第25話 もういいよ
都内某所、山奥に位置する廃墟にて。
闇に潜んでいた刺客と相対した水無月は、黒い傘一本を手に表情を歪める。その視線の先に佇んでいたのは、迷彩柄の長髪をもつ少女だった。
「さあ、かくれんぼを始めましょう! 私が“オニ”をやりますから、お姉さんは隠れてください!」
ゆらゆらと体を揺らしながら、屈託のない笑顔で少女は言う。少女の名は葉隠恋慕——毒裁社によって養成された、かくれんぼの【中毒者】である。
一方の水無月も、表情を取り繕って薄い笑みを浮かべていた。
「それは魅力的な提案だね。君とは仲良くなれそうだ」
「へへ、でしょー? だから早く隠れて——」
少女が言い切るより早く、水無月が動いた。
右手の傘をレイピアのごとく構え、素早く少女の喉元めがけて突貫する。
「でも今は、君と遊んでる時間はないんだ」
冷ややかな声色。迷いのない剣筋。
石突の代わりに据えられた黒の矛が、反応の鈍った少女の喉元を貫くかに思えた——その瞬間。少女の姿はふっと消失し、漆黒の闇と同化した。
「……!?」
数瞬敵の姿を見逃し、焦る水無月。
しかしすぐに葉隠は姿を現したものの、今度は水無月の喉元に葉隠の手でナイフが突きつけられていた。冷や汗を流す水無月の耳元で、少女はささやく。
「すぐに終わるよ。ほんとにちょっとだけだから。ね? かくれんぼ、しよ?」
「……わかった。隠れればいいんだろう?」
「うん! 隠れていいのはこの廃墟の中だけ。私が十数える間にどこかに隠れてね。……あ、数えてる間に逃げようとしても無駄だからね?」
「はいはい……」
ナイフが水無月の首筋から離れる。
危機を脱した水無月が駆け出すと同時、葉隠は「いち」からゆっくりと大きな声でカウントを始めた。合宿棟の事態も把握できていない状況に焦りを感じつつも、水無月は倒れたテーブルの裏に身を隠す。そして息つくまもなく、葉隠が十のカウントを終えた。
すると、
『もォいいかーイ? ヨぉーし、ソれじゃいクよー!!』
少女の声に、どこか野太い声のノイズが入る。
同時にその体はみるみるうちに巨大化し、一対の角の生えた怪物へと変化していった。その醜形な形相はまさしく悪魔——否、日本古来より存在する妖怪、「オニ」そのものであった。
(変化型の〈AUS〉……それも二種持ちか)
その姿を一瞥し、水無月は心なしか苦しげに笑う。もはやあの異形は、天真爛漫だった少女の面影を宿していない。葉隠の体はその手足で全てを破壊し、まんまと勝負に乗ってきた相手を蹂躙するだけの殺戮兵器と化したのである。
『どォこーかーナァァァ!?』
重い足音が鳴り響く。「オニ」は自慢の巨腕で瓦礫を薙ぎ払いながら、かくれんぼの相手である水無月を捜索していた。このままではしらみ潰しに探されて見つかるのも時間の問題——と水無月が思った矢先、背後にあったテーブルが木っ端微塵になりながら吹き飛んでいった。
「——っ!」
『あ、ミぃつけタァァァ!!』
巨大な手が、水無月を押し潰さんと迫る。
咄嗟に水無月は黒の傘を目の前に展開し、唱えた。
「——《アマノモリ》、防壁展開!!」
その瞬間、傘の表面を覆ったのは水の「膜」。
あらゆる攻撃を跳ね除ける鉄壁のシールドを化した水無月の傘は、「オニ」の巨腕をもいとも容易く弾き飛ばした。その隙を見て水無月は脱出を図る——が、「オニ」はその背中を見て呆然とした。
『アレぇ……なンでニげるノォ? 見つカったンダかラァ、かくれんぼハ終わりでショ?』
勝負はついた、だから大人しく殺されろと言わんばかりに、「オニ」はみしみしと拳を握りしめて苛立ちを露わにする。水無月はなおも廃墟内のスペースを転々としながら、やや涼しい表情で言い放った。
「もうちょっとだけ付き合ってあげるよ、オニさん。今度はそう……『かくれ鬼』だ。時間制限のないかくれんぼじゃ私に勝ち目がないから——これから5分以内に、隠れながら逃げる私を捕まえられたらキミの勝ちってことにしよう」
『カくレオニ? いイネ! オモしろソウ!!』
オニが好奇心から勝負に乗ったのを物陰から確認し、水無月はスタートの合図とともにストップウォッチに見立てたトランシーバーのスイッチを入れた。オニが周囲を破壊して回る轟音に紛れながら、水無月は無線を繋ぐ。
「——こちら第一班水無月! 兵平君、聞こえてるかい?」
『……ええ。何か仕事ですか?』
「ああ。今から私の指示する場所に、君の弾丸をそれぞれ撃ち込んでほしいんだ。やってくれるかい?」
『安い御用です』
狙撃ポイントにいる霜月に無線で指示を送りながら、水無月は隠れて移動しつつ脳内で組み上げたとある「作戦」のためにフィールドをセッティングしていく。ゲームの時間はすでに残り二分を切っていた。
『どこいっちゃったのォ〜?』
場所を変えつつ隠れ続ける水無月を、「オニ」は見失っていた。制限時間は刻一刻と迫っているが、彼女の純粋なまでの殺意はそんなことは気にも留めていない。
七星の命令通り、〈ANTIDOTE〉所属のメンバーを一人でも多く殺す。彼女の頭には、それ以外の思考は浮かんでいない。
と、そんな折、
『……ンン?』
怪物の視界に映ったのは、傘。
彼女がそれを注視すると同時に、その傘はバサ、と音を立ててその場で開いた。怪物がにやりと口角を上げる。
『あハッ、そコにイタのねェェェェェェッ!?』
指を広げ、「オニ」は掌で傘もろともそこに潜んでいるであろう水無月を叩き潰した。……かに見えた。
『あレッ……?』
手応えがない。
そう思って掌をどけた下には、人間がいた痕跡はなく——それどころか、開いていた傘すらも水無月の所持する黒の傘とは別物の、使い古されたビニール傘であった。
(まさか、トラップ……!?)
それに気づいた時には、既に怪物は水無月の術中であった。
一本目の傘を皮切りに、「オニ」の周囲で連続していくつもの傘が開いていく。廃墟に打ち捨てられていた傘たちは怪物を嘲笑うように、次々にその花を開かせていった。
『ナ、なニ……なンのツモり!? こざかシイ!!』
怪物となった葉隠の目には、そのタネは映らない。水無月が配置した傘のボタンを正確に撃ち抜き、強制的にその花を開かせる霜月兵平の弾丸は——。
目を回し、錯乱する怪物。
その果てに、黒の傘が開いて怪物が目線を沿わせるが、それが彼女の起こした最後のアクションとなった。
「——もう、いいよ」
水無月の低声。背に突きつけられた傘。
彼女の選択に、迷いはなかった。
「《アマノモリ》——水槍射出」
再び水無月の傘を水の膜が覆う。しかし今度は傘の先端に集中し、炸薬で射出された石突に伴う一本の槍として、より鋭利な形状をとった。
果たしてその一本の槍は、怪物の体を真っ直ぐに刺し貫く——。
『が、ハッ……』
心臓を貫かれ、なす術なく巨体が崩れ落ちる。
変身の解けた葉隠は、細身の少女の姿でその場に倒れ込んだ。惜しくも散ってしまった少女の命であったが、ただ冷徹に〈ANTIDOTE〉所属の【中毒者】としての仕事を全うした水無月は、再びトランシーバーを起動し無線を繋げる。
「こちら水無月。状況終了」
時間にして、5分34秒。
傘の【中毒者】——水無月怜は迅速に状況に対処し、ひとり先を急いだ。
◇◇◇
同時刻、合宿会場にて。
外部への連絡のため先を急いでいた乾遥と蛇ノ目錦を足止めにかかったのは、刀の【中毒者】にして毒裁社陣営随一の刀剣使い、七刃。そして彼女の相手としてエントリーしてきた少年こそ、〈ANTIDOTE〉年少組内で随一の運動能力と戦闘センスをもつ炭酸の【中毒者】、沢田泡音であった。
刀vs炭酸。異色の戦いが幕を開ける。
「こいつは俺が相手する! 二人は迂回して先に行け!」
補給代わりにペットボトルのサイダーを飲み、沢田は敵の引きつけ役を買って出た。七刃の広範囲の斬撃により真正面からの突破はほぼ不可能だが、一度中庭に出ることで遠回りだが寮への迂回が可能になる。
錦はそれを瞬時に理解し、乾遥を連れて走り出した。
しかし当然、七刃の駆る刃がそれを見逃すことはない。
「——っ、させるか!!」
七刃の放った斬撃が、錦たちの行く手を阻む。
続いて二撃目——と刀を振ろうとした彼女だったが、それは沢田の放った三本の矢、通称「三ツ矢サイダー」によって防がれることになる。
「そいつはこっちのセリフだ! 邪魔させねーよお侍さん!」
「貴様——ッ!」
炭酸を噴射し滑るように移動する沢田に、七刃は斬撃を加え続ける。しかしヒットアンドアウェイの要領で繰り出される沢田の体術は、彼女の剣術とほぼ互角に渡り合っていた。
(埒が明かない……此処は一か八か!)
賭けに出た七刃の日本刀が袈裟に斬り上げ、沢田がそれを避けるように後退する。そこで七刃はすかさず、流れるように一歩を踏み込んだ。
月の光を反射した銀の刃が、高く振り上げられる。
「——!!」
脳天めがけて振り下ろされる刃。
一気に間合いを詰められたために、沢田も瞬時に回避しきることはできない。だが彼は、賭けに出た七刃と同様に、さらに大きな賭けに出た。
「させるかあああああああああああっ!!」
絶叫する沢田は、無謀にも両の手を繰り出す。
脳天めがけて振り下ろされる刀身をタイミングよくキャッチする——などという神業を可能にしたのは、彼の並外れた動体視力であった。
(ッ、白刃取り……!?)
七刃が驚愕すると同時、沢田はすかさず刀身側面に強烈な膝蹴りを入れ、彼女の日本刀を叩き折った。そして流れるように、丸腰となった七刃に向けて炭酸の推力を重ねたパンチを放つ。
軽く吹き飛んだ七刃に向けて、沢田は続けざまに拳を構えた。
「これで……終わりだぁあああああッ!!」
刀を失った七刃に、攻撃の手段はない。そう見切った沢田は両足から炭酸を噴射し、勢いをつけて近距離からトドメの一撃を放とうとした。
その判断が、彼の未熟さ故の過ちであった。
「【錬磨錬成】」
静謐に七刃が唱える。
彼女が手にしていたのは、既に切断されていた階段の手摺り。棒状のそれは彼女の持つ力、〈AUS〉に応えるように形を変え——やがて一振りの研ぎ澄まされた「刀」へと変貌した。
「居合・『游月』」
一振りの刀。迫り来る敵。
剣士としての権威を取り戻した七刃は沢田の打撃を泳ぐように受け流すと、瞬時に刀を振り抜いて斬り上げた。思わぬ反撃に、沢田が胸に深傷を負う。
(やべ……っ!?)
胸部からの出血に対処しようとする沢田。しかし剣士はその隙を逃さず、切先を見せて突貫する。追撃として狙うは、居合で捉えきれなかった彼の心臓であった。
「抜かったな」
容赦なく刃が差し迫る。
この一対一の勝負では、七刃に軍配が上がった。
「まったく……無茶のしすぎよ。バカ泡音」
刀が沢田の胸を突く。
が、刃がそれ以上彼を刺し貫くことはなかった。七刃が周囲に広がった新緑色の領域に気づくとほぼ同時、影から現れた伊織十和のピコピコハンマーが彼女の頭を顎下から叩き上げる。
「がっ——!?」
鋭利な刀と、100均製ピコピコハンマーの威力の反転。
夜宵の手当てを終えた伊織の登場は、形勢を再び逆転させた。
「ははっ……グッドタイミングだぜ、十和!」
「十和先輩、でしょ。いくら言ったらわかるのよ……」
呆れ気味に軽口を叩きつつ、伊織は負傷した沢田の前に出た。刀を用いた剣術しか攻撃手段をもたない七刃にとって、殺傷能力を抑える伊織の〈AUS〉は天敵である。勝算が希薄になっていくのを感じながら、七刃はなおも刀を構え直す。
しかしその瞬間、また別の濃厚な気配が戦場を塗り替えた。
「止しな、七刃。こんな作戦で死んでどうすんだい」
靴音。殺気。そして——酩酊。
酒瓶を傾けながらその場に現れたのは一人の女傑、否——「女帝」であった。和服を模したコートを羽織るその姿は長身痩躯だったが、皺の刻まれた顔に目立つ傷跡は、彼女の凄絶な過去と強靭さを物語っている。
女帝の名は、鬼灯。
毒裁社三大幹部のひとりにして、世界中の酒豪の頂点に立つ「酒の【中毒者】」——鬼灯酒樂。それが彼女の正体であった。
「酒樂……姐さん……」
鬼灯の酔いに呑まれるように、七刃はその足をふらつかせる。伊織の〈AUS〉による領域を塗り替えた彼女の「酔い」によるオーラは、当の伊織にも作用していた。
「……! 十和!?」
極度の酩酊状態により倒れた伊織の肩を、自身も朦朧とする中で沢田が揺さぶる。そんな二人を横目に、鬼灯は部下である七刃に詰め寄っていた。
「答えな、七刃。この作戦を指示したのはどいつだい?」
「……っ、作戦は若が……七星北斗が——」
「そうかい。まあ、大方そんなことだろうとは思ったよ。あんたらはまんまと捨て駒にされたってわけだ」
ふっと倒れかけた七刃の体を、鬼灯は片腕で支える。老体にも見える彼女の肉体だが、その実老いなど一切感じさせないほどに鍛え上げられており頑健であった。
憐れむような目で七刃を見つめ、鬼灯は小声で言葉を継ぐ。
「七刃、あんたはさっさと離脱しな。迎えは表に用意してある」
悔しげに、七刃が刀を握りしめる。
だが上司からの命令には従順に、彼女は気力を振り絞ってその場から退却した。一人残った鬼灯は、酔いの中で未だ意識を保っていた沢田と正面から相対する。
「驚いたね。あんた、私の酔いについてこれるのかい」
「なに、しやがった……くそババア!!」
湧き上がる怒りのままに、沢田は千鳥足のまま拳を振り上げて突撃する。一方の鬼灯はその場から動くことなく、沢田の拳を軽々と交わして腹に強烈な一撃を入れ、気絶させた。
倒れこむ沢田の襟首を掴み、女帝は一人笑む。
「いい根性じゃないか。ウチに欲しい人材だ」
酒瓶で一気に酒を呷り、沢田を片手で掴んだまま鬼灯は夜の闇が包む廊下を歩いた。やがてその先の窓に、狂乱するヨーヨー使いと対峙する少年の顔を見つけるまで。
「目ぼしいのはもう一人……ってとこか」




