第27話 Good luck
ああ、また助けられた。
駆けつけた金髪の少女を見て、俺は途方もないほどの安心感と無力感に襲われた。結局のところ、俺一人の力じゃ何も解決できないのだという現実を痛いほどに突きつけられる。
けど今は、そんな劣等感に浸ってる場合じゃない。
「遊翼、ケガは?」
魔術による白炎を放った夜宵は、颯爽と丸腰になった俺のもとへ飛んできた。心強いことこの上ないが、状況としてはやはりまだ最悪に近い。
「俺は平気だ……けど見ての通り、マーヴェラスが俺を庇ってまずい状態にある。あいつは俺たちで追っ払って、マーヴェラスをなんとか——」
廻神と名乗る敵から視線を移し、隣に並び立つ夜宵の姿を一瞥する。だがその瞬間、彼女は包帯の巻かれた右目を押さえながら足元をふらつかせた。
「——夜宵!?」
「……っああ、問題ない……」
「その怪我、やっぱりまだ……」
夜宵の右目の包帯には、まだ真新しい血が滲んでいる。
軽い止血までは伊織さんがやってくれたと見るべきだろうが、見るからにその傷は深く——普通なら右目の失明は避けられないだろう。場合によっては脳にまでダメージが入っているかもしれない。今だって痛みで立っているのもやっとな筈だ。
(夜宵もまだ十全に戦える状態じゃない……ここはやっぱり俺が……)
ポケットの中には幸い、バタフライナイフが一本残っている。
こいつであのヨーヨー男を牽制しつつ、マーヴェラスを回収して撤退できれば——
「——ヒーロー……いや、ヒロイン気取りかぁ? ほんっとつくづく……クソムカつくなテメェらは!! 地球が自分たち中心に回ってるとでも思ってんのかァ!?」
廻神はそう喚き散らして、ゆっくりと上体を起こす。
先ほどまでのヨーヨーの結界はストリングごと燃やし尽くされたはずだが、まだ俺たちとやる気なのだろうか。
「自分たちが主人公……自分たちが正義……そうやってテメェらは自分の正しさに酔いしれて、俺たちを『悪者』にする!! その正しさで俺たちの首を締め殺してるとも知らずになぁ!!」
廻神はその場で腰を折り、足元にあった何かを拾う。
よく見るとそれは、俺から掠め取ったマチェットナイフだった。
「……ッ!?」
「クッソ反吐が出る。もうヨーヨーにもこだわらねぇ……俺は所詮、誰からも期待されない悪者だ。『道化』だ。ならここでテメェらをブッ殺して、道化の下剋上と行こうじゃねェか!! あぁ!?」
こいつの思考は、つくづく読めない。もし夜宵の詠唱が間に合わなかったら、もし俺がこのチンケなナイフ一本で対処しきれなかったら……。
俺たちを待つのは、死だ。
「夜宵……援護、頼む」
「ああ……」
「殺し合いの始まりだァ!! 死ねぇええあああ!!」
血涙を流しながら、廻神はマチェットを振り上げて迫ってくる。
やるしかない——覚悟を決めた、その瞬間だった。
「待ちな、バカ共」
低声が、響いた。
俺はその声の方向へ振り向こうとしたが、まるでナイフで肌を突き刺されるような、凄まじいほどの威圧感にそれは叶わなかった。少しでも下手な真似をすれば殺される——そんな確信だけを抱いていた。
「あああああああ? 今さら何しにきやがった、ババア……!!」
足を止めた廻神は、マチェットを降ろして声のした方へ顔を向ける。俺もようやくそこで、新たな殺意の持ち主の姿をこの眼に映すに至った。
「相変わらずの馬鹿頭じゃないか、絢聖」
そこにいたのは、一人の老いた女性だった。
着流しのような和服を身に纏っており優美な雰囲気だが、その顔に刻まれた皺は深く、表情は険しい。白髪の下に隠れた大きな顔面の傷に俺が気づくと同時——彼女は手にした酒瓶で、日本酒らしきものを呷った。
それから俺は恐怖からか、はたまた戦い続けた疲労からか、自分の意識が次第に遠のいていくのを感じていた。
「自慢のヨーヨーまで失って、なんてザマだい。こんな作戦でアンタがそこまでムキになる必要なんざないだろう。とっとと失せな。ここは私が引き継ぐ」
「ああ? ざけんじゃねぇ……またそうやってテメェは。ことあるごとに俺んことを失敗作扱いしやがって!! テメェまで俺のことを否定するってのかよ!? クソ……クソッタレがぁあああああ!?」
一人勝手な理屈で発狂する廻神を横目に、老女は腰のホルスターから一丁の銃を抜き取った。一丁の拳銃——否、麻酔銃の銃口は、あろうことか廻神に向けられている。
我を失った廻神は飛び上がり、彼女を襲う。
それと同時、引き金は引かれた。
「少し頭を冷やしな。“HoY-216”」
弾頭が廻神の肩に刺さる。
すると彼はみるみるうちに威勢を失い、彼女のもとに到達する寸前でその場に倒れ込んだ。状況が呑み込めず混乱する俺と夜宵だったが、老女の視線がこちらに向いたことで再びの緊張感に襲われる。
「見苦しいところを見せちまったね」
麻酔銃を仕舞い、老女は言った。
「私は鬼灯——鬼灯酒樂。この名前にピンとくるかどうかは知ったこっちゃないが……あんたたちの追ってる、『毒裁社』の親玉の一人ってところだ」
「……!」
夜宵が何かに勘づいたように目を見開く。
毒裁社、とやらが何かまでは知らされていないが……ともかく、俺たちの敵であることはなんとなく分かった。その一挙手一投足に注意を向けながら、臨戦態勢のまま奴の話に耳を傾ける。
「正直言って私は、ここであんたらと殺し合うことについて、なんの旨味も感じない。【中毒者】同士、訳もなく潰し合うなんて命と時間の無駄だ。そうだろう? 尤も……私らの思想に刃向かうってんなら、話は別だがね」
「ここまでしておいて……私たちが手を引くとでも?」
「まあ、結果としてはそれが一番『手っ取り早い』だろうさ」
夜宵の目が、鬼灯と名乗る老女を睨む。
その瞬間彼女が覚悟を決めたのは、俺にも手に取るようにわかった。
「——なら私たちは、あなたと話し合うことなんて何もない!! テロリストと交渉なんてするもんかッ!!」
夜宵が手のひらをかざし、魔術行使の態勢に入る。
しかしそれとほぼ同時——鬼灯が素早く懐から取り出したのは、一丁のリボルバー。一ミリの迷いもなく、銃口は夜宵に突きつけられていた。
「そうかい。そりゃ残念だよ」
早撃ちでは、詠唱の必要な夜宵に勝ち目はない。
そう気づいた時には既に遅く、発砲音と共に弾丸が発射される。無慈悲かつ正鵠を射たその一射に、俺は諦めと絶望を抱いた——が。
その瞬間、大きな背中が立ち塞がった。
「……ぐッ!?」
彼はその身一つで、銃弾を受け止めた。
既に傷だらけだった肉体は、ようやく力を使い果たしたように俺たちの方へ倒れ込んでくる。俺はその様子を、放心したまま眺めることしかできなかった。
「は……?」
自分の足元にぐったりと倒れ込んだのは、俺たちの指導官にして恩師——Mr.マーヴェラス。鍛え上げられた肉体を酷使して俺たちの盾となっていた彼だったが、今はただ、その胸に風穴を開けられて力尽きていた。
「マーヴェラス……? いや、目、開けろよ……なあ!」
「嫌……嫌だ、教官!!」
向けられたリボルバーはそっちのけに、俺と夜宵はマーヴェラスに呼びかけ続ける。するとマーヴェラスは重い瞼を開き、首だけで俺たちの方へ振り向いた。血で濡れた手を差し出され、俺は咄嗟にそれを掴む。
「怪我は、ないか……諸君」
「ああ! でも、あんたは……!」
「No problem...諸君らが無事なら……私のこの筋肉も、鍛えた甲斐があったというものだ……」
俺の手を握り返す、彼の分厚い手。
けれどその力は弱々しく、もう立ち上がるだけの余力は残っていないのだと悟った。口からも血を吐き出しながらも、彼はややあって言葉を絞り出す。
「Good luck, Boys and Girls...
諸君らの旅路に、幸多からんことを……」
彼の瞼が重く、閉じられる。
俺は溢れ出す感情のままに、声にならない叫びを喉から発していた。やがてまた死神の足音が近づいてくるまで、ずっと。
「ふん、つくづく英雄気取りだったね……その男は」
鬼灯はリボルバーを降ろしたまま、跪いた俺たちに歩み寄る。
それと同時に迫ってきたのは、吐き気がするほどに強烈な眩暈だった。隣で立ちあがろうとした夜宵が足をふらつかせ、俺のもとへ倒れてくる。
「っ、夜宵……!? おい、大丈夫か!!」
「——へぇ。あんた、まだ意識を保ってられるのかい」
鬼灯が近づき、さらに眩暈と意識の混濁が激しくなる。
脈拍が異常なほどに速まり、全身の体温が信じられないくらい高くなっていくのを感じた。手足は思うように動かず、呂律が回らないために言葉もうまく発せない。この症状は、まさか——
(アルコール、中毒……?)
ありえない。俺は酒の類なんて一滴たりとも口にしていないはずだ。
だとすれば、これが鬼灯の〈AUS〉なのか?
「矢っ張りだ。私の見込んだ通り……あんたら男二人には、それなりに才能と根性がある。こんなところで捨て置くなんて勿体無いね」
鬼灯が乾いた笑みを浮かべる。
俺は吐き気で地面に這いつくばりながら、彼女の顔を見上げていた。目の前にいるのはマーヴェラスの仇だというのに、今の体はどうも、そんな激情だけでは動きそうにない。
立て、立ち上がれ。ナイフを握れ。
討つんだ、マーヴェラスの仇を……。
「——あんた、ウチに来る気はないか?」
思考が完全に止まった。
この女は今、なんて言ったんだ?
「……は?」
「公安に首輪を繋がれたままじゃ、色々窮屈ってもんだろう。ウチは評判こそ物騒だが……あんたら腕の立つ【中毒者】たちなら、生活と自由は公安よりもそれなりに保証してやれる。悪い話じゃあないはずだ」
話が大まかにしか入ってこない。
勧誘、あるいは引き抜き。この老女は、俺を公安から寝返らせようとしているのか?
「ふざ、けるな……」
そんな美味い話があるものか。
マーヴェラスを殺しておいて、何を今さら。
「俺は……死んでもあんたの下にはつかねぇ!! 今ここでくたばれ!!」
折り畳みナイフ一本を手に、俺は突貫する。
この熟練の猛者相手では、到底勝ち目はない——そんなことは、酒に侵された頭でも十二分にわかっていたはずだった。
……なのに、俺は。
「そいつは、聞けない注文だね」
直後、背中に走った鈍痛。
酩酊状態に加わったその強かな肘鉄は、すでに混濁していた俺の意識にとどめを刺すことになった。掴まれた腕からナイフが滑り落ち、全身から力が抜けていく。
「あんたには、私の駒として働いてもらうよ」
最後に聞こえたのは、鬼灯の声。
酒による酔いに溺れるように、俺はなす術なく意識を手放した。




