同の視線が集まるその先にいたのは、華美な外見に見合わず表情を強張らせるタピオカ好きのギャル、乾遥であった。彼女は遠慮がちに——しかし確固たる意志をもって——言葉を紡ぎ出す。
「あたし、バカだからあんまりよくわかんないんですけど……どうしてあいつらが攻めてきたとか、情報の出所とか、今どうでもよくないですか?」
「いや、それは……」
「——遊翼と泡音のことはどうでもいいんですか!? 仲間が攫われたっていうなら、真っ先に取り返しに行こうって話をするべきじゃないんですか!? 違いますか!?」
遥の叫びに、一同が黙りこむ。
誰もが反論も同調もできず、ただ次の言葉を考えこむ中——それまで無言で壁に寄りかかっていた寡黙なスナイパー、霜月兵平が静かにその口を開く。
「その娘の言う通りだ」
「霜月……」
「俺が知る限りでは……この組織は、同僚が攫われた程度で泣き寝入りするほどヤワな連中の集まりじゃない。そして無論、俺も作戦とあらば手を貸すことは厭わない」
「作戦ったってお前、今俺たちだけで動いたってどうにも……!」
「——どうやらそのために、上もようやく決断してくれたみたいだよ」
一同にそう言い放ち、水無月は頭上のモニターを見上げた。
それに釣られるように辛木たちも視線を移すと同時、モニターに映し出されたのは一人の男の姿であった。まるで絵に描いたような「重鎮」たる威厳をその顔に備えているが、それでいてどこか特徴のない外見をしている。
しかしそれも当然——その男の体は、公安部第五課課長を務める「秘匿の【中毒者】」が保有する正体偽装用の義体の一つに過ぎないのだから。
『全員集まっているな、諸君』
いつも通り機械音声のようにくぐもったような声で、彼は言った。
公安部第五課の課長として、また武闘派精鋭部隊〈ANTIDOTE〉の作戦指揮役として——名前すら持たぬその男は語り始める。
『判断が遅れてすまなかった。今回拉致された操神遊翼と沢田泡音の両名については、こちらも総力を挙げて行方を追っている。居所が分かり次第、総戦力で強襲を行う予定だ』
「総戦力って……」
『次の作戦にあたっては、〈JAIL〉のメンバーにも協力を仰ぐことにした。コールサイン06、33、100の三名に至っては、現状本人たちの承諾を得ることができている』
「——!」
男の発言に、皇が驚いたように声をあげる。
しかし彼女の反応は気に留めることなく、男は続けた。
『情報が入り次第、逐一報告する。それでは』
モニターが暗転し、作戦室に沈黙が降りた。
そしてしばらくして、伊織が上司である皇の方へ振り返る。
「皇さん、コールサイン100って確か……」
「……ああ。その件については、後で確認をとる必要がありそうだ」
小さくため息をつき、皇はデスクから立ち上がる。それから自身を見つめる水無月と目を合わせ、示し合わせたように微かに笑みを湛えた。
「ひとまず、今後の予定は決まったね」
「だな」
皇は作戦室全体を見渡し——確固たる決意をもって、啖呵を切った。
「やられっ放しでは終われん。
彼らを……無二の同胞たちを、我らの手で取り戻すぞ!!」
◇◇◇
同刻、岐阜県某所。
人気のない山道にひっそりと佇むのは、錆びついて枯葉の色と同化した一枚の扉。重厚なその扉の奥には地下へと続く階段が続いており、さらにその奥へと進んでいくと待ち受けているのは、扉のサイズからは想像もできない程に広大な施設——否、「箱庭」であった。
一定の広さの区画ごとに設けられたその箱庭の中では、白の服を着た子供達が一様に一つのことに打ち込んでいる。ある区画ではベーゴマ、またある区画では折り紙、はたまたドッジボール……。多種多様な対象に子供たちは打ち込まされ、それに対する【中毒】を促されている。
ここは毒裁社管轄の施設〈コドクモリ〉。
人為的に【中毒者】を養成する、魔の研究施設である。
そんな施設の一角、ベッドの置かれた独房が並ぶ隔離病棟。
操神たちを攫った女帝——鬼灯は、静かにそこに佇んでいた。
「……なんだ、まだ目覚めてないのかい」
不満げに吐き捨てて、鬼灯は手にしたビーフジャーキーを口へ放り込む。珍しく酔いの控えめな彼女の隣に居たのは、新調した日本刀を握りしめる少女、七刃だった。
「輸送時に睡眠薬を飲ませたと聞いています。おそらく今は、その作用時間中かと」
「なるほどねぇ。私の酔いに加えて薬まで飲まされちゃ、いくら活発なガキでも起きれやしないか。……それじゃあ七刃、こいつらの見張りは、とりあえずあんたに任せるよ。もし目覚めたら呼んどくれ」
「……御意」
七刃に背を向けて、鬼灯は歩き出す。
が、すぐに足を止めて彼女は言った。
「これは……まあ、もしもの話だが」
「? 何か?」
「今回私らは、公安の連中に真っ向から喧嘩を売った。さすがの奴らも仲間を攫われたとなれば、まあ黙っちゃいないだろう。総力を挙げてこっちの足取りを追ってくるはずだ。それでもし、ここがバレちまった場合は……」
「全面抗争……いや、“戦争”ですか」
「ああ。そうなるだろうね」
鬼灯はふと、そこで振り返る。
その形相はまさに、冷徹な「鬼」そのものであった。
「その時は、あんたも私の駒として死んでもらうよ。七刃」
七刃がごくりと息を呑む。
しかし彼女の返事は、明瞭だった。
「御意。不惜身命……私のこの命、姐さんに捧げます」
その場で跪き、七刃は言った。
鬼灯は薄く微笑を湛え、黙って去っていく。
操神と沢田が攫われたことで決定的となった、〈ANTIDOTE〉と毒裁社の確執。連れ去られた本人たちの目も未だ覚めぬまま、両者はその刃を研ぎ始め——衝突の機運だけが緩やかに高まっていく。
全面抗争の訪れは、近い。




