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異界潜  作者: 澁谷晴
1/3

前編

 鎧谷よろいたに目塚(まづか)の交差点は、この一週間で一層異界化が進んでいた。高架を大量のケーブルと、ウニのように無数の突起が突き出した大型機械が包み、低い稼働音が常時鳴り響く。周囲の通信機器やラジオからは、読経のような声が断続的に発せられ、分厚い雲が局地的に太陽光を遮る。


 異界のある所、異界潜(マグ)が集まって来る――異界の探索者、あるいは探索をしているふりをして単にたむろする者、それら相手に商売をする業者をまとめて〈マグ〉と呼称する由来は不詳だ。専門誌(マガジン)を手にしているから。初期の携帯干渉器(ジャム)磁石(マグネット)を用いているものが多かったから。魔法(マジック)とかマグロに由来するという説もあり、なぜマグロなのかにも諸説ある。いずれにしても無秩序で、とりとめがない話だ。異界潜たちはそういうのを好んでいて、彼らの話す内容は異界そのものと同じく収拾がつかない。


 異界潜たちは高架の周囲に集まって、ぼそぼそと呪文の詠唱のような平坦な会話を続けている。異界潜は笑ったり、驚いたりすることはあまりない。異界にいると感情を吸い取られるという俗説があるし、潜んでいる何者かを刺激しないためだ、という説もある。当の異界潜たちも詳しくは知らない。


 高架とともに周辺の雑居ビルやマンションにも異界化は進行しているが、会原凪(あいはらなぎ)はそんな建物の一階にある喫茶店でヨミと待ち合わせた。もちろん遅刻してくるはずだ。異界潜向け月刊誌〈MAG-NET〉を読みながら彼女を待っている。


 この店〈すずらん〉は、店内照明が非常に暗い。半異界化する前からだ。何か秘密めいた話をするには適切だが、読書には向いていない。凪は持参した懐中電灯を向けて、新型の界域計算機(ネスト)禍因性閃波照射装置(ヤカン)の広告を見ている。手持ちのおんぼろネストに代わって新しいのを入れたいが、貯金を全て下ろしても基盤一つで精いっぱいだ。免許――異界侵入許可証――を取る前にやっていたコンビニのバイトを辞めないほうが良かったかもしれない。


 ヨミと会ったのもその店だった。今は確か中二と言っていたから四歳下のはずだ。真夜中にやって来てはケーキやプリンなどを大量に買う少女がいて、やがてオーナーの娘だということが判明した。本名は平坂深夜(みよ)だが、ひっくり返してヨミと名乗っていた。理由を尋ねると「ひらさか(比良坂)だからヨミ(黄泉)」と言っていた――異界潜の好む他愛のない遊びの一つに、偽名・あだ名を用いる習慣が挙げられる。ネットのハンドルネームのようなもので、本名に関連した言葉遊びが組み込まれることが多い。


 凪は最初、口数が少なく目を合わせることもないヨミを、あまり自信がなくコミュニケーションが苦手なのだ、と思ったが実際は逆だった。どうやら、自分に多大な自信があるために、相手に理解されなくとも何の問題もない、という意識から満足に挨拶・会話・説明をしないのだった。さぞ友達がいないだろうな、と凪はこの後輩を評したが、それも彼女が気にするはずもなかった。


「アイ君」


 凪がその声に顔を上げると、いつの間にか向かいの席にヨミが座っていた。青白い顔で暗い中うつむいていると幽霊みたいだな、と凪は思う。彼女は無言でメニューのクリームソーダとストロベリーパフェを指差し、凪がそれを注文する。その後会話は特になく、パフェが運ばれてくる頃になってヨミは、一枚の紙をテーブルに置いた。


 アマチュアバンドのチラシ(フライヤー)のようなそれは、近日行われる異界干渉作戦(MTG)の告知だった。異界は様々な要因で拡大・変容する。特に大勢の人間の意識の流れが有効で、効率的な探索のため、あるいは何となく、異界潜はそれを引き起こす。今回の作戦は鎧谷周辺にある三つの大学の、異界潜サークルの合同運営だった。凪もその三大学の一つ、赤目山大のサークルに所属しているが、部室へ行っても部員がいないし、連絡先もろくに知らないし、知っていてもいざ連絡すると通じなかったり、馬の嘶きを逆再生したような奇怪な音声が流れてきたりするので、ほぼ活動には出ていなかった。


 どうやらヨミは、この作戦に参加しようと勧誘しているらしかった。本人は顔を横に向けて何かを見ている。隣の席にはブラウン管テレビが山積みになっていて、青白い光を放っている。これは無論、店主が廃品置き場にしているわけではなく、異界化の影響だ。得体の知れない機器に付随して、モニターやラジオ、大量の書物や記憶媒体が発生し、怪情報を送り込んで来る。向こう側(・・・・)産の情報を積極的に取り込む方が良いという意見と、健康被害が出るからやめた方が良い、という意見の両方がある。大抵の異界潜はメリットがあっても有害でもどっちでもいいという感じで、ぼんやりと暇潰しのためにそれを「摂取」する。


 テレビの画面には生肉とか破損した機械部品みたいな商品のコマーシャルが延々流れている。ヨミがそれを見ているのか分からない、別の何かを幻視しているかも知れない。異界に入ったことが原因で、幻覚・幻聴が始まるケースが数多くあり、彼女もそうだった。異界あるいはそこに近い地点では、そういった虚構も意味を持つ――異界に意味づけをされるのだ。


 それから一時間くらいほぼ口を利かなかったが、この合同作戦に参加するために当日朝、この場所で待ち合わせをしよう、ということに、どうやらなったらしいと凪は解釈した。朝が弱いヨミはまた遅刻するんだろうな、と思いながら。異界潜たちの多くは、それぞれの理由で必ず遅刻する――異界では時計が狂うせいかも知れない――イベント自体も何時間か遅れて始まるだろう。


   ■


 夜の街を、巨大な影が横切っている。満月の下を闊歩するそれは、直立した恐竜のような怪物だ。牙の並んだ口を開き、何かを渇望するかのように進んでゆく――そいつは、共有されるのを待っている。人々に、そして異界そのものに。

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