第26話 ヨーヨー
「おええ……よくも、よくもぉ……」
吐瀉物をまき散らしながら、目の前にいる虚ろな怪物──ヨーヨーの【中毒者】である廻神絢聖は、左手に装着したヨーヨーを動かしながら、震える眼で俺を睨む。
俺の足元には、俺を庇ってしまったことで戦闘不能どころか行動不能にまで追いやられてしまったMr.マーヴェラスの姿があった。
その巨体に似合わないほどに小さな呼吸をしているので、まだ死んではいないけれども早くしないと死んでしまうだろう。
様子がおかしい奴との戦闘に、Mr.マーヴェラスを巻き込まないようにここから少し離れたところで戦闘を行う必要がある。
Mr.マーヴェラスなんかには目もくれず俺を、俺だけを睨むその廻神絢聖の双眸を見れば、狡猾にもMr.マーヴェラスを人質として取り俺を脅すようなことはしない。
狂乱状態に陥っている彼だからこそ、俺だけを狙って攻撃してくるのは明白であった。
「──本来なら、こんな勝算度外視なことしないのによ……」
俺は小さくだけど深く息をして、そんなことを呟く。普段であれば、合理的な判断を優先している俺であれば、自らの危険を冒してまでこんな行為をしなかった。
実際に、戦いに乱入した俺を庇うためにMr.マーヴェラスは行動不能になってしまった。
それに、先ほど出たような火事場の馬鹿力はもう期待できない。先ほどの怒りによるパワーは、もう使用できない。
「──ここからは、正真正銘実力でなんとかしないと……」
俺はそう口にして生唾を飲み込んだ後に、左の方向へ1歩ずつ進んでいく。目線は、廻神絢聖から離すことなく1歩1歩、その場からMr.マーヴェラスから距離を取る。
少しでも距離を取れば、怪我をした夜宵を回収してくれたように伊織さんがMr.マーヴェラスをどこか安全な所へ連れていってくれるかもしれない。
他人任せになってしまうが、今はMr.マーヴェラスを安全な場所へ移動するほどの余裕は俺にはなかった。
「──おい、おいおいおいおいおいおいおい。お前、どこに行くんだよ?まさか、まさかのまさか俺から逃げるなんて言わないよな、おい?俺の大切な、大切なたーいせつなヨーヨーを破壊しといて、自分はおいそれと逃げるなんてしないよな?なぁ?なぁ!」
首を直角に曲げて、目から血涙をこぼしながら廻神絢聖は俺に対してそう強い言葉を投げかける。
そして、左手に持たれた森羅万象を切り裂くヨーヨーを俺の方へ投擲したのだった。
やはり、廻神絢聖はMr.マーヴェラスを狙うように動くことはなかった。
俺の読みは的中したけれど、それはつまり廻神絢聖のどちらかが倒れるまで戦い続けなければならないということ。
「──ッ!」
俺は、なんとか手の中に残っていたナイフでその殺人ヨーヨーを受け止める。ヨーヨーのボディの部分はプラスチック製のはずなのに、金属でできたナイフとぶつかり、宵闇を照らすようにして火花を散らしていた。
「重ッ……」
俺は、なんとかその場に踏ん張るけれどもただのプラスチック製品であるヨーヨーによって後ろに押されている。夜であり、花火を楽しめるほどの暗さであるこの中庭であるから、地面の状態を今確認することはできないが、きっと明るくして見れば俺が2つの足で踏ん張った跡があるだろう。
俺は、上着に仕込んでいたナイフを取り出し、ヨーヨーを抑えるナイフを持たない左手で投げて、そのまま左手でキャッチする。
それを何度か繰り返し、俺の〈AUS〉によって強化したナイフでそのヨーヨーを何とか押し返したのだった。
「──ック!押し返すとはッ!」
「悔しいか?悔しいなら、そこに突っ立ってないで来てみろよ」
俺は、危険を承知で廻神絢聖に挑発を行う。
廻神絢聖は、近距離も遠距離もたいおう可能な猛者だが、俺は近距離でしかダメージを与えることはできない。
こうして、遠くから攻撃され続けても俺が勝てる未来はほぼ0%に等しいし、俺が廻神絢聖に接近すると、Mr.マーヴェラスが巻き込まれてしまう可能性が出てきてしまう。
そうなると、廻神絢聖が俺の方に近付いてくるのが、最も合理的な判断なのだ。
俺は、体の各所に隠してあるナイフを手に持ちそれを上空に投げ始め、演技を開始する。
「やってやる……やってるよ、クソガキ」
体をわなわなと震わせながら、口に付いた吐瀉物をシャツの腹の部分でゴシゴシと拭いてから俺の方へと獣のように足だけでなく手を使いながら迫ってくる。
「本当に、動きの意味が分からない奴だッ」
ヨーヨー以外の全てに頓着しない廻神絢聖が、俺の方へと迫ってくる。
だが、焦らなくていい。彼の手さえ見ていればそのヨーヨーの対応だって難しくはない。そのはずだったのだが──
俺の真上で、金属音が鳴り響き俺の投げていたナイフの内の1本が吹き飛ばされる。俺は、直ちに投げるのを中止して、手元に4本のナイフを残して、迫り来るヨーヨーに備える。
「──ッ!」
手元で鳴り響く金属音。右手と左手の両方に2本ずつ持たれているナイフのうちの1本から、金属音と火花が飛び散っていた。
だけど、今回のナイフはさっきよりも〈AUS〉により強化が施されている。だから、押し返すことも可能だった。
「──ッ!押してくんのかよッ!クソがクソがクソがァァ!」
自らのヨーヨーが押されていることに気付いたのか、すぐに廻神絢聖はヨーヨーを自らの元へと引き戻し、態勢を整えた。攻めるなら、今──。
「──え?」
そう思ったと同時、俺の全身を一瞬にして傷つけるのは2個目のヨーヨー。
右手に付けられたヨーヨーのボディは俺が切り落としたはず。それなのに、2個目のヨーヨーが存在している。
「なん、で……」
体がズタズタに切り裂かれながら、俺はなんとか声を絞り出す。
腕をピクピクと動かし、筋肉や関節がやられていないことは確認する。足も同じだ。
幸い、傷は浅いようで衣服と皮膚が切り裂かれているだけなようだった。
「なんで──だと?それじゃあ、冥土の土産に教えてやるよ?教えてやろう。教えてやらんくもない。教えてあげたい。教えてみよう。教えさせてあげよう。俺が投げたのは、濡烏色に糸を染め、ボディを漆黒に塗ったどす黒いヨーヨーだ。この真っ暗闇の中じゃ、お前の目ん玉にはなんも映らねぇ」
先程まで虚ろな目をしていた廻神絢聖は少しばかり生気を取り戻していた。
「お前は、俺の一番の相棒を壊しやがった。だから、俺はお前を一番に壊す」
「──そうかよ」
俺は、そう口にして手元にあったナイフをなんとか4本のナイフを空中に投げる。上へ投げてはキャッチをし、それを繰り返す。
「そんなお遊び程度じゃ、この俺には敵わなかったな」
「わかってる。俺はまだまだ弱い」
俺は、そう口にする。そして、手に落ちてきた1本を廻神絢聖の方へ向けて投擲する。
「──ッ!」
ジャグリングをするために上にだけ投げていたからために、廻神絢聖自身の方へ投げてくるとは思わなかったか、奴は自らの方へ飛んでくるナイフへ驚きを見せる。
この奇襲は、もう次は使えない。
これが当たらなければ、俺が抵抗することは難しいだろう。
廻神絢聖は俺に近付かないで攻撃してくるだろうし、次の攻撃で確実に命を奪ってくるはずだから。彼が合理的な判断をするのであれば、絶対にそうするはずだから。
──彼が俺なら、絶対にそうするから。
だから、どうか頼む。どうか当たってくれ、俺のナイフ──。
「当たんねぇなぁ?」
その言葉と同時、空中で不自然にナイフが止まり、ボトリと音を立て地に堕ちる。きっと、漆黒のヨーヨーで俺の投擲を止めたのだろう。
「残念だったな。俺の相棒を壊した野郎め。それを呪って確実に、お前を殺す」
そう口にしたと同時、廻神絢聖の指それぞれにかけられるのはヨーヨー。
漆黒のヨーヨーは、左腕の薬指にかけられていたらしいことが、色とりどりのヨーヨーが他全ての指に掛けられることで理解できた。
そのヨーヨーを全て使用し、俺と廻神絢聖を囲い編み込むようにしてヨーヨーの糸を張り巡らす。俺は少し体を動かし抵抗しようとするが、糸に触れるたところから鮮血が飛び出ていくので、俺は体をよじらせることを諦めた。
作り出されたのは、ヨーヨーによる結界。蜘蛛の巣。蟻地獄。
絶対に俺が逃げることのできない空間が完成してしまったのだ。
勝算度外視に動いたのが間違いだっただろうか。でも、夜宵を攻撃されて罵倒されてしまって何もしないわけにはいかなかった。だから、自らの行動に悔いはない。
「まずは、没収な」
「──うお」
廻神絢聖がそう口にすると同時、俺の腕からはナイフが掠め取られ、折角毒嶌淳一朗からもらった装備品の全てが取られてしまう。俺の服の中までをも、ヨーヨーは探し当てて奪っていったのだ。
「そして、お前の手も」
「──ッ痛!」
俺の手は、ヨーヨーにより傷つけられて物が握れないような状態にされてしまう。これでは、ジャグリングしたくてもジャグリングできない。
「土壇場で毒暴走なんて起こされたら困るからな。こうしてから殺す」
そう口にした廻神絢聖。これでは、誰が助けに来ても状況は厳しいだろう。
錦ちゃんでさえ、この隙間をくぐってこれるとは思えないし、泡音の炭酸で何とかなるとも思えない。
伊織さんの〈AUS〉があったとしても、すぐにその能力が理解されて俺はデコピンされて脳漿をぶちまけて殺される可能性も十分にある。
「──ここまでか……」
俺は、なんとか生き残る術を探してみるけれどもどうしようもならない。
「残念だったな、お前も。俺を怒らせさえしなければ、楽に死ねたのによ。俺はな、外でも中でも近距離でも遠距離でも戦えるんだぜ?対して、お前は近距離だけだ。頭は回るようだが、〈AUS〉がシンプルですぐに対策できる。もっと汎用性のある〈AUS〉ならともかくジャグリングの【中毒者】として選ばれたことを悔やむんだな」
それと同時、ヨーヨーが俺の心臓目掛けて飛び込んでくる。その弾丸のようなスピードに、俺の命は奪り取られ──
「幻想法典・第二章八節 【森羅万象を崩壊に導く紅焔神の涙】」
「「──ッ!」」
その直後、俺の視界は紅く──いや、白く燃え上がる。
バチバチと音を立てて、俺を──否、俺の周囲にあったヨーヨーのストリングを飲み込んだ純白の炎が、俺の命を救った。先ほどの詠唱と、高威力の炎。こんな技を使用できる人は、俺は1人しか知らない。
「──迷惑かけた、遊翼!だが、もう大丈夫!私が助けに来た!」
そこに立つ金髪のツーサイドアップの少女のことを、畏敬を持って人はこう呼ぶ。
"稀代の天才幻想魔術師"、天喰夜宵と──。




